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全方位の人類が敵
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「俺のシグが、女性に恋文を書くなんて!」
鬼の形相だった。離れ小島で別れた、ヴァーツァ・カルダンヌ公爵は。
空中庭園は、いつの間にか閑散としていた。カルダンヌ公の怒りに恐れをなし、来客たちは帰ってしまったのだろうか。
残っているのはイメルダと俺、少数の使用人が遠くで仕事をしているだけだ。
それから、怒り心頭といった様子のヴァーツァと。
「一通だけじゃございませんことよ。カルダンヌ公、何通見つけられました?」
イメルダが、口元に邪悪な笑みを浮かべる。
あまりのことに俺は口をぱくぱくさせるばかりで、言葉が出ない。
「な、なんだと! おい、シグ。お前、いつの間にラブレターを。しかも、何通も!」
「ここに着いてから、ごくわずかな時間にお書きになられましたわ」
イメルダの言葉にヴァーツァの顔が真っ青になる。
「だから、彼を一人にしておくのは嫌だったんだ。身の回りの男どもはみんな、蛾のように彼に吸い寄せられるし、その上、大量の令嬢だ!」
蛾はひどいと思った。誰も俺に吸い寄せられてなどいないけど。
「カルダンヌ公爵様。貴方の警戒が甘いのですよ」
揶揄するようなイメルダが言う。ヴァーツァは頭を抱えて蹲ってしまった。
「君のフェロモン垂れ流しの体質を甘く見ていた。男も女も……ああ、俺は、全方位の人類に向けて警戒しなければならないのか!」
なんか、あんまりなことを言われた気がする。
「あの、僕、令嬢たちに恋文なんて書いていません。あれは全部、代筆です」
おずおずと弁解する。
いや、弁解なんかじゃない。本当のことだ。俺から恋文を貰うなんて、令嬢たちの名誉にもかかわるだろうし。
ところがヴァーツァは、聞き入れようとしない。
「君のサインだった。俺が見間違うと思うか? そして、間違いなく、君の手跡だ! あのエロい手紙は!」
いったいどの令嬢に書かされた手紙を見たのだろう。運が悪いことだ。中には、清純なレモン味のもあったというのに。
「シグモントというのは、令嬢たちの兄弟か叔父さんの名で……待てよ。俺から手紙を貰うと願いが叶うんでしたっけ? 彼女たちの間に広がった無責任な噂というのは?」
必死の思いでイメルダに助けを求める。
「どうでしたかしら?」
イメルダは小首を傾げた。
「イメルダさん!」
「王妃!」
俺とヴァーツァは同時に叫び、しばし、沈黙が流れた。
「……王妃?」
って。
「王妃……様! イメルダって……まさか、アンリ陛下に輿入れされた……」
迂闊だった。もちろん、アンリ陛下がご結婚なさったことは知っている。でも、王都に帰って来てから、俺はずっと引き籠って暮らしていた。繁華街にも足を踏み入れなかったから、王妃となられた方の絵姿を見たこともない。
「そうだ。この方は、イメルダ・フォン・フォルス殿下、フォルス王国の王女で、ペシスゥスの王妃だ」
ヴァーツァが教えてくれる。まだひどく機嫌が悪い。
「そして未来の国母です。礼を弁えなさい、カルダンヌ公」
厳しい口調にぎょっとした。おとなしい、優しい女性だと思っていたのに。というか、無礼なのはむしろ俺の方だったのでは?
「特に失礼なことはしておりません」
しれっとヴァーツァが返す。彼は、何も応えていないようだ。
王妃の目がちかりと光った。
「わたくしの前で取り乱しました。恥ずべき所業です。わたくしは平常心でおりましたことよ。貴方に陛下を寝取られました時も」
「寝取、」
思わず俺はむせかえった。
「あらあら、大変。誰か、シグモント様にお水を」
打てば響くように、給仕が水のグラスを持って現れた。差し出された盆からひったくるようにしてグラスを掴み、冷たい水を一息で飲み干す。
「夫さん……いや、アンリ陛下の愛人って、貴方だったんですか!?」
ようやく口が利けるようになると、俺はヴァーツァに喰ってかかった。
「愛人なんかじゃない。幼馴染の学友だ」
「その学友が、王妃様から陛下を寝取ったんですかっ!?」
「違う!」
そんなの、誰が信じるものか。だって、あのヴァーツァだぞ。今までに相手にした女性(男性もだったんだな、やっぱり)は数知れず、弟に濡れ場を見られても全く平気という恥知らずだ。
その上、国王まで手に掛けるとは! 王妃様の苦しみを思いやれ!
王妃は、しかし、奇妙にさめた、冷たい目で俺を見ていた。
「わたくしが申し上げた、夫の愛人の想い人というのは貴方様なんですよ、シグモント様」
「え?」
夫(国王アンリ陛下)の。
愛人(ヴァーツァ)の。
想い人。
それが、俺?
「貴方は、つれない想い人です」
王妃の責めるトーンに、思わず身を固くした。
つか、俺が、誰につれないって?
「わたくしが一番許せないのは、あなたです、シグモント様」
鬼の形相だった。離れ小島で別れた、ヴァーツァ・カルダンヌ公爵は。
空中庭園は、いつの間にか閑散としていた。カルダンヌ公の怒りに恐れをなし、来客たちは帰ってしまったのだろうか。
残っているのはイメルダと俺、少数の使用人が遠くで仕事をしているだけだ。
それから、怒り心頭といった様子のヴァーツァと。
「一通だけじゃございませんことよ。カルダンヌ公、何通見つけられました?」
イメルダが、口元に邪悪な笑みを浮かべる。
あまりのことに俺は口をぱくぱくさせるばかりで、言葉が出ない。
「な、なんだと! おい、シグ。お前、いつの間にラブレターを。しかも、何通も!」
「ここに着いてから、ごくわずかな時間にお書きになられましたわ」
イメルダの言葉にヴァーツァの顔が真っ青になる。
「だから、彼を一人にしておくのは嫌だったんだ。身の回りの男どもはみんな、蛾のように彼に吸い寄せられるし、その上、大量の令嬢だ!」
蛾はひどいと思った。誰も俺に吸い寄せられてなどいないけど。
「カルダンヌ公爵様。貴方の警戒が甘いのですよ」
揶揄するようなイメルダが言う。ヴァーツァは頭を抱えて蹲ってしまった。
「君のフェロモン垂れ流しの体質を甘く見ていた。男も女も……ああ、俺は、全方位の人類に向けて警戒しなければならないのか!」
なんか、あんまりなことを言われた気がする。
「あの、僕、令嬢たちに恋文なんて書いていません。あれは全部、代筆です」
おずおずと弁解する。
いや、弁解なんかじゃない。本当のことだ。俺から恋文を貰うなんて、令嬢たちの名誉にもかかわるだろうし。
ところがヴァーツァは、聞き入れようとしない。
「君のサインだった。俺が見間違うと思うか? そして、間違いなく、君の手跡だ! あのエロい手紙は!」
いったいどの令嬢に書かされた手紙を見たのだろう。運が悪いことだ。中には、清純なレモン味のもあったというのに。
「シグモントというのは、令嬢たちの兄弟か叔父さんの名で……待てよ。俺から手紙を貰うと願いが叶うんでしたっけ? 彼女たちの間に広がった無責任な噂というのは?」
必死の思いでイメルダに助けを求める。
「どうでしたかしら?」
イメルダは小首を傾げた。
「イメルダさん!」
「王妃!」
俺とヴァーツァは同時に叫び、しばし、沈黙が流れた。
「……王妃?」
って。
「王妃……様! イメルダって……まさか、アンリ陛下に輿入れされた……」
迂闊だった。もちろん、アンリ陛下がご結婚なさったことは知っている。でも、王都に帰って来てから、俺はずっと引き籠って暮らしていた。繁華街にも足を踏み入れなかったから、王妃となられた方の絵姿を見たこともない。
「そうだ。この方は、イメルダ・フォン・フォルス殿下、フォルス王国の王女で、ペシスゥスの王妃だ」
ヴァーツァが教えてくれる。まだひどく機嫌が悪い。
「そして未来の国母です。礼を弁えなさい、カルダンヌ公」
厳しい口調にぎょっとした。おとなしい、優しい女性だと思っていたのに。というか、無礼なのはむしろ俺の方だったのでは?
「特に失礼なことはしておりません」
しれっとヴァーツァが返す。彼は、何も応えていないようだ。
王妃の目がちかりと光った。
「わたくしの前で取り乱しました。恥ずべき所業です。わたくしは平常心でおりましたことよ。貴方に陛下を寝取られました時も」
「寝取、」
思わず俺はむせかえった。
「あらあら、大変。誰か、シグモント様にお水を」
打てば響くように、給仕が水のグラスを持って現れた。差し出された盆からひったくるようにしてグラスを掴み、冷たい水を一息で飲み干す。
「夫さん……いや、アンリ陛下の愛人って、貴方だったんですか!?」
ようやく口が利けるようになると、俺はヴァーツァに喰ってかかった。
「愛人なんかじゃない。幼馴染の学友だ」
「その学友が、王妃様から陛下を寝取ったんですかっ!?」
「違う!」
そんなの、誰が信じるものか。だって、あのヴァーツァだぞ。今までに相手にした女性(男性もだったんだな、やっぱり)は数知れず、弟に濡れ場を見られても全く平気という恥知らずだ。
その上、国王まで手に掛けるとは! 王妃様の苦しみを思いやれ!
王妃は、しかし、奇妙にさめた、冷たい目で俺を見ていた。
「わたくしが申し上げた、夫の愛人の想い人というのは貴方様なんですよ、シグモント様」
「え?」
夫(国王アンリ陛下)の。
愛人(ヴァーツァ)の。
想い人。
それが、俺?
「貴方は、つれない想い人です」
王妃の責めるトーンに、思わず身を固くした。
つか、俺が、誰につれないって?
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