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子煩悩な恐妻家

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 「なあ。どうなってる、例の件」
駅への道を並んで歩きながら、敬介が尋ねた。

「例の件?」
「だから、番いの」
「ああ」
「ああ、って。もしかして? すでに、やっぱり?」

 敬介は、立ち止まった。

 先を歩きながら、溂は言う。
「すでにやっぱり、って、何だよ。何もないよ。あるわけないだろ」

 後ろから敬介が走ってくる。
 溂と並んで歩き、しつこく話しかける。

「だって、あの法則があるだろ」
「あの法則?」
「だから、卵から孵って最初に見たものを、番いだと認定する、ってやつ」

「ガセだな」
軽く溂は言った。
「言ったろう? 遺伝子からじゃわからないこともあるって」
「だって、お前、あいつに組み敷かれてたじゃないか。俺が前に、訪ねていった時」
「しつこいな。あれは、ふざけていただけだって、何度も言った」
「ふざけて? とてもそうは見えなかったが」
「だってお前、羽の下までは見えてなかったろ」

 早くこの話を終わらせたかった。
 不機嫌を露骨に見せて、溂は言った。

「あいつはただ、俺に乗っかってきただけだ。大方、新しい遊びでも思いついただけだろう」
「だってお前、心当たりがあるって言ってたじゃないか。突っ込まれる側だっていう自覚があるって!」

「ない! お前が勝手に決めつけただけだ」
きっぱりと溂は言った。

「ふうん」
敬介は、怪しむような目をした。
「でもあの鳥は、お前のことが、大好きなんだろ?」
「は?」

「あいつは、俺を襲ってきやがった。一生忘れんぞ。大事な髪の毛を、大量に抜きやがって。あれは、明らかな嫉妬だね」
「嫉妬なもんか。お前が、いわれなき疑いをかけたからだ」
「今日だって、お前の後をついて、どこまでも飛んできたんだろ?」
「俺が、唯一の保護者だからな」

 軽く溂は答えた。だが、敬介は、しつこかった。

「吊橋が落ちたら、助けてくれたんだろ?」
「それは、七緒が、優しいからだ。自分の目の前で人が苦しむのに、耐えられないから」
「ふうん」

 敬介は、怪しむような目をしている。
 溂は、焦った。

「俺だって、一緒に住んでるやつの身に危険が迫ったら、それくらいのこと、するよ?」
「自分の命をかけて? あの体重で、二人分を支えて飛ぶのは、さぞや大変だったろうよ」

 まさしく、火事場の馬鹿力としかいいようがない、と、溂も思った。
 空を飛ぶフロレツァールは、同じ身長の人間より、体重が軽い。
 それなのに、溂の体までぶら下げて飛んだ。
 途中、風に煽られても、決して、落とさずに。
 溂の危険を見て、我を忘れ、あのような、信じられないほどの力が出たとしか思えない。

「馬鹿な鳥だよ……」
思わず、溂はつぶやいていた。

「は? お前、命の恩人対して、あまりに恩知らずな発言だぞ」
「敬介にだけは言われたくない。……俺は、ナナが、俺のために死ぬところなんか、見たくないんだよ」
「はあ」
「七緒には、苦しい思いをさせたくない。ただ、幸せに生きていってほしいんだよ」

「……溂」
 敬介は、溂の前に回った。
 じっと目を覗き込んでくる。
「お前、まさか、あいつのこと……」

「一緒に暮らしてりゃ、そりゃ、情だって湧くさ」
 さらりと溂は躱した。

 岩場から数十メートルの上空で、死とまさに隣り合わせにありながら、七緒の下半身を見上げて、勃起した……なんてことは、口が裂けても言えない。

 なおも、敬介は言い募る。
「さっき、由実も言ってたじゃないか。ほんのすこしの間、離れるだけなのに、お前の方が、寂しそうに見える、って」
「心配なだけだ。なにしろ初めて、別れ別れになるんだからな。七緒が卵から孵ってから」
「ああ、子離れできてない親の心境な。それ、わかるわ」

 突然、変なスイッチが入ったようだった。
 敬介は、溂に擦り寄ってきた。

「俺もな。きなりと別れると思うと、もう、ここいらが、」
胸を撫で回した。
「毎朝、会社へ行く時、それはそれは辛くて。今でさえ、こんなに苦しいんだ。将来、あの子が家を出ていく時……のことを……考えると……」
「はいはい」

 溂は聞き流した。
 敬介もとうとう、子煩悩なオヤジになったんだな、と思った。
 それに、こいつは恐妻家だ。
 妻と子がいなくなってしまうことを、いつも心配している……。

 さっき、礼服の収納場所のことで、由実さんに、ぴしゃりと言われたことを、溂は思い出した。
 家事は、気がついたほうがやるから、由実さんの方が負担が大きいという、あれだ。

 敬介が、特別だらしないとは思わない。いや、研究者としての彼は、とても優秀で、きちんとしている。
 ただ、やっぱり、気が利かないところはあると思う。気が利かない、というか、本当に、見えていないのだ。何を第一に、何を後回しにするか。その、価値観の違いだと思う。

 だがそれを、楯に取られると、敬介としては、やっぱり苦しいところだろう。

 結婚、って、大変だな、と溂は思った。
 男女の結婚だって、こんなにも難しい。

 溂は首を横に降った。
 これから、先輩の結婚式に向かう時に、しみじみ思うことじゃない。

 でも、少しだけ、気が軽くなったような気がする。
 幸せな先輩と、その花嫁の姿を見せつけられる前に。

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