生き須玉の色は恋の色

せりもも

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第二章 虫愛ずる姫

18 青い生き須玉

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 「それで、連れて来ちゃったの?」
しきりに爪を気にしながら、迦具夜が言う。

「はあ、もう、何やなにやら、大混乱で」

「そもそも、なぜまた、梅屋敷になぞ行ったかのう」
カワ姫がしたり顔で言った。

「なぜまた、って、私は、姫様のご命令で、あの人外魔境へと連れて行かれたんですよ?」
「妾は、梅屋敷へ行けとは、一言も言ってはおらぬが」
「メメやオケラたちと一緒に虫取りに行けって言ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」

「虫取り!」
カワ姫は、はたと膝を打った。
「そうじゃ、虫取りじゃ。で、収穫はあったか?」

「あるわけないじゃありませんかっ!」
「まさか、手ぶらで帰ってきたというのか?」


 「収獲は、この生霊だよ」
躍り上がらんばかりにして、一睡が言う。

 さっきから、しきりと漂の君の生霊の周りを飛び跳ね、うつむいたままのその顔を、しげしげと覗き込んだり、髪の毛の匂いをかいだりしている。
「近年にない収獲じゃないか。沙醐、でかした」

「一睡様。生き須玉というものは、ちゃんと人の形をしているものなんですね」

 これは、皮肉のつもりだった。菅公が捕まえれば、ちゃんと、人型をしている。
 青い、少女の姿をした、生き須玉……。

「それは、この子のウデがないせいよ」
迦具夜が割って入った。
「前から思ってたんだけど、むしりとられた生霊の一部というのは、ほんとに、気の毒なものね」

「うるさい。網の柄が短いせいだ。いつも、ほんの少しのところで、本体に逃げられるんだ」

「いいか、沙醐、今後、虫取りに行って、収穫なくして帰るのは、まかりならぬ……」
これは、カワ姫。

「虫取りにはもう、行きません!」
沙醐は、思わず声を荒らげた。
「それより、この姫さまです!」

「そうよ。どうするつもり?」
と、迦具夜。

「この方は、悩んでおいでです。誰からも愛されることがないと。親御様からも打ち捨てられてしまったと……」
思わず、声が詰まった。

「生き須玉の青は、自分を責める色」
歌うように一睡が言った。

「自分を……責める?」

 沙醐は思わず、少女を見た。
 青い生き須玉は、一層青くなり、その表情さえわかりにくくなっている。まるで、自分の全てを消し去りたがっているようにさえ見えた。

「かわいそうに。自分に自信がないのだな。それで全ては、自分が悪い、自分が原因だと思い込んでしまっている」
珍しく、しんみりと言い、カワ姫が首を横に振った。

「そんな……」
沙醐は絶句した。

 誰からも愛されないのも。
 親から捨てられたのも。

 全ては、自分のせいだと、自分が悪いからだと、この少女は、自分を責めているというのか。


「男よ!」
素っ頓狂な声を、迦具夜姫があげた。
「男に、うんと褒めてもらうといいわ。私にへばりついてくるのを、適当にみつくろってあげる。いくつ欲しい?」

 瞳をきらきら輝かせている。
 迦具夜姫は確かに美しい。だが、非常に邪悪な美しさであることに、今、沙醐は、気が付いた。
 清純な漂の君との差が、歴然としているのだ。

「みつくろってって、大根じゃないんですから。この姫さまには、幸せになってもらいたいんですよ……」


 恐怖の梅屋敷からの逃避行の間中、漂の君は、一言も発しなかった。
 途中沙醐が気遣って声を掛けても、怯えたように頷いたり、首を横に振ったりするだけ。
 しかし、沙醐が転んだ時は、心配そうにそばにしゃがみこみ、泣きそうな顔で、助け起こそうとしてくれた……。

 いつしか沙醐は、漂の君を、妹のように感じていた。


 「私の男は、大根……」
迦具夜姫の姿が、ふっ、と消えた。

「あっ、迦具夜姫さま……!」
「心配しないでよい。この女は、意に染まぬことがあると、すぐに姿を消す」
忌々しげに、カワ姫が言った。

「私はまだ、ここにいるわよ。悪口を言ったら、承知しないから」
誰もいない空間から、声がした。

「別に、姫さまのことを、悪く言ったわけではございませんよ」
慌てて、沙醐は弁解する。

「でも、私の引っ掛けてくる男のことは、よく思っていないでしょ? 漂の君を幸せにすることもできないような、ヘタレばかりだと、思ってるんでしょ」
「それは、まあ」
「ふん」
迦具夜姫の機嫌は直りそうもない。


 「ヌシには、決まった殿方がおらぬからのう。とっかえひっかえしてばかりで」
カワ姫までもが、ダメ押しをする。透明になった迦具夜姫が激怒した。

「なんですってぇぇぇぇぇーーーーーっ! 全くいないよりマシでしょっ!」
「いっそすがすがしいわ。クズを掴むより」
「大根の次はクズ? ひどい! あんまりだわっ!」



 「ね、あなたのことを、一生懸命思ってくれている殿方がいらっしゃるのよ」

 言い争う二人の姫を放っておいて、沙醐は、漂の君の生霊に話しかけた。彼女は、恥ずかしそうにうつむいてしまっている。

「そのお方はね、あなたを思うあまり、魂が体から飛び出してしまうほどなの」
 それがどういう「殿方」かは、この際、話す必要はないだろう。

「……」
 漂の君の生霊は、信じられないという風に、沙醐を見た。そのふっくらとした唇が、何か言いたそうに、細かく震えた。

「あなたは何も、悪くない。親から好かれなくたって、別にいいじゃない。ほかの誰かが、あなたを、愛してくれるわ」
沙醐は小さな声で付け加えた。


「ねえねえ、見てよ」
 さきほどから一睡は、うっとりと無遠慮に、漂の君を眺めている。
「なんて美しい生き須玉だろう。透き通るように青くて、きれいな人型で。この上は、永遠に苦悩とやらを続けてもらって、マロの至高のコレクションのひとつにしたい」

「一睡さま!」
「じょ、冗談だよ」
「あなたが言うと、冗談に聞こえません。いいですか、一睡様。この方の生き須玉に手を出すことは許しませんからね」
「わかったよ……」

 沙醐のあまりの剣幕に、しぶしぶ、一睡は頷いた。
 まだ未練がまし気に、漂の君の生霊の周りをぐるぐる回っている。

「一睡様!」
「見てるだけ!」
「その目つきが気に入りません!」
「ひどい。ひどいよ、沙醐」
「いいから、漂の君から離れてください」
「ちぇっ、つまんないの。いいよ。百合根と遊ぶから」

 一睡は邸の奥に向かって、大きな声を張り上げた。
「百合根、ゆりねー!」

 カワ姫と、姿を現しかけた迦具夜姫が、はっとしたように一睡を見た。

 「なんでございますかー」
間延びした声が戻ってきて、筋張った指が垂れた布を押し上げた。
「あらまあ、皆さん、お揃いで。何か楽しいご相談?」

 百合根はぐるりと一同を見渡し、漂の君の上に目を止めた。
 ゆっくりと息を吸った。
 そのまま、ひっくり返った。






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