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Ⅰ
鳥にバックを狙われる
しおりを挟む「番いだと? 何言ってるだ、敬介。どうかしちゃったんじゃないか?」
きょとんとして、溂が尋ねた。
敬介は、ため息をついた。
「いいか、溂。落ち着いて、俺の話をよく聞くんだ。……フロレツァールのメスたちは、ほぼ同時に産卵期を迎える。そして、同じ場所に卵を産む」
「卵はひとつしかなかったぞ?」
「野生のフロレツァールじゃないからだよ。恐らく誰かが、ペットの生んだ卵を捨てたんだろう。それで、ひとつしかなかったんだ」
「あいつ、捨て子だったんだ……」
「同情してる場合か! ……フロレツァールの雛たちは、ほぼ同時に孵化する。これは、他の鳥たちと同じように、卵の中で連絡を取り合っているからだと言われている。そして……」
「そして?」
「卵から出て、真っ先に見た個体を、自分の番いと認定する」
「……番い?」
「そう。番い」
「親じゃなくて?」
「違う。番いだ」
「だって、あいつ、ママーって言ったんだぜ? 俺のこと」
「あいつらには、そもそも、言葉なんてない。それにな。『Ma』の音は、唇を開け閉めするだけだから、簡単に出せるんだよ。それで、人間の赤ん坊が、母親を呼ぶ言葉になっている。ママとか、マミーとか、ママンとか妈妈とか。単純に、発音しやすいからだ。つまり、フロレツァールにとっても、発音しやすいということになる」
「……ええと、」
「違うね。親だと思ったわけじゃない。口から出た音なだけだよ。でもまあ、考えてみれば、かわいいじゃないか。生まれて初めて呼んだのが、お前なんだぜ? mon ami、わが恋人よ、ってな」
「ママー、って言ったんだが」
「だから、それしか言えなかったからだろ! だが、卵から出て、真っ先に、お前を呼んだことだけは、間違いない。孵化して最初に見た相手……つまり、自分の番いを」
「番い……」
溂は繰り返した。
「つまり、あいつは、俺に突っ込みたがってるってことだな?」
「……心当たりがあるのか?」
「……」
「お前ら、重なって寝てたもんな」
「いや、そうじゃなく、」
にわかに溂の顔が赤くなっていく。
その顔を、敬介は気の毒そうに見やった。
「かわいそうに、溂。フロレツァールにバックを狙われる立場になるとは」
「バ……、だから人の話を聞け! 今朝、ふざけているうちに、あいつのが、偶然、そういう位置に来ていて、だな、」
「いいや。あれは本気だね。人間も、あの年ごろは、やりたい盛りじゃないか」
「あのなあ」
やっとのことで、溂は友人を押しとどめた。
「鳥が人間を番いに? ありえねーだろ。しかも生まれてすぐ、番い認定なんて」
「だって、テーブルの足を番いだと認定した鳥もいるって話だぜ?」
「嘘だろ。どこ情報だ、それ」
「……いや、俺も聞いた話だが。隣の部署が、最近、フロレツァールの遺伝子分析を始めたんだよ」
……やっぱり。
溂は思った。
昔から敬介は、未確認情報を垂れ流すので有名だった。
「遺伝子分析は、生態研究とは違うだろ。フィールドワークを元にした観察記録でも見せてもらわないことには、俺は信じないね」
きっぱりと、溂は言ってやった。
「うっわ、あいかわらず疑い深いね、お前も」
敬介は肩をすくめた。
「まあ、鳥と人間だからな。確かに、異種間での番いというのは信憑性が低い。けど……」
「けど?」
「孵化してすぐのペアリングってのは、本当らしいよ。一緒に卵から孵って、幼い頃から一緒に過ごして、成長してから交尾するらしい」
「なるほど。早期に伴侶を獲得するんだな。生殖の為の。個体数の少ない生物には、有利な戦略だ」
「お前なあ」
敬介はため息を付いた。
なおも未練がましげに、国立DNA研究所で聞いた話を披露し始めた。
「フロレツァールは、完全な一夫一婦制なんだ。伴侶から引き離されたら、鳴いて嘆いて、一生を終えるんだって。歌を楽しむこともなくなり、羽も抜け落ちて、食べることさえやめてしまうそうだ」
「はあ」
「あの美しい生き物が、痩せさらばえて、最後は、檻の下に倒れて死ぬんだって」
「へえ」
「なんだよ、溂。ひとごとのように」
「ひとごとだもん。お前、なんだかすごくロマンティックになったな、敬介」
「そりゃ、まあ、経験値かな」
敬介は、結婚している。昨年、子どもが生まれたばかりだ。
すかさずのろけようとする彼を、溂は押し留めた。
「で、孵化してすぐ、伴侶を獲得できなかったらどうなるんだ? 孵った卵が全部同性だったとか、異性が極端に少なかったとか。ないわけじゃないだろ?」
「ああ、それ。簡単なことだ。同性しかいなかったら、同性同士でくっつく。これには、メリットがないわけじゃない。生涯、助け合っていけるからな。あぶれたら、生涯独身。いずれにせよ、子孫は残せない」
「はあ。厳しいな」
「ああ、厳しい。自然は厳しいんだ。スタートダッシュが肝心だ。フロレツァールなんかに迫られてないで、お前も頑張れよ、溂」
「余計なお世話だ」
腐れ縁の友に上から目線で諭され、溂は、むっとした。
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