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第11章「最深部」
第132話「人は、とどめようもなく恋に落ちていく」
しおりを挟む(UnsplashのColine Hasléが撮影)
その日、仕事が終わると清春は、迷いもなく異母妹・真乃《まの》のスイートルームの前に立ち、静かにドアベルを押した。
室内のベル音が鈍《にぶ》く聞こえてきたが、何の反応もない。
部屋の中には、佐江がいるはずだが――?
清春は真乃のルームキーを使って、部屋を開けた。部屋の中は照明がついたままで明るい。部屋に入り、
「佐江」
と呼んだ。
声をひそめて呼ぶとき、彼女の名はなんと甘く響くことか。
清春は、佐江の名を呼ぶのが好きだ。
会話の途中の様子や、呼びかけられて振り返るしぐさ、清春に抱かれている時に反応する佐江の身体。なにもかもが好きだ。
「佐江」
ともう一度よんだ時、清春はスイートのソファで眠っている佐江を見つけた。
待ちくたびれたのだろうか。ネイビーブルーのスーツの上着を脱ぎもせず、足の甲にきらきらした飾りのついた靴をはいたままの姿で、佐江はソファにもたれて眠っていた。
その無防備な姿が、清春の目いっぱいに広がる。
——おれの女だ。
清春は、何の根拠もなしにそう思った。
これは、おれの女だ。
おれが理由もわからずに惹かれ、理由もわからずに屈服させられている、おれの女だ。
誰にも、さわらせたくない。
眠っている佐江のそばで、静かに膝をついた。
そっと、頬にかかっているおくれ毛を耳にかけてやる。佐江の頬骨の高い顔が、何にも邪魔されずはっきりと見えた。
そのまま頬骨に指でふれた。眠っている女の顔はおどろくほど静謐《せいひつ》で、少し、ひんやりとしていた。
「ちょっと、痩せたか」
清春は小声でつぶやいた。
佐江はもともと、うりざね顔のほっそりした女だが、清春の記憶にあるよりもさらに細く見えた。
頬骨から耳に指をそっとすべらせる。佐江の耳たぶには、まだ清春が買ってやったプラチナのピアスがはまっていた。
おれのものだ、と清春は静かに身をかがめて、佐江のピアスにキスをする。
おれのものだ。このピアスも、耳たぶも、何もかもがおれのものだ。
そして佐江が清春のものである以上に、清春は佐江のものであった。
おまえがおれを欲しがらなくても、おれは、おまえのものなんだ。
眠っている佐江の顔を見ながら、清春は、泣きたいような気持でそう思った。
そこに理由があれば良いと思うが、たぶん、どんな理由もないのだろう。そうやって人は、とどめようもなく恋に落ちていく。
「さえ」
彼女の耳元でささやいた。
「佐江、起きろ。ここで寝たら、だめだ」
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