生き須玉の色は恋の色

せりもも

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第三章 月からの使者

22 姫君たちのレッスン 2

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 「カワ~。あなたの講義、終わった~?」
 その時、色鮮やかな衣をなびかせ、ふらりと、迦具夜姫が入ってきた。
「次は、私の授業よ~」

「お前の講義は、有害じゃ」
きっとなって、カワ姫が、迦具夜姫に矛先を向ける。

「何よ!」
即座に、迦具夜が睨み返す。
「私は、素晴らしい教材を用意したのよ!」

「教材?」

 迦具夜姫は、華やかな気配漂うふみを取り出した。
「ほら、見て! 漂の君に、付け文が」

「えっ!」

一睡をそっちのけで、沙醐とカワ姫は、迦具夜姫のそばににじり寄った。

「なんと。あの、師直からではないか」
驚いたように、カワ姫がつぶやく。


「あの、橘師直殿でございますよね?」

 漂の君に焦がれ、でも、文ひとつ書けずに、恋の辛さに、生き須玉となって、さ迷っていた師直。
 ……ついに、あの朴念仁も、文を書いたか。
 信じられない思いで、沙醐も問い返す。


 水茎の跡も麗しい文を手渡され、漂の君は、おずおずと、周囲を見回した。

 迦具夜姫が、力強く頷いた。
「恋文よ。開けてごらん」

 一瞬、困ったように眉を顰め、それでも漂の君は、きれいな薄桃色の和紙で包まれた手紙を開いた。
 焚き染められたほのかな香りが漂う。

「まあ。なんてきれいな字。まるで流れるよう……」
うっとりと、漂の君がつぶやいた。

「そうでしょう?」
迦具夜姫が、大きく頷く。
「書いたのは、百合根だけどね」

「?」
 一同、首を傾げる。一人、迦具夜姫だけが、得意げだ。

「漂の君がここに通っていると聞いてね。師直は、がぜん、やる気を出したのよ。だけど、どうしても作文ができないって、百合根に泣きついたの。百合根ったら、張り切って、書いてたわ。サーヴィスで、和歌まで詠んであげたのよ? ほら、ここ」

迦具夜姫は、喉の調子を調えた。

「♪ともに白髪の生えるまで~」
きれいな声で、謳い上げる。


「うーーーーむ」
カワ姫が唸った。

 沙醐も、呆れた。大事な恋文を、人に書かせるとは! だから、きっぱりと断言した。
「漂の君のお相手として、師直様は、ふさわしくありません」

「そうよね。でも、すべて、織り込み済みよ」
迦具夜がにっこりと笑った。なんだか、邪悪な笑みだ。人さし指を突き立て、彼女はのたまった。

「第七課。『正しい男のフリ方』」

「……正しい男の……、フリかた? ですって?」
 沙醐の口が、あんぐりと開く。

「そうよ。言い寄ってくる男が、みんな、ステキな男性とは限らないわ。自分のシュミに合わなかったら、袖にしなくちゃ。ま、とりあえず、喰ってみるというやり方もあるけどね。でも、漂ちゃんには、合わない気がするの」
「当たり前です!」

「その場合は、ほら。きちんと、お断りしないと」
「……はあ」
「でも、相手がストーカーみたいになっちゃったら怖いでしょ? だから……」

黒い笑みを、迦具夜姫は浮かべた。

「二度と近寄れないと、相手の男に思わせるような、徹底的、かつ、完膚なきフリ方を、私が、漂ちゃんに、伝授してあげるの。私達のような美しい女性には、ぜひ、必要な技術よ!」


「うむ。確かに迦具夜は、適任じゃ」
カワ姫が、大きく頷いた。沙醐もその通りだと思う。
「漂の君のような、男けの技術は、必要かもしれませんね」

「こそ?」
迦具夜姫が、怪訝そうに首を傾げた。

すかさず、カワ姫が言い募る。
「漂の君に悪い虫がつかないようにする為にも、その講義は、必要かもしれん」

「悪い虫?」
迦具夜の顔が、意地悪くほころんだ。
「カワは、虫愛ずる姫でしょ? 『悪い』とついただけで、嫌うなんて。だいたいあなたは、食わず嫌いなのよ」

「『悪い虫』は、虫ではない!」
カワ姫が凄んだ時だった。


 「ちょっと! 何、取り込んでるのさ」
すぐそばで、一睡の声がした。
「火、点けちゃったよ。待ちきれなくて」

沙醐が見ると、庭で、巨大な焚火が燃え盛っている。

「一睡様! なんてことを!」
「どう? 凄いでしょ? さあ、漂の君、」

伸ばされた一睡の手を、迦具夜姫が振り払った。

「何言ってんの、一睡。漂ちゃんは、私のレッスンを受けるのよ。さあ、漂ちゃん、いらっしゃい」
強引に、漂の君の手を引っ張る。

「教材が新鮮なうちに、……じゃなくて、文を貰ったら、なるべく早く返事を書かなくては、失礼でしょ?」
「はい」
「だから、いらっしゃい、漂ちゃん」

「ダメ! 漂の君は、マロと一緒に、イジメっ子どもを調伏するのっ!」
一睡が地団駄踏んだ。

「一睡様、加持祈祷と言うか、相手を呪うような真似は、どうでしょう……」

「ほら! 漂の君もこう言ってるわ。さささ、いたずらっ子の一睡なんて放っておいて、私の部屋へ行きましょう」

 一睡を申し訳なさそうに見つめ、漂の君は、軽く頭を下げた。迦具夜姫に引っ張られるように、部屋を出ていく。

「う、う、う……」
一睡が、変な声を出した。
「盗られた……漂の君を、迦具夜に盗られたっ!」

「仕方ありません。悪い虫がつかぬように……」

「虫?」
「いえ、カワ姫。悪い男でした。男避けの技術は、漂の君には、ぜひ、必要な護身術です」

「……仕方ない」
ようやく、一睡も納得したようだった。


「一睡。だいぶ景気よく燃えておるぞ。火に、油でも注いだか?」
 庭に目をやり、呑気な声で、カワ姫が言った。

「わっ! 大変!」
 沙醐は飛び上がった。短時間で火は、驚くほどの勢いで、薪全体に回り、大きく炎を上げている。
「一睡様。庭が燃えます!」

「大丈夫だ。よく考えてみれば、当事者がいなくても、加持祈祷はできるんだ」
「……そこですか」

 沙醐は脱力した。

「だから。ほら、沙醐。これ」

 一睡が、何かを押し付けてくる。丸い輪っかを、重い鉄の棒で繋いだものだ。全長で一寸(約30センチ)もないくらいのものだが、結構、重い。
 受け取り、危うく肩が抜けそうになった。

「落とすなよ」
「いきなりこんな重いものを押し付けないで下さい。足の上にでも落ちたら、怪我するじゃないですか」
「だって、お前は、強いのだけが取り柄だろ?」
「力持ちとは違います!」

沙醐はむくれた。

「なんです、これ?」
「決まってる。とっこだ」
「とっこ?」

「真言(呪文)は、マロが美声を披露するから、任せてくれて大丈夫。お前は、それを持って、踊れ」
「はあ? 踊る?」
「意地悪ババア共を、調伏するのだ。さあ! 加持祈祷を始めるぞ!」

「ちょっと待て」
カワ姫が聞き咎めた。
「その、意地悪ババアというのは、よもや、妾は入っておるまいな。迦具夜は入っておっても」

「二人とも入ってないよ」
けろりとして、一睡は答えた。まるで子どものように(子どもだが)、純真無垢な顔をしていた。

「一睡様」
せいいっぱいの抵抗を、沙醐は試みた。
「人を調伏するなど、野蛮な行いです。お優しい漂の君は、陰で人を陥れるようなあさましい所業を嫌がっておられたではありませんか」

「漂の君が? いつ?」
「さっき」
「そうだった?」
「そうでした!」

「だが、イジメっ子らに対して、お前は何ができる?」
大真面目で、一睡は沙醐を見つめた。
「沙醐は、漂の君に、何をしてあげられるんだ?」


 言われて、沙醐は考え込んだ。
 確かに、職場のイジメには、手が出しようがない。うっかり介入すると、漂の君の立場が悪くなることにもなりかねない。


 一睡が大きく頷いた。
「気の毒な漂の君にマロらがしてやれることは、仏に祈ることだけなのだ。大丈夫だ。イジメっ子のことなら、心配いらぬ。仏がきっと、イジメっ子どもにとっても、寄り良き道を示してくれるはずじゃ」

 なんだか言いくるめられたような気がする。だが、一睡の言うことは、正しい。漂の君になにかしてあげたくても、今は、何もしてあげられない。
 祈ること以外。





 その日。
 沙醐は、変な調子の一睡の呪文に合わせて、鉄製の重い法具を持ったまま、くたくたになるまで、炎の周りを踊り狂ったのだった。






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