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第8章「夏が来りて、歌え」
第67話「惚れた女のことは、どんな小さな事でも忘れません」
しおりを挟む(SusasによるPixabayからの画像)
「あれは、私が将来ある若い男のために、泣く泣く身を引いたのよ」
コルヌイエホテルのプレジデンシャルスイートでソファに座り、軽く足を組み変えながら、しれっと銭屋香奈子《ぜにやかなこ》は答えた。
清春はもう何も言わずに香奈子が散らかしたものを片付け始めた。
「お食事はどうされますか?」
「食べたくない。疲れすぎていて食事なんてとれない」
「少しは何かを食べたほうが――」
清春が言いかけたとき香奈子のスマホが鳴った。すばやく取って香奈子に渡す。香奈子は一瞬だけ画面を見て、電話をつないだ。
「あなた、どうなさったの。ええ、ええ、東京での仕事はうまくいっていますわ、心配いりません。それより今日の調子はどう? だめよ、無理をなさっては」
電話口の香奈子の声は普段よりやや高くなる。電話嫌いの香奈子が緊張している証拠だ。スイスにいる夫との通話では一段とトーンが高いように清春には聞こえた。
「もちろんよ。でもあなたこそ、ゆっくりお休みになってね」
そういって香奈子は電話を切った。そしてスマホをもったままソファにぐったりともたれた。
清春は、香奈子のネイルをほどこした指をほぐすようにしてスマホをとる。
男の長い指が器用に手のひらからスマホを持って行くのを、香奈子はぼんやりと見つめていた。
「——銭屋のこと、聞いている?」
「はい」
香奈子はため息をついた。
「ドクターからは、あと三ヶ月だと言われているの。ねえ、清春。私、ほんとうは日本に来ている場合じゃないのよ。
でも、あのひとが仕事を優先しろなんて言うから――」
香奈子は弱々しくそういった。
清春はテーブル周りをすっかり片付けてから香奈子の前にひざまずいた。
「ヒールを脱いで」
低い声で、そう命じる。
香奈子はちょっとぼんやりしたまま黙って、清春の言うなりに靴を脱いだ。
シルクの黒いストッキングに包まれた小さな足が、ひざまづいている清春の前にむきだしになる。
清春はその足を手に取り、ゆったりとマッサージを始めた。
「貴女《あなた》は昔から、疲れがたまると足に来るから」
「——よく、覚えているのね」
「惚れた女のことは、どんな小さなことでも忘れませんよ」
男の大きな手が、ヒールの中に押し込まれて酷使されっぱなしの足を揉みほぐしていく。香奈子はそれを、見るともなく見ている。
「あれから七年もたったなんて信じられない」
ぽつりと香奈子は言った。清春は手をとめて香奈子の足元からわずかに疲れの浮いた顔を見上げる。
「おれにとっては、短くない時間でした」
「あなたは若いからそう思うのよ。あたしよりたしか五歳は年下でしょ」
「年齢の問題じゃありません。たぶん、愛情の問題ですよ」
「あたしだってあなたを愛していたわよ」
「あなたのしたいようにね」
マッサージを終えた清春は、香奈子の22センチの足にルブタンのハイヒールをはかせてやる。
「あなたのしたいように、あなたの都合のいいようにおれを愛したんだ。それが悪いと言うわけじゃありませんが、おれにとっては不利な恋でしたね」
立ち上がった清春はルームサービスのメニューを手に取り、香奈子に渡す。
「なにか喰わなくちゃダメです。あなたがオーダーしないならおれが勝手にきめますよ」
「強引ね、女に無理じいをしちゃダメだって教えなかった?」
「教わりましたよ」
清春は内線電話を手に取った。
「ついでに、女の言うがままになっていたら最後には捨てられるってこともね」
「うらんでいるの?」
手渡されたメニューを適当にめくりながら香奈子が言った。清春はちょっと考えてから答えた。
「うらむほど、憎めませんでした。あんまりにもあなたに惚れすぎていたので」
「ふうん」
香奈子はまじまじと清春を見た。
「ずいぶん、言うようになったわね」
「七年たっているんです」
清春は苦笑した。
「いつまでも、夢見る子供じゃいられませんよ」
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