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第9章「水平線」
第100話「おれの一部はいつまでもあなたのものです」
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香奈子は、つやつやしたクロコのバーキンをあっさりと清春から奪い取った。そのまま後ろも見ないで歩いてゆく。
清春はエレベーターの前で待った。
音もなく、エレベーターがやってくる。ドアを押さえて香奈子と村上を通して、最後に清春が乗り込んで一階のボタンを押した。
エレベーターの中で香奈子が村上に尋ねる。
「チューリッヒの到着は何時?」
「十五時三十分の予定です。空港に車を回すよう、手配をしておきました」
「間に合うといいわね」
ぽつん、と香奈子がつぶやいた。やがてエレベーターが止まり、ドアが開く。
二人をエスコートしながらコルヌイエホテルのエントランスに出た。早朝にもかかわらず、外にはすでに黒塗りの車がとまっている。
車のドアを開けると香奈子が乗り込んだ。続いて村上が息を切らしながら乗る。
「井上さん、ありがとうございました。あなたのおかげで、コルヌイエホテルでの滞在は、世界中のどこよりも快適でしたわ」
清春は車のドアを閉めるためにかがみこみ、最後にもう一度だけ香奈子を見た。
「どうぞ、お気をつけて」
そして、おれの一部はいつまでもあなたのものです。
清春の声にならない声を香奈子の空っぽの耳たぶは正しく聞き取ったようだ。あの男のような笑いを浮かべて、香奈子は清春を見た。
「またいつか会うわね」
「お待ちしております」
「ほんとに、コルヌイエは良いホテルですから」
香奈子と清春の間に挟まって、村上はのんびりと笑った。清春も思わず笑いをもらし、ぱたりとドアを閉めた。
「行ってらっしゃいませ」
車に向かって一礼をするうちに、香奈子と村上は去っていった。
車を見送るうち、昨夜のナイトマネージャーを務めた白石がやってきて、長い息を吐いた。
「最後まで大変だったな、井上」
「ええ、でもこれからがまた大変ですよ。まず、お荷物の送り出しを済ませなくては」
「そうだな。気が遠くなりそうだ。あの女王さま、どれだけ買い込んだんだ?」
「さあ。しかし、欲しいだけのものは持って帰られた、と思いますよ」
白石が首をふりふり去った後、清春はもう一度香奈子たちの車が行った先を見つめた。
路上には明るい日差しがさしはじめている。大通りの向こうに見慣れたカフェがあった。
仕事が終わったらとりあえずコーヒーでも飲むか、と清春は思った。
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