朝になるまでモフッてやるから覚悟しろ

Ⅰ

好きな人

　七緒がオスであることが、問題なのではない。
　溂には、好きな人がいた。
　大学時代の先輩だ。


　……すごいな、お前。
　溂が、かつての「天才」ハッカーだと知ると、彼は言った。
　素直な賞賛の言葉だった。

　溂はびっくりした。
　あれは……、
　ほんの出来心だった。



　気まぐれで、某国家組織のシステムに侵入した。でも、覗いた情報は、小学生の頭では、さっぱり意味がわからなかった。
　ただ、何をしているかの自覚はあった。だから、身元がばれないように工夫した。海外の非公開の中継サーバを経由してハッキングしたのだ。

　ところが、運悪く、そのサーバが、公開になってしまった。ＩＰアドレスが突き止められてしまった。犯人が小学生だったということで、世間は、大騒ぎになった……。

　未成年なので、野添溂という名前が出ることはなかった、
　それでも、見る人が見れば、溂だとわかる情報が、飛び交った。その断片は完全に消すことができず、今でも、インターネット上に残っている。

　溂にとっては、黒歴史である。

　周囲の大人たちから責められ、友達からは遠巻きにされ。
　死にたいくらい、辛い日々だった。

　それを、彼は、すごい、と言ってくれた……。



　先輩とは、大学卒業後も、ちょくちょく会っていた。
　というか、できる限り。

　先輩は、よく付き合ってくれた。時には、誤解しそうになるくらい。
　一緒に飲んだり。愚痴を聞いたり。
　そんな、些細でたわいもない、けれども、溂にとっては、貴重な時間だった。

　自分の気持ちは、幾重にも幾重にも包んで、隠してきた。
　そしてその努力は報われていたようだ。

　ある日、彼は言った。
「結婚するんだ」

　曖昧に、溂は頷いた。
　はっと気がつき、おめでとうございます、と言った。

　彼は、弾かれたように笑った。



　それが、溂がこの山奥へと逃げてきた原因ではない。
　本当の原因は、他にある。

　ただ、先輩の結婚は、溂が荒れ果てた寺に住むことへの、引き金となった。
　溂は、世の中というものに、何の未練もなくなったのだ。





　「ああそうだ。長良先輩、心配してたぞ。お前のこと」
　帰り際に、敬介は言った。
　敬介も、同じ大学だったのだ。
「聞かれたから、住所、教えといた。結婚式の招待状、送るって」

　責めてはいけない。
　敬介は、何も知らないのだ。
　そうは思ったけど、溂は憮然とした。