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間違いなく腹上死

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 「前陛下は間違いなく腹上死でした」

 きっぱり断言したのは、前国王、つまりアンリ陛下の父君の寵姫だったブーゲンビリエ公爵夫人だった。
 ここは、王城の一室。彼女は王城に、贅沢な居室を与えられていた。

「前にも一回、それに近いことがあったので、気をつけていたのですが……。あの日、新しいネグリジェが届きまして」

「ネグリジェ。なるほど。前国王は、密かに毒を盛られたとかではないのですね?」

「あの晩のお食事は全て口移しでしたの」
 平然と、今夜のメニューを諳んじるがごとく、公爵夫人は言ってのけた。
「わたくしも一部を飲み込みましたが、今に至るまで何ともありませんわ」

「どうだ、シグ。彼女に邪悪な気配は?」
 ヴァーツァが振り替えった。
 俺は目を凝らし、彼女の気配を感じた。
「彼女は嘘はついていない」
 何の疚しさも、黒い気配も感じられない。

 ブーゲンビリエ公爵夫人の顔がこちらへ向け垂れた。緑色の目が興味深そうに見開かれた。
「あら、見かけない顔ね。どなたかしら? お名前をお聞かせ願える?」

 猫に睨まれたネズミの気分だ。落ち着かない。

「私は……」

 相手は貴婦人だ。礼儀正しく名乗ろうとした途端、ぐい、と腕を引っ張られた。

「お会い下さってありがとうございました、ブーゲンビリエ公爵夫人。おかげで、納得がいきました。先王お父上の死の疑惑が晴れて、アンリ陛下も喜ばれると思います」

 ヴァーツァが割り込み、俺を自分の背後に押しこんだ。
 この不躾な態度に、ブーゲンビリエ公爵夫人はむっとしたようだ。

「わたくしは、そちらの方に伺っているのよ? 貴方が後ろに隠した、銀色の髪の美しい方に」
「彼に名前はありません」

「えっ!」
「しっ!」

 前を向いたまま、ヴァーツァは俺の口を手で塞いだ。

「あっても、貴女が彼の名を知る必要はないかと」
「まあ。生意気ね」
「これでも、今上陛下の親友です。先帝はお亡くなりになりました。私と私の連れに余計な手出しはなされないことですな」

 ぎりぎりと公爵夫人は歯ぎしりをした。
 素知らぬ顔で、ヴァーツァは俺を急き立て、公爵夫人の前から退出した。



 「くそっ、あの女。シグに色目を使いやがって。アンリに言って王宮から追い出してやる」
 公爵夫人の私室は、王城にあった。豪華な部屋を出るなり、ヴァーツァが毒づいた。
「色目だなんて、公爵夫人はそんなこと、なさらなかったよ」

 第一そんなことをしてどうする? 俺なんかを色仕掛けで落としても、何の得にもならない。

「シグ、君はあまりに無防備すぎる……」
見当違いな説教をヴァーツァが俺に垂れようとした時だ。

「ヴァーツァ」
向こうから来る人に声を掛けられた。

「アンリ陛下!」
ヴァーツァが胸に手を当て、恭順の姿勢を取る。

 さすがに国王の顔は知っている。俺は昔、軍にいた。ペシスゥス軍の最高司令官は国王陛下だ。
 ヴァーツァと違い、俺は一般人だ。慌てて畏まり、片膝をついた

 ……ヴァーツァのこと、名前呼びした。

 混乱する頭の隅で思った。なんだかひどくもやもやする。いや、畏れ多くも国王陛下に「もやもやする」って、俺、何様?

 跪く俺の前で、陛下の靴が止まった。

「この男は?」

 鋭い誰何だった。霊視をするまでもなく、軽い敵意を感じる。国王陛下だけあって、不審人物への警戒心は鋭いのだろう。

「私の連れです」
 同じく改まった口調でヴァーツァが答える。陛下への強い忠誠が感じられた。

「名は?」
「シグモント・ボルティネにございます」
深々と頭を下げたまま、俺は応えた。
「ほほう。王妃が茶会へ呼んだ者か」

 げ。知っておられる。
 ということは、王妃様と陛下は、そこまで疎遠ではないのだな。少なくとも夫婦の間に会話があるとみていい。
 ……当たり前か。王妃様は妊娠されたのだから。

 イメルダ王妃は俺に対し、随分御立腹の様子だった。それでも彼女と夫さん、即ち、国王陛下の間が、そこまで殺伐としたものではないことに、俺は喜びを覚えた。

 彼女は、王の愛人はヴァーツァだと疑っていたけど、本当だろうか。少なくともヴァーツァはアンリ陛下に対し、心からの忠誠と友情を抱いている。

 忠誠と友情、だ。愛ではない。……と思う。
 自信はない。

「それが、お前の新しい玩具か?」
 不意に笑い声が王城の廊下に響き渡った。
「今までと随分とタイプが違う。今度は長持ちするんだろうな、ヴァーツァ」

 陛下に纏わりつく気配を探ろうとしていた意識を、俺は自分の元に戻した。
 体が固まってしまっている。

 ……『今までと』?
 そして、高らかな嘲笑。まるで勝ち誇ったような。

 違う。陛下には悪霊なんかついていない。これは、陛下ご自身の悪意だ。そしてその悪意は、まっすぐに俺に向けられている。

「生涯最後の恋に致しとうございます」
しゃちほこ張って、ヴァーツァが答える。

 笑い声が止んだ。一瞬、アンリ陛下は、物凄い不快な顔をなさった。
 無言で立ち去っていく。






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