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口寄せ
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「次は、ええと、王城を出てすぐか……」
先を歩いていたヴァーツァが立ち止った。
「ん? シグ、どうかしたか?」
「いいえ。何でもありません」
恐怖と驚きと喜びと。
そう、確かにそこには喜びもあった。
ヴァーツァは、生涯最後の恋と言ってくれた。もし、王妃様の言ったことが真実なら、アンリ殿下は、ヴァーツァの幼馴染であり、長年の愛人だ。その殿下に、ヴァーツァは……。
宮殿から続く歩道の脇には、小さな石碑が建てられていた。石碑には、ここが内務大臣が亡くなられた場所だと記されていた。
「内務大臣は、雷に打たれて亡くなられたんですよね?」
気を取り直し、俺は尋ねた。いよいよ、ヴァーツァの冤罪を晴らすのだ。彼は王都に祟ったりしていない。
「その通り。おおい、君」
通りかかった衛兵を、ヴァーツァが呼び止めた。
「ちょっとここへ座ってくれないか? 立ちっぱなしでも構わないが、倒れたりすると大変だから」
顔に疑問符を浮かべたまま、それでも衛兵は言われたままに、その場にしゃがみ込んだ。
わけがわからないのは俺も同じだ。
「彼に何をするんですか?」
「口寄せだよ。ネクロマンサーの特技の一つだ」
あっさりとヴァーツァは答えた。
「口寄せ?」
「死んだ魂を、生きている人の身体に呼び込むのさ」
「危険はないのですか?」
死霊を生者の身体に、って、なんだか怖い気がする。
ヴァーツァは首を横に振った。
「たまに死霊の方で離れていかないことがあるけど、俺ほどの実力者になると、そんなことは、滅多にないよ」
「それは……」
言いかけた俺の口を、ヴァーツァは素早く封じた。
「君の言いたいことはわかる。大丈夫だ。この兵士に害が及ぶような真似は決してしない。ネクロマンサーの威信にかけて」
それなら信じてよかろうと、俺は思った。そして、ヴァーツァも、随分と人を思いやることができるようになったと感動した。目下の人間に対しても、きちんと礼儀正しく接することができる。
ヴァーツァは衛兵に向き直った。
「もっと尻を落として、しっかり座る」
「は、はい」
両足を前へ投げ出した姿勢で座り込んだ衛兵の前で、ヴァーツァは目を閉じた。紫色の光が消え、静謐な美しさに満たされる。
まもなく衛兵の顔から表情が消えた。
続いて、俄かに不信そうな色が現れ、彼は辺りをきょろきょろし始めた。
ヴァーツァの目が、ぱちりと開いた。紫の瞳は赤味を帯びている。
「クォール内務大臣」
「君か、生きていたのかカルダンヌ公」
先ほどとは似ても似つかぬ堂々とした態度で、衛兵は答えた。
内務大臣の霊が乗り移ったのだ。
「戦死は誤報です。幸いにして、私は今しばらくの命を許されました」
「それが幸いであるかは、神のみぞ知る。君の最期が安らかであることを祈る」
「貴方は……貴方の死は、安らかではなかったのですか?」
いきなりヴァーツァは確信に迫った。
うっすらと笑みが、衛兵の頬に浮かんだ。
「一瞬であった。それはまさしく神の一撃、天からの啓示だったのだよ」
落雷を言っているのだ。
「なるほど。死は一瞬だったのですね」
兵士……というか、内務大臣は頷いた。
「老衰の苦しみを味わわずに済んで、儂は幸せだった」
「そんな……貴方を愛する人にはとんでもない驚きと苦痛であったはずです」
思わず俺は、口を出してしまった。
衛兵は微笑んだ。
「優しい男だな、そなたは。よいのだよ。私は家族に疎まれていたから。後添えに迎えた妻は若い男と通じ、前妻との間に生まれた娘たちは、家に寄りつかない。昔から儂は、家庭を顧みなかった。自業自得と言えば、それまでだが……」
「奥さまは、きっと後悔されているはず。娘さんたちだって、貴方の死に涙を流されたはずです」
「おお、優しい、優しい男じゃ。そういう人間を、儂は求めておった。いや、今からでも遅くはない。そなた、名はなんという?」
「去ね!」
突然ヴァーツァが叫んだ。
衛兵がばたんと真後ろへ倒れる。立っていたら後頭部を強打しただろう。ヴァーツァの言うとおりだ。危ない所だった。
倒れた衛兵がもぞもぞと起き上がる。自分の身に何が起きたか全く理解できていないようで、不思議そうな顔をしている。
「ご苦労だった。君、疲れたろう。礼をやろう」
懐に手をやり、ヴァーツァはいくばくかの金を差し出した。きょとんとしている衛兵をその場に残し、さっさと歩きだす。
慌てて俺は彼の後を追った。
「な。俺は目下の者にもうまく接することができるようになっただろう?」
くるりと振り向き、ヴァーツァが言う。
「ほめてくれ」
「偉いです、ヴァーツァ」
「もっと」
「えらい、えらいです、ヴァーツァ」
「うん」
ヴァーツァは嬉しそうだった。俄かにその顔が険悪になる。
「それにしても、あのじじい、死んでからも煩悩でいっぱいだったな」
「そんなことはありませんよ。家族とうまくいかなかったなんて、かわいそうな人じゃないですか」
「全く君はお人好しの権化というか……あいつはシグ、君を連れて行こうとしたんだぞ。君に横恋慕しやがって。全く、なんてこった!」
ヴァーツァの言っていることはいまひとつわからなかった。横恋慕? 内務大臣の霊が俺に? ありえない。
「でもまあ、神の一撃というからには、雷に打たれて亡くなったのに間違いはあるまい。内務大臣の死にも作為性はない」
ぽつんとヴァーツァがつぶやいた。
先を歩いていたヴァーツァが立ち止った。
「ん? シグ、どうかしたか?」
「いいえ。何でもありません」
恐怖と驚きと喜びと。
そう、確かにそこには喜びもあった。
ヴァーツァは、生涯最後の恋と言ってくれた。もし、王妃様の言ったことが真実なら、アンリ殿下は、ヴァーツァの幼馴染であり、長年の愛人だ。その殿下に、ヴァーツァは……。
宮殿から続く歩道の脇には、小さな石碑が建てられていた。石碑には、ここが内務大臣が亡くなられた場所だと記されていた。
「内務大臣は、雷に打たれて亡くなられたんですよね?」
気を取り直し、俺は尋ねた。いよいよ、ヴァーツァの冤罪を晴らすのだ。彼は王都に祟ったりしていない。
「その通り。おおい、君」
通りかかった衛兵を、ヴァーツァが呼び止めた。
「ちょっとここへ座ってくれないか? 立ちっぱなしでも構わないが、倒れたりすると大変だから」
顔に疑問符を浮かべたまま、それでも衛兵は言われたままに、その場にしゃがみ込んだ。
わけがわからないのは俺も同じだ。
「彼に何をするんですか?」
「口寄せだよ。ネクロマンサーの特技の一つだ」
あっさりとヴァーツァは答えた。
「口寄せ?」
「死んだ魂を、生きている人の身体に呼び込むのさ」
「危険はないのですか?」
死霊を生者の身体に、って、なんだか怖い気がする。
ヴァーツァは首を横に振った。
「たまに死霊の方で離れていかないことがあるけど、俺ほどの実力者になると、そんなことは、滅多にないよ」
「それは……」
言いかけた俺の口を、ヴァーツァは素早く封じた。
「君の言いたいことはわかる。大丈夫だ。この兵士に害が及ぶような真似は決してしない。ネクロマンサーの威信にかけて」
それなら信じてよかろうと、俺は思った。そして、ヴァーツァも、随分と人を思いやることができるようになったと感動した。目下の人間に対しても、きちんと礼儀正しく接することができる。
ヴァーツァは衛兵に向き直った。
「もっと尻を落として、しっかり座る」
「は、はい」
両足を前へ投げ出した姿勢で座り込んだ衛兵の前で、ヴァーツァは目を閉じた。紫色の光が消え、静謐な美しさに満たされる。
まもなく衛兵の顔から表情が消えた。
続いて、俄かに不信そうな色が現れ、彼は辺りをきょろきょろし始めた。
ヴァーツァの目が、ぱちりと開いた。紫の瞳は赤味を帯びている。
「クォール内務大臣」
「君か、生きていたのかカルダンヌ公」
先ほどとは似ても似つかぬ堂々とした態度で、衛兵は答えた。
内務大臣の霊が乗り移ったのだ。
「戦死は誤報です。幸いにして、私は今しばらくの命を許されました」
「それが幸いであるかは、神のみぞ知る。君の最期が安らかであることを祈る」
「貴方は……貴方の死は、安らかではなかったのですか?」
いきなりヴァーツァは確信に迫った。
うっすらと笑みが、衛兵の頬に浮かんだ。
「一瞬であった。それはまさしく神の一撃、天からの啓示だったのだよ」
落雷を言っているのだ。
「なるほど。死は一瞬だったのですね」
兵士……というか、内務大臣は頷いた。
「老衰の苦しみを味わわずに済んで、儂は幸せだった」
「そんな……貴方を愛する人にはとんでもない驚きと苦痛であったはずです」
思わず俺は、口を出してしまった。
衛兵は微笑んだ。
「優しい男だな、そなたは。よいのだよ。私は家族に疎まれていたから。後添えに迎えた妻は若い男と通じ、前妻との間に生まれた娘たちは、家に寄りつかない。昔から儂は、家庭を顧みなかった。自業自得と言えば、それまでだが……」
「奥さまは、きっと後悔されているはず。娘さんたちだって、貴方の死に涙を流されたはずです」
「おお、優しい、優しい男じゃ。そういう人間を、儂は求めておった。いや、今からでも遅くはない。そなた、名はなんという?」
「去ね!」
突然ヴァーツァが叫んだ。
衛兵がばたんと真後ろへ倒れる。立っていたら後頭部を強打しただろう。ヴァーツァの言うとおりだ。危ない所だった。
倒れた衛兵がもぞもぞと起き上がる。自分の身に何が起きたか全く理解できていないようで、不思議そうな顔をしている。
「ご苦労だった。君、疲れたろう。礼をやろう」
懐に手をやり、ヴァーツァはいくばくかの金を差し出した。きょとんとしている衛兵をその場に残し、さっさと歩きだす。
慌てて俺は彼の後を追った。
「な。俺は目下の者にもうまく接することができるようになっただろう?」
くるりと振り向き、ヴァーツァが言う。
「ほめてくれ」
「偉いです、ヴァーツァ」
「もっと」
「えらい、えらいです、ヴァーツァ」
「うん」
ヴァーツァは嬉しそうだった。俄かにその顔が険悪になる。
「それにしても、あのじじい、死んでからも煩悩でいっぱいだったな」
「そんなことはありませんよ。家族とうまくいかなかったなんて、かわいそうな人じゃないですか」
「全く君はお人好しの権化というか……あいつはシグ、君を連れて行こうとしたんだぞ。君に横恋慕しやがって。全く、なんてこった!」
ヴァーツァの言っていることはいまひとつわからなかった。横恋慕? 内務大臣の霊が俺に? ありえない。
「でもまあ、神の一撃というからには、雷に打たれて亡くなったのに間違いはあるまい。内務大臣の死にも作為性はない」
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