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第四章 深夜の羅城門
31 都の外れの魔京
しおりを挟む深夜の羅城門など、来たい所ではない。
まして、若い女の身で、たったひとりで……。
鬼が出る、とか、盗賊団の根城である、とか、疫病が流行った時は死体捨て場である、という噂まで流れている。
しかし、菅公、菅原道真の怨霊は、確かに、羅城門を宿りにしていると言った。菅公が鬼というのは、それはその通りである。
羅城門は、朱雀大路の南の外れにある。
この内側が洛中、外側が洛外。
羅城門は、都の、内と外を分ける門なのだ。
同時にそれは、魔境との結界……。
満月の月が、大路を煌々と照らしていた。
丹塗りの柱が、何本も、太く聳えている。
羅城門は、沙醐が生まれる前に二度ほど、暴風雨で倒壊し、現在は完璧な姿ではない。が、その威容は、充分に伝わってくる。
……「胸が華やぐほどにあかい巨きな柱に、下からはよう見えぬが、な、緑青を噴いたような、それはそれは鮮やかな、碧の屋根」
父がよく話してくれた、ありし日の羅城門の雄姿である。
決して近づいてはならぬと教えられた、都の外れの、魔境。
ふと、沙醐は、耳をそばだてた。
門の上階の楼から、笛の音が流れてくる。
沙醐の知らない曲であった。
それにしても、なんと哀切で、なんとしみじみと人の心に染みわたる曲であろう。
「沙醐」
至近距離で名を呼ばれ、沙醐は飛び上がった。
稲妻も見せずに現れた雷神、菅原道真が、両目をぎらぎらさせながら立っていた。
「ああ、びっくりした。いきなり現れないでくださいよう」
「すまなかった。って、お前は、わしに会いに来たんじゃなかったのか?」
「そうです。そうですけど」
沙醐は耳を済ませた。
笛の音は止んでいた。
「もう。菅公が驚かせるから、笛がやんでしまったではありませんか」
「ふん」
菅公は、太い鼻息を噴き出した。
「あのような素晴らしい笛の音、沙醐は、初めて聴きました。せめて、もう一曲、聴いていたかったのに」
「笛の主は、もうおらん」
菅公は、ぼそっと言った。
「あやつとお前を会わせるわけにはいかぬ。だから、わざわざ出向いてやったのだ」
「そのお方とは?」
「大変な美青年だ。管弦の技量も確か。人の心を奪い去る。あのような男にお前を近づけたら、蛍邸の連中に、何と言われることか」
そのような方なら、是非、お会いしてみたかった、と、先日の宴で、平安貴族というものに心底失望した沙醐は、しみじみと思った。
「女にとっては、男は、ブサメンで、不器用な方が安全なのだ」
馬鹿にしきったように、菅公が言う。
「はあ」
「ところで、沙醐、何か用があるのだろう? わざわざこの時間に、この羅城門を訪れたからには」
「漂の君のことです」
「漂の君?」
「帝の兄上のご息女です。あなたが、糺の森で捕まえた……」
「ああ、あれか!」
ようやく、菅公は思い出したようだった。
「で、あの娘の、何が知りたいのじゃ?」
聞かれて、沙醐は、大きく息を吸った。
漂の君に、直接聞けば、もちろん、答えてくれるだろう。
けれど。
……「私は、誰からも愛されない定めにございます」
こんな辛いことを口にする少女に、どうやって問えばいいのか。
「皇族でありながら、どうして漂の君は、宮仕えになど出ておいでなのですか? 皇太后のところへ」
「その話か」
さもつまらない、というように、菅公は答えた。
「お前、今の帝が、次男であることは知っているか?」
全く関係のないことを問う。
「いいえ」
「この国の帝は、長男の即位が原則だ。それは?」
「そうだったんですね」
「なんだ。何も知らないんじゃないか」
雷神、菅公は、呆れたように、沙醐を見た。
さすがに、沙醐もきまりが悪い。
「今の皇帝には、華海親王という兄上がおられた。この方が、長男だ。本来なら、帝位は、華海親王のもの。しかし、実際に即位したのは、次男であられる一畝親王だった」
「華海親王は、亡くなられたそうですね」
「つい最近のことだ。華海親王は、自ら即位されることなく、帝位は、弟に譲った」
「なぜです?」
「興味がなかったんだろうよ」
あっさりと、菅公は言った。
「それか、めんどくさかったか」
「めんどくさい?」
そんな理由で、即位しない皇子がいるのだろうか。
「自由を束縛されることや、政治的な面当て、やっかみや嫉妬……即位しなかったのは、英断だったと思うぞ」
「でも、漂の君は……」
父が即位しなかったから、漂の君は、宮仕えをしているのだろうか。
「違うな」
「じゃあなぜ、皇族の身でありながら……」
「順を追って話そう」
菅公は、古びた木の枠に腰を下ろした。
ここに座れと、隣の木材を叩く。言われるままに、沙醐は、雷神の隣に座を占めた。
「弟の一畝親王が即位する直前、華海親王は、出家された。新しい帝に、二心無きことを示すためじゃ。出家の身であれば、生臭い政争に加担し、弟の帝位を脅かすこともなかろうからの。ここまでは、よくある話じゃ」
菅公は、ため息をついた。
「問題は、僧形となったにも関わらず、華海親王は、一向に、女遊びが収まらなかったことじゃ」
「女遊び?」
思わず沙醐は問い返す。しかつめらしく、菅公は頷いた。
「うむ。幼馴染の女と関係をもっての。女の子が二人も生れたのじゃ」
「それが……」
「下の娘が、漂の君よ」
なるほど、と、沙醐は思った。
……あれ?
「上のお姉さんは?」
「今も普通に、皇族として暮らしておる」
「じゃ、下の妹……漂の君だけが、宮仕えをしておられるのですか?」
「そうじゃ」
あっさりと、菅公は肯定した。
「なぜ?」
「さあな。それは、わからぬ。とにかく、妹の漂の君は、生まれるとすぐ、とある女房の元に、里子に出されてな。大きくなると、そこから、皇太后の局に、出仕した」
自分は、親に愛されないと、漂の君は話した。自分に自信がなければ、御所での生活は辛いものになると、カワ姫は言う。
最初の自信は、親から愛された経験から生まれると、沙醐は思う。
沙醐は、父に愛されて育った。少なくとも、沙醐が武芸に秀でているのは、父の薫陶のおかげだ。
「そうだったんですね……」
しみじみと、沙醐はつぶやいた。
……漂の君を、蛍邸に連れてきて良かった。
カワ姫や迦具夜姫、一睡が、彼女に注いでいるのは、正確に言うと、愛情ではないかもしれない。
というか、あの人たちが何を考えているか、沙醐には、いまひとつ、とらえ切れない。
だが、愛情に極めて近い何かであることは、間違いない。そしてそれは、同じ血が流れる者よりも、よほど強い思いである。
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