41 / 64
1
満たされない恋の残滓
しおりを挟む
ヴァーツァはアンリ陛下を選んだ。陛下は彼を殺そうとしたというのに、ヴァーツァはそれを信じようとしない。
ヴァーツァは、俺が言う事より陛下との友情を選んだ。でも、その友情は相互ではない。ヴァーツァからの一方的な献身に過ぎない。
もちろん、ヴァーツァにとって、俺の方が陛下よりふさわしいだなんて言う気は、さらさらない。というか、言えるわけがない。
俺は、ヴァーツァから何かを求めていたわけではない。友情とか。恋とか? まさか。彼は他人だ。何も期待してはいない。
けれど、もう少し、話を聞いてくれてもよかったんじゃないか? あんな風に追い出すんじゃなくて。あんな怒った顔で。
もう、カルダンヌ邸に俺の居場所はない。
俺は俺で生きていかなくちゃ。
「知ってるか、ヴァーツァ・カルダンヌ公が生きていたって話!」
友人のジョアンが訪ねてきた。
「らしいな」
その話は聞きたくなかった。でも、ジョアンは親切で教えてくれているのだから、仕方がない。
彼には、カルダンヌ公を見つけることができなかったと言っておいた。まさか、彼の柩にキスをして生き返らせたと教えるわけにもいかないし。
当然、約束された報酬は手に入らなかった。けれど、既に給付された手付金は返さずに済んだ。おかげで修道院の再建は恙なく行われ、年老いた修道院長には、暖かく快適な部屋が提供されたという。
まずはめでたしめでたしだ。
「今、王都はカルダンヌ公爵の噂で持ち切りだ。アンリ陛下は目に涙を浮かべて、親友を迎えたんだって」
「へえ」
ヴァーツァの柩(実際は保養箱だったけど)が紛失したことさえ気がつかず、彼の霊障で王都が混乱に陥れられたという祈祷師の見立てをあっさり信じたくせに。
なにより、部下の騎士に命じて、背後から斬りつけさせたくせに。
でも、俺は何も言わない。
だってヴァーツァとは何の関係もない。
「カルダンヌ公御帰還の一報は、アンリ陛下の御結婚を凌ぐ騒ぎになってるぜ」
ジョアンの言い方は、少し大袈裟だと思う。
即位されたアンリ陛下は、先月、隣国フォルスのイメルダ王女を迎えられた。今、国を挙げての祝祭となっている。
華やぐ王都の片隅で、俺はずっと引き籠って暮らしていた。だって、仕事があるし?
本当は、ヴァーツァの名を聞きたくないんだ。アンリ陛下の結婚とセットで、うっかりカルダンヌ公の噂を聞かされでもしたらたまらない。
心がとても傷ついていた。彼の名を聞くことに耐えられそうもない。
「王都警備軍には、祭日なんか関係ないけど。酔っ払いが増えて忙しくなっただけだ」
ぶつぶつとジョアンがこぼしている。
朝の出勤前の時間だった。
例によって勝手にお茶を淹れ、食器棚をあさっていたジョアンは、オレンジを持って戻ってきた。
「珍しいな。君が果物を食べるなんて」
ジョアンは、油ギトギトのお菓子が好きだ。食器棚には、砂糖をたっぷりまぶした揚げ菓子も入っているのに。
「うん。なんだか腹が重いんだ」
「食いすぎだろ」
「そうかな。この頃夢見が悪くって。変な夢ばかり見る」
ジョアンの顔色は悪かった。
そういえば、トラドが立ち去り際、王都の守備をしている人に気をつけろと言っていた。あの時はわからなかったけど、もしかしたら「気をつけろ」っていうのは、彼の身を案じてやれって意味だったのかもしれない。ちなみにジョアンは、王都警備軍に勤務している。
普段はそんなことはしない。友人についた霊を透視するような真似は。だって、プライバシーにもとるから。
けれど、今回は特別だ。ジョアンは大事な友達だから。
目を凝らし、彼の頭上に漂う気配を透かし見た。なにやらうじゃじゃけた影が見える。ちょっと見たことのある雰囲気があるけど、それが何なのか、思い出せない。
「ジョアン、最近、女の子を泣かせたことはないか?」
「女の子だぁ? 俺には出会いがないよ。いっそこっちが泣きたいくらいだぜ」
憮然としてジョアンが答える。おかしいな。ジョアンに取り憑いたこのどろどろとした影は、どう見たって、満たされない恋愛の残滓なんだが。
彼に食欲がなく、夢見が悪いのも、この影の影響だ。
ヴァーツァは、俺が言う事より陛下との友情を選んだ。でも、その友情は相互ではない。ヴァーツァからの一方的な献身に過ぎない。
もちろん、ヴァーツァにとって、俺の方が陛下よりふさわしいだなんて言う気は、さらさらない。というか、言えるわけがない。
俺は、ヴァーツァから何かを求めていたわけではない。友情とか。恋とか? まさか。彼は他人だ。何も期待してはいない。
けれど、もう少し、話を聞いてくれてもよかったんじゃないか? あんな風に追い出すんじゃなくて。あんな怒った顔で。
もう、カルダンヌ邸に俺の居場所はない。
俺は俺で生きていかなくちゃ。
「知ってるか、ヴァーツァ・カルダンヌ公が生きていたって話!」
友人のジョアンが訪ねてきた。
「らしいな」
その話は聞きたくなかった。でも、ジョアンは親切で教えてくれているのだから、仕方がない。
彼には、カルダンヌ公を見つけることができなかったと言っておいた。まさか、彼の柩にキスをして生き返らせたと教えるわけにもいかないし。
当然、約束された報酬は手に入らなかった。けれど、既に給付された手付金は返さずに済んだ。おかげで修道院の再建は恙なく行われ、年老いた修道院長には、暖かく快適な部屋が提供されたという。
まずはめでたしめでたしだ。
「今、王都はカルダンヌ公爵の噂で持ち切りだ。アンリ陛下は目に涙を浮かべて、親友を迎えたんだって」
「へえ」
ヴァーツァの柩(実際は保養箱だったけど)が紛失したことさえ気がつかず、彼の霊障で王都が混乱に陥れられたという祈祷師の見立てをあっさり信じたくせに。
なにより、部下の騎士に命じて、背後から斬りつけさせたくせに。
でも、俺は何も言わない。
だってヴァーツァとは何の関係もない。
「カルダンヌ公御帰還の一報は、アンリ陛下の御結婚を凌ぐ騒ぎになってるぜ」
ジョアンの言い方は、少し大袈裟だと思う。
即位されたアンリ陛下は、先月、隣国フォルスのイメルダ王女を迎えられた。今、国を挙げての祝祭となっている。
華やぐ王都の片隅で、俺はずっと引き籠って暮らしていた。だって、仕事があるし?
本当は、ヴァーツァの名を聞きたくないんだ。アンリ陛下の結婚とセットで、うっかりカルダンヌ公の噂を聞かされでもしたらたまらない。
心がとても傷ついていた。彼の名を聞くことに耐えられそうもない。
「王都警備軍には、祭日なんか関係ないけど。酔っ払いが増えて忙しくなっただけだ」
ぶつぶつとジョアンがこぼしている。
朝の出勤前の時間だった。
例によって勝手にお茶を淹れ、食器棚をあさっていたジョアンは、オレンジを持って戻ってきた。
「珍しいな。君が果物を食べるなんて」
ジョアンは、油ギトギトのお菓子が好きだ。食器棚には、砂糖をたっぷりまぶした揚げ菓子も入っているのに。
「うん。なんだか腹が重いんだ」
「食いすぎだろ」
「そうかな。この頃夢見が悪くって。変な夢ばかり見る」
ジョアンの顔色は悪かった。
そういえば、トラドが立ち去り際、王都の守備をしている人に気をつけろと言っていた。あの時はわからなかったけど、もしかしたら「気をつけろ」っていうのは、彼の身を案じてやれって意味だったのかもしれない。ちなみにジョアンは、王都警備軍に勤務している。
普段はそんなことはしない。友人についた霊を透視するような真似は。だって、プライバシーにもとるから。
けれど、今回は特別だ。ジョアンは大事な友達だから。
目を凝らし、彼の頭上に漂う気配を透かし見た。なにやらうじゃじゃけた影が見える。ちょっと見たことのある雰囲気があるけど、それが何なのか、思い出せない。
「ジョアン、最近、女の子を泣かせたことはないか?」
「女の子だぁ? 俺には出会いがないよ。いっそこっちが泣きたいくらいだぜ」
憮然としてジョアンが答える。おかしいな。ジョアンに取り憑いたこのどろどろとした影は、どう見たって、満たされない恋愛の残滓なんだが。
彼に食欲がなく、夢見が悪いのも、この影の影響だ。
0
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説


続・聖女の兄で、すみません!
たっぷりチョコ
BL
『聖女の兄で、すみません!』(完結)の続編になります。
あらすじ
異世界に再び召喚され、一ヶ月経った主人公の古河大矢(こがだいや)。妹の桃花が聖女になりアリッシュは魔物のいない平和な国になったが、新たな問題が発生していた。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

僕のユニークスキルはお菓子を出すことです
野鳥
BL
魔法のある世界で、異世界転生した主人公の唯一使えるユニークスキルがお菓子を出すことだった。
あれ?これって材料費なしでお菓子屋さん出来るのでは??
お菓子無双を夢見る主人公です。
********
小説は読み専なので、思い立った時にしか書けないです。
基本全ての小説は不定期に書いておりますので、ご了承くださいませー。
ショートショートじゃ終わらないので短編に切り替えます……こんなはずじゃ…( `ᾥ´ )クッ
本編完結しました〜

ある日、人気俳優の弟になりました。
雪 いつき
BL
母の再婚を期に、立花優斗は人気若手俳優、橘直柾の弟になった。顔良し性格良し真面目で穏やかで王子様のような人。そんな評判だったはずが……。
「俺の命は、君のものだよ」
初顔合わせの日、兄になる人はそう言って綺麗に笑った。とんでもない人が兄になってしまった……と思ったら、何故か大学の先輩も優斗を可愛いと言い出して……?
平凡に生きたい19歳大学生と、24歳人気若手俳優、21歳文武両道大学生の三角関係のお話。

学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる