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仕組まれた運命の罠 2

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 渋沢が、弾かれたように笑った。
「安心するがいい。あれは、純粋なフロレツァールだ。比較対象用の、平凡な鳥だよ」

「……信じていいんだな?」

「疑い深いな。遺伝子組み換え実験は、これが、最初ではない。そして、過去の実験の悉くが、失敗に終わっている。国立DNA研究所側も、それを知っているから、今まで強引な手段を取らなかったのさ。どうせまた、今回も失敗なのだろう、組み換え生物は死んだのだ。あの鳥は、だからどうせ、ただのフロレツァールなのだ、と予想して」

 深い安堵が、溂の全身を覆った。
 七緒の遺伝子検査に応じても大丈夫な、確約が取れたのだ。
 七緒が普通の鳥だとわかれば、もう、国立DNA研究所から、引き渡しを求められることもなくなるだろう。

 渋沢が口元をゆがめた。
「あれは、ただのフロレツァールだ。遺伝子組み換え卵の番いになる筈だった」

そんなことだろうと思った。
冷たい声で、溂は言った。
「えらく人為的な番いだな。あんたらが同時に孵化させようとしただけじゃないか」

「そうとも言える。だが、仕方がない。今ではフロレツァールの大半が、そうなんだから。野生のフロレツァールなんて、ほぼ、絶滅している。現在のフロレツァールは、人の手で繁殖させられているんだ」

「ひとつ、聞いていいか?」
ためらいながら、溂は尋ねた。
「七緒の相手の、……人の遺伝子が組み込まれた卵は、メスだったのか?」

「なぜそんなことが気になる」
「……」

 答えられず、溂はうろたえた。

 渋沢が、口の片端を上げた。
「ははあ。君は、自分が、男であることを気にしているのだな。男で、人間であることを。フロレツァールの、子孫が残せないことを」

 今度こそ、渋沢は爆笑した。
「あれは、遺伝子組み換え卵の番いであると同時に、比較対象用の鳥だったんだよ!」
「比較対象……用?」
「そうさ。ヒトの遺伝子がどう発現したか、比べる為のね!」

 諸条件を揃えなければ、比較はできない。性別もまた。
 憤然と、溂は叫んだ。

「……受精卵も、オスだったのか! 最初から、オス同士で番わせる気だったのか!?」
「さあね。いずれにしろ、組み換え卵は、誕生前に死滅してしまった」
「……死んだ?」
「研究所の予想通りにね」
「だから……、七緒の卵を、森に捨てたのか?」
「ご想像にお任せする」

「ひどい!」
溂は叫んだ。
「七緒がかわいそうだ! おかげで、あいつは、妙な刷り込みをされてしまったじゃないか!」

「妙な刷り込み?」
渋沢は、肩をすくめた。
「そんなことはなかろう? 君たちは……君もフロレツァールも……お互いに、最良の伴侶を得ただろう?」
「勝手なことを……」

「七緒という鳥にとって、君は、運命の相手だ。それは、間違いない。彼は、生涯、君だけを愛し続ける。それも、間違いない。でもそれは、最初に、刷り込みがあったからだ。……黙って!」

 思わず食ってかかろうとした溂を、渋沢は押し留めた。

「考えてみてくれ。そもそも、フロレツァールにとって、刷り込みは、何の為にあると思う? ……繁殖の為だよ」
「だが、あんたは、オス同士で番い形成をさせようとしたじゃないか!」

「無秩序な繁殖をさせないための措置だよ。遺伝子組み換え生物の繁殖は、試験管で管理したいからね」
「……」

「フロレツァールにとって、刷り込みは、この地球に、子孫を残すためにある。少ない個体が、効果的に子どもを残せるように、生まれてすぐに、相手を確保する為だ。つまり、刷り込みとは、まさに繁殖のためにあるんだ。だが、七緒はどう言った?」

 ……繁殖の為なんかじゃない。好きだからやる。溂が好きだから、僕は、溂とやる!

 溂の頬に、音を立てるようにして血が登った。
「おっ、お前、そこまで聞いていたのか!」

「だから、聞こえてしまったと言ったろう?」
渋沢はにやりとした。
「彼にとっては、誰でも良かった……君は、それが、そんなに悔しいか?」

 ……あの日、あの時、あそこにいたのなら。俺でなくても……カラスや野うさぎや、ボールや自転車だって、あの場にありさえすれば、なんだってよかったんだっ!

 そして、七緒のびっくりしたような目。
 風呂場の外へ出ていく後ろ姿の、みじめに濡れてひきずられた尾羽。

「……」

「全ては仕組まれた運命の罠だ。だが、恋というものは、そういうものじゃないのかい? ある日突然、致死性の伝染病のように感染する。気がついた時には、手遅れだ。おとなしく受け容れるしかない。死がその床を訪れるまで」
「……変な例えをするな!」

「申し訳ない。こういう思考しかできないもので。でも、私は満足している。自分のやったことが、なんらかの結果に結びついたことに。おお、そうだ」

 唐突に彼は、体を前に傾けた。上着のポケットを、ごそごそと探っている。
「これを、渡しておこう」
耳栓のようなものを差し出してくる。

「なんだ、これは?」
「特定の周波数を拾うことができる補聴器だよ」
「そんなもの……」
「いらないなら、返してくれ。フロレツァールの言語の周波数に合わせたものだ。君も聞いてみるといい。もっとも、理解できるとは限らないがね」

 溂は補聴器を握りしめた。自分の服のポケットに押し込む。
 渋沢が、うっすらと笑った。

「野添君。『フロレツァール』という名称の、語源を知っているか?」
「発見者の名前に因んだんだろう? フローレンツ、なんたらとかいう」

「そうだ。フロレツァールは、もともとは、『フローレンツ』という名前だったんだよ。それに、幸せを呼ぶという鳥の名前が合わさったんだ。フロレツァールもまた、人類に福音を齎す鳥だ。だがそれは、決して、遺伝子組み換えなどという、乱暴な方法ではない」

 立ち上がった。
「さてと。もう、帰らねば。紅茶をごちそうさま」
「おい、話はまだ終わってない」

「私に関しては、言いたいことは、全部言い終えた。さようなら、野添君」
「いや、ちょっと待て」

「早く帰らなければならない。私の帰りを待っている者がいるのでね」
 なんともいえない柔らかい笑みを浮かべて、渋沢は言った。
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