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1巻
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しおりを挟む第一章 護衛と姫君
「まったく、思い返すだけで恐ろしいですよ」
アミリアの目の前で、やれやれ、とジルがため息をついた。
あの中庭での出会いから一月。ジルはすっかり馴染んだ様子でアミリアの部屋の片隅に立っている。彼の腕に巻かれていた包帯はとれ、体の至るところにあった細かな傷も癒えている。
あの日と違うことはまだあった。ジルの言葉遣いだ。
アミリアは窓辺の椅子に座り、彼を見つめながら問う。
「あら、恐ろしいって、何が?」
「条件を変える手伝いをしてやる、なんて」
「別に恐ろしくはなかったけど」
「あなたにとってはね。俺は血の気が引きました」
アミリアは声を出さずに笑った。
「わたしが四の姫だとわかったときのジルの顔。引きつってたわね」
「当然でしょう。城の使用人だとばかり思って散々偉そうな口をきいた挙句、案内しろとまで言ったわけですからね」
「案内はわたしから申し出たのよ」
「同じことですよ」
アミリアは笑いながら、あの後のことを思い出していた。
二人連れ立って中庭から部屋までの道を歩き、次の角を右に曲がれば自分の部屋という場所まで来たところで、後ろから巡回兵に声を掛けられたのだ。兵との会話を聞いていたジルの顔が少しずつ青ざめていくのを、アミリアは申し訳ない気持ちで見つめた。
「別に騙すつもりはなかったんだけど。ごめんなさい、結果的にそういうことになってしまって」
「……本当に参りました。まさか、姫君があんな服装で庭をうろついているとは思わないから」
やはり苦笑したまま、ジルが言う。
「着替え途中だったんだもの」
「護衛もつけずに」
「いつもはいるの。でも、あの日は新しい護衛がまだ来ていなかったから」
「俺ですね」
「そう」
あの日、アミリアが正体を明かすと、恐縮しきったジルはこわばった顔で数歩下がり、頭を深々と下げた。そしてそのまま微動だにしなかったのだ。
アミリアは何度も「かしこまらないでほしい」と伝えたが、彼はまったく聞く耳をもたなかった。
それから一月を経て、少しずつジルの態度は和らいできている。もちろん護衛としての役割は、最初からきちんと果たしてくれていた。
もっとも城の中にいるアミリアが外部からの脅威にさらされることはほとんどない。だから彼の仕事は、もっぱら精霊の「厚意」からアミリアを守ることだ。
たとえば、精霊たちが『お姫様へのお土産』と称して運んできた大量のネズミを部屋から追い出したり、『お姫様の移動に便利だと思って』とあけた床の大穴にズッポリはまったアミリアを助け出したり、『いいことを思いついて』とネジを一本抜いた椅子に座り後ろに転げたアミリアをすんでのところでキャッチしたり、という仕事だった。
そしてもう一つ、ジルの果たしている大きな役割があった。
彼が来てから、アミリアの生活は少しずつ変わっていっている。
日がな一日、部屋にこもっている生活に耐えられなくなった彼が、天気のいい日にはウズウズと外を見つめ、何か言いたげにアミリアを見る。彼が外に出て日に当たりたいのだと気付いたアミリアは、ともに外へ散歩に出かけるようになったのだ。
護衛が外に出たがるのに姫が付き添うなんて変な話だが、アミリアはその生活を楽しんでいた。
歩き疲れてへばってしまう彼女を、ジルは「俺のせいで外に出たんだから」と必ず部屋まで背負って連れ帰ってくれた。
彼の背中に張り付いているアミリアを見て、城の皆は「お姫様をあんなに疲れさせて」と眉を寄せたが、彼はいつも平気な顔をしている。「毎日ヘトヘトになるから、ベッドに潜り込む瞬間がものすごく幸せになるんだ」と、言って。
そんな信条のせいなのか、ジルは必要以上にアミリアに手を貸すことはない。翼の重みでバランスを失って床にへばっていても、アミリア自身が助けを求めるまでは傍で見守るだけだ。
アミリアは「必要ならジルに助けを求めればいい」という安心感のおかげで、自分で何とか体を起こせないか、あれこれ試してみることができた。
結局はジルの手を借りることが多いけれど、アミリアは彼の「できるところまでは自分でやるといい」という態度をありがたく思っている。あの冒険譚の主人公になったかのような、大きな困難に立ち向かっている気持ちになるからだった。
でも、そんな生活も今日で終わりだ。
ジルの怪我は無事に回復し、明日から軍の訓練に復帰することになっていた。それに伴い、護衛の任を解かれるのだ。
彼はこの部屋を出ていき、アミリアは昔と変わらず部屋の中。ジルが軍に戻ってしまったら、彼と会うことはもうほとんどないだろう。アミリアはそれが残念で仕方なかった。
「一月がこんなにあっという間だなんてね」
素直な気持ちが、口からポロリとこぼれた。ジルは黙っている。
「あ……ごめんなさい。ジルにとっては、復帰は喜ばしいことなのに」
「いいえ。構いません」
護衛として四六時中、傍にいてくれた彼と、いろいろな話をした。と言っても、ほとんどアミリアが彼を質問攻めにしてばかりだったが。
話は主に外の世界のことだ。知らない世界の、知らないたくさんのこと。ジルはどんな質問にも面倒くさがらず答えてくれた。
「前任のマクシムはね、わたしが小さいころからずっと護衛についてくれていたの。腰痛がひどくなって引退したけど。だから、ジルももう少し長くいてくれたらいいのになって。でも、国があなたを必要としてるんだものね。わたしも次の護衛の人と早く仲よくなれるように頑張らないと。次の人もジルみたいにいろいろ話してくれるといいんだけど」
そう言って、アミリアはジルを見つめた。
彼の後ろ、窓の外が赤く染まっている。夕陽にふちどられたジルは、何だか眩しく見えた。
数日後、アミリアは城の大広間の横にある控室にいた。戦の功労者に勲章を授与する式典に出席するためだ。
戦が終わって数か月。国は元の活気を取り戻しつつあり、戦場から戻ってきた兵たちの生活も随分落ち着いてきているようだった。
翼が重いせいで部屋に引きこもりがちなアミリアだが、今日に限っては父から「必ず参加するように」と強く言われていた。それほど重要な式らしい。
準備はてんやわんやの大騒ぎだったが、何とか支度を整え、彼女は控室にやって来た。
「今日の勲章受章者の中には、例の英雄もいらっしゃるんですってよ」
「敵の中に一人で切り込んでいって、首領をやっつけた方でしょう?」
控室でひそひそと話していたのは、アミリアの姉妹である三の姫と五の姫だ。
「そうそう。その方に、わたしたちのうちの誰か一人が嫁ぐかもしれないって噂よ」
「誰が言ったの?」
「城の皆が話してたわ」
「そう。素敵な方だといいけど」
彼女たちは、薄く開いた隙間から受勲予定の者たちを覗き見ている。
「英雄だというからには、きっと強そうな人よね」
「それは間違いないわね」
一の姫はすでに他国へ嫁に行っており、二の姫は先の戦でフリューゲルの味方をしてくれた国に友好の証として近く嫁ぐことが決まっている。だからアミリアの一つ歳上である三の姫は、「次はわたしかしら」と頬を染めた。
そんな姉姫を見ながら、アミリアは少しうらやましくなる。
歳から言えば自分の番でもおかしくないが、彼女には「わたしかしら」だなんて到底思えない。
アミリアに縁談めいたものが持ち上がって立ち消えること五回。「翼がある姫なんて珍しいじゃないか、我がコレクションに加えたい。ぜひ十五番めの妃に」と使いを寄越した某国の変態王ですら、実物を見るなり「翼がこんなにデカいなんて聞いてない」と申し込みを撤回したほどだ。その日、特別に誂えたドレスでめかしこんだアミリアは、まるで道化師にでもなったような気分だった。変態王の餌食にならなくてよかった、と両親も姉妹たちも泣いて喜んだが、彼女の心境は複雑だ。つまるところ変態王にすらそっぽを向かれたのだから。
そんな自分が英雄の妻になんて望まれるはずなどない。
だから姉姫たちほど熱心に覗き見をする気にはなれず、アミリアは離れたところに立って彼女たちの会話を聞いていた。
「どの方がその英雄だと思う?」
「あの方じゃない? ほら」
「どこ?」
「今右手でお尻を掻いた方よ」
「あら、やぁね」
『あの人たちだって、まさかお姫様たちに覗かれてるなんて思ってもみないんだからサ、お尻くらい自由に掻かせてあげてほしいわヨ』
耳元でクッシーが言った。その言葉にアミリアは小さくうなずく。
「あの、右から一、二、三番めの方は?」
「強そうね」
「でも見て。上着の裾が随分ほつれているわ」
「あら。お父様が『まっさらな軍服に身を包んだ人間など信用できない』とおっしゃっていたわよ」
「どうして?」
「土汚れのように洗えば落ちる汚れがついているならだらしない証拠だけれど、着古した軍服は、それだけ長く国のために尽くしてくださったという証だから、と」
「たしかに」
「ほら、さっきの方も。裾はほつれているし色も褪せているけど、決して汚れてはいない。大切に長く着ているんだわ」
「そうね」
二人の話を聞きながらアミリアは、そういえばジルの上着は随分と色褪せていたと思い出す。ズボンの膝もこすれていたけれど、どちらも汚れてはいなかった。父の基準にあてはめるならば、彼は国のために尽くしてくれたよい兵士のようだ。
「アミリア、あなたもこっちへ来て一緒に見ましょうよ」
三の姫に誘われ、アミリアも控室と大広間を繋ぐ扉に近寄る。翼で邪魔をしてしまわないよう、二人の後ろからそっと覗き込んだ。
姉姫たちは、やはりひそひそと話を続ける。
「赤毛の方も素敵ねぇ」
「あら、その奥の方も素敵じゃない?」
「あなたは本当に面食いね」
「そう言うお姉様はガッチリした方がお好きよね」
ウフフ、ホホホと楽しそうな姉姫と妹姫をよそに、アミリアは黒髪の人にじっと見いっていた。ジルだ。ジルがいる。彼は勲章を受けるなんて一言も言っていなかったのに。
アミリアは信じられない気持ちで彼を見つめた。
『あの人がいるネ』
耳元でクッシーがささやいた。アミリアは声を出さずにうなずく。
三の姫の好みほど体が大きくはなく、五の姫の目に留まるには顔の傷痕が邪魔をしているのであろう彼は、大広間の隅で所在無げにしている。
きょろきょろと辺りを見回すその姿にアミリアは思わず笑ってしまった。いつも堂々としているのに、今はまるで別の人のようだ。
――緊張してるみたい。
護衛としてアミリアの傍にいたのはたった一月だが、それでも少しは彼のことがわかるようになっていた。お腹がすくとちょっと不機嫌になるとか、雨の日には体のあちこちの傷が痛むようだとか、そんな些細なことを。
彼はどんな勲章を受けるのだろうか――と想像したところで、そうか、とアミリアは得心した。
戦で大きな怪我をした人は名誉負傷章という勲章を受けることになっている。それでジルもここにいるのだろう。
『お姫様、またあの人に会えてよかったね』
ふいのクッシーの言葉に、ドキリとする。
もう二度と会えないと思っていたのに、また会えた――ちょうどそう考えていたからだ。
『お姫様のお気に入りだもんね』
「何のこと?」
アミリアはコソコソとクッシーに問い返す。
『とぼけなくてもいいのにィ。あたしたち、皆知ってるよォ?』
クッシーが意味ありげに小さな眉を持ち上げたとき、王が控室にやって来た。
「待たせたな」
太い声に、アミリアは振り向く。
「お父様っ」
三の姫と五の姫がすぐに王に歩み寄り、挨拶のキスを交わす。王は相好を崩して彼女たちのキスを受けた。
「やれやれ、会議が長引いてしまった。遅れてすまぬな。退屈していたのではないか」
「いいえ。ちっとも」
「受章者の方々を観察していたので」
「それは俗に言う『覗き見』かな」
「そうとも言うかもしれません」
姫たちと言葉を交わしていた王は、翼の重みで出遅れたアミリアに気付いた。そして彼のほうから近寄り、頬にキスをくれる。
「アミリア、よく来た」
「『絶対に来るように』との言付けをいただきましたので」
「左様」
王はアミリアを見つめ、微笑む。その表情に含みを感じ、アミリアは首を傾げた。けれど王はすぐに目をそらし、扉の向こうを見やる。
「ここで油を売っている暇はなかったな。受勲者の面々も待ちくたびれておるだろう」
『あたしが待ちくたびれたわよォ』
クッシーの漏らす不平に気付くはずもなく、王は慌ただしく正装のガウンを羽織った。彼の身支度を手伝いながら、侍従のフェルディナンドが告げる。
「少し時間がかかるとのことでしたので、城内をご案内しておりました。皆様楽しんでおられるようでしたよ」
「それはよかった」
頭上の王冠の位置を整え終えてから、王はアミリアたちに向かって微笑んだ。くしゃりと顔が崩れ、目尻に深いしわができる。アミリアも姉たちも、この笑顔がとびっきり好きだ。
「わが姫たちも準備はよいかな?」
「ええ、お父様」
「はい」
「もちろんです」
『いいよォ』
姫たちの答えを聞き、王は満足そうにうなずいた。
「それでは参ろうか」
王に続き、三の姫、アミリア、五の姫の順に控室を出た。王妃であるアミリアの母は昨日城内でスッテンコロリして腰を強打したため、部屋で安静にしている。
姫たちはしずしずと歩いてそれぞれ決められた椅子の前に立ち、王に続いて静かに、かつ優雅に腰を下ろした。
アミリアは普通に座ろうとすると翼を椅子の背もたれに引っ掛けてしまうので、侍従が翼の位置を整えてくれる。椅子に座りドレスの膝元を整えて正面を見据えたアミリアは、視界の端にその人の姿を捉えた。
でも、まっすぐ見ることはできない。さきほどのクッシーとの会話のせいで、頬に突き刺さりそうなほどジルの視線を感じているのに、目を合わせられなかったのだ。
すぐに王が功労者たちの名前を一つ一つ読みあげていった。
横一列に並んだ彼らは、名を呼ばれると王座の前に進み出て恭しく礼をし、王から勲章を受け取る。その列の中央くらいに、一際体の大きな人がいた。腕や胸の筋肉がモリモリとしていて、上着の縫い目は今にもはちきれんばかり。顔もいかつくて、いかにも強そうだ。
アミリアは、彼が英雄とやらに違いないと思った。三の姫は筋肉好き、五の姫は面食いだから、姫の希望が通るならば三の姫が彼と結婚するかもしれない。
列の端に立つジルの番は最後だった。彼はアミリアの予想どおり、名誉負傷章を受ける。王が上着に勲章を取り付けている間も、ジルの視線はアミリアに向いていた。
「それでは、最後に――」
全員の胸に勲章が付けられたところで、王が朗々と言った。
「ここで此度の戦の最大の功労者に敬意を表したい」
王はいったん言葉を切り、前に並ぶ受章者たちを端から端までゆっくりと見た。
アミリアは件の体の大きな人を見つめる。けれど王の口から飛び出したのは、予想外な名だった。
「皆、ジル=ブノワに盛大な拍手を」
――お父様、今「ジル」っておっしゃった?
アミリアは呆気にとられたまま王とジルを交互に見つめた。
割れんばかりの拍手の中、ジルが再びゆっくりと歩み出る。大広間の高い窓から差す陽の光が彼を照らし、つやつやと光る黒髪が彼の動きに合わせて揺れた。
王はジルに向かってにこやかに言う。
「見事な活躍であった。たった一人で敵陣に切り込み、敵将を討ったと聞く。そなたの働きがなくば、今この瞬間もどこかで同胞の命が散っていたはずだ。感謝する」
真剣な表情で話を聞いていたジルは、王が言い終わると深々と頭を下げ、低い声で「もったいなきおコトバにございます」と答えた。
『何だか、言わされてるって感じネ』
クッシーがつぶやく。アミリアもちょうど同じことを思っていた。言葉は丁寧だが、言い方がジルらしく、どことなく力が抜けている。
そんな彼の胸に、王が二つめの勲章を授けた。最高栄誉賞という名の、一際大きくて立派なものだ。歴史上でもこれをもらった人は両手で足りるくらいしかいない。それほどの賞をこの若さで受けるのは、彼が初めてに違いなかった。
――ジルが最高栄誉賞だなんて。
アミリアがまだ信じられない思いでいるうちに、フェルディナンドがジルの功績を読み上げ始めた。
危ういところで上官の命を救い、戦闘に巻き込まれそうになっていた村の人々を全員無事に逃がし、身軽さを生かして斥候として敵情を探り、適時に必要な情報をもたらし、地形を生かした戦法を提案し……と連ねられた功績は長く、今日中に読み終わらないのではないかと心配になるほどだ。
『長いよゥ。もっと短くできないのかなァ』
すっかり飽きてしまったクッシーが地団駄を踏みそうになる――浮いているので踏めないが――ころ、ようやく読み上げが終わった。
ジルはもうアミリアを見てはおらず、まっすぐに王を見つめている。
王が王座に戻り、両手を広げて朗々と言った。
「其の方にはどれほど感謝しても足りぬ。聞くところによれば、決まった相手はおらぬとか。そこでどうじゃ。我が美しい娘たちのいずれかを娶らぬか。そなたほどの才のある者であれば、大切な娘を安心して託せるというもの」
王の言葉を聞きながら、アミリアは唇をキュッと引き結んだ。
胸がズキンとする。
痛い、と自覚して、アミリアは「ああ」と気が付いた。どうやら自分は、彼に特別な感情を抱いているらしい。
英雄である彼が、姉か妹のどちらかと――つまり、自分以外と結婚してしまうことを悲しく思う類の感情だ。
冒険譚ばかり読んできたアミリアにも、それが何という名の感情なのかはわかった。……わかったけれど、どうしようもない。
――ジルは姉様を選ぶかしら。それとも、妹を?
姉は穏やかでかわいらしい性格、妹は評判の器量よしだ。どちらも自慢の姉妹だが、今はそれが切ない。
アミリアの視線の先で、ジルがゆっくりと口を開いた。
「では……」
ごくり。
広間中の人間が唾を呑む音が聞こえた。
「四の姫アミリア様には、すでに決まったお相手が?」
意外な名が出たので、三の姫も五の姫も、フェルディナンドも警護の兵たちも、それに広間に集まった功労者たちまで、皆一様に驚いた顔をした。
けれど一番驚いたのはアミリア自身だ。
あまりの衝撃に翼の重さを忘れて立ち上がろうとしてしまったが、尻をほんの少し浮かせただけで、また椅子に沈み込む。
広間が完全な沈黙に包まれた後、王がゆっくりと問うた。
「アミリアに決まった相手はおらぬが……では、アミリアを妻に望むか?」
アミリアってあれだぞ。あの端っこの椅子に座っている姫だぞ。翼ある奴だぞ。名前を間違ってやしないか、と同僚らしき兵がジルを肘でつつく。
声が聞こえたわけではないが、おおかたそんなことを言っているのは間違いない。
だがジルの目は、まっすぐにアミリアを見つめている。だから彼が人違いをしているわけではないと、アミリアにはわかった。
ただ、どうして彼がそんなことを言ったのかが理解できない。
「彼女も望んでくれるならば」
ジルが低い声で答え、広間中の視線がアミリアに集まる。
こんなふうに注目されるのは初めてで、アミリアの頭の中は真っ白だ。信じられない思いで、ただジルを見つめた。
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