38 / 64
1
紫の瞳
しおりを挟む
……。
「俺は、死んだ兵士どもを蘇らせ、彼らを率いて最前線に立った。敵の死骸も使ったから、その数は莫大なものとなった。まあ、大して強くはないがな。だが斬られても斬られても、やつらは敵に立ち向かっていくことができる」
敵味方の軍服が入り乱れたゾンビの群れ。決して強いわけではない。けれど彼らは死なない。剣で斬りつけられても起き上がり、立ち向かっていく。
虚ろな死者の顔をして。
俺は、敵に同情した。気の毒に、彼らの恐怖は相当のものだったと思う。
「だが、アンリ殿下の軍の再編はなかなか進まなかった。俺一人の魔力には限界がある。俺はあせった」
「貴方は軍のどの辺にいたの? あなたの率いるゾンビ軍の」
書類から目を上げ、聞いてみた。
「ゾンビどもの後ろ寄りにいたと思う。背後からゾンビの群れを鼓舞していたのだ」
俺はペンを置いた。
「ちょっと背中の傷を見せて」
「いいよ」
ヴァーツァの顔が輝いた。恥知らずな男は嬉しそうだ。
「とうとうその気になったか、シグ」
「違うよ」
俺は立ち上がり、彼の後ろへ回った。シャツをめくりあげる。
「意外だ。お前、結構あけすけなところがあるな。だが、新鮮でいい」
「だから違うって!」
俺は仔細に、ヴァーツァの背中の傷を調べた。
「ヴァーツァ、ゾンビの兵士って、騎兵なの?」
「いや。全て歩兵として使った。馬を蘇らせるくらいなら、一人でも多くの兵士を使いたかったから」
「そうか……」
傷は上が浅く、下が深かった。上から斜めに大きくざっくりと皮膚を切り裂いた痕だ。
……上から下へ。
ヴァーツァは馬に乗っていた。当時ヴァーツァの近くにいたのは、歩兵だけ。
けれどこの傷は、騎兵でなければつけられない。
ヴァーツァの率いるゾンビ軍の後方では、アンリ殿下の軍が再編成を行っていた。ヴァーツァの背後に騎兵がいたとしたら、それは、アンリ殿下の騎兵に他ならない。
陛下の騎兵が、ヴァーツァを襲った?
背後から、こっそりと。卑怯者のように。
まさか。
でも、それしか考えられない。「背後から彼を襲える騎兵」は、「アンリ殿下の騎兵」だけだ。
軍の指揮官の斬殺。それは、紛れもなく陛下の御下命だったろう。
静かにシャツを元に戻した。
ヴァーツァは不満そうだ。
「なんだ、もう終わりか? 俺の肌を見ても、何も感じないのか」
「ヴァーツァ」
前に回り、紫のその目を覗き込んだ。光の加減か、赤と青が交互に明滅しているように見える。それは、彼の欲望なのだろうか?
「王都へは、行かない方がいい」
「君がそう言うなら」
浮き浮きした声が痛ましい。
「アンリ陛下に会うのも止めた方がいい。貴方が生きていることも、当分は伏せておくべきです」
「それはできない」
今までに聞いたこともない、きっぱりとした拒絶だった。
「俺は陛下の忠実な臣下だ。俺は彼に忠誠を誓った。昔からの親友でもある」
「陛下は君の親友なんかじゃない」
言うべきではなかったのかもしれない。けれど、言わずにはいられなかった。
下宿でジョアンから、ヴァーツァと陛下が親友同士だと聞いた時から、強い違和感を感じていた。その違和感の正体がやっとわかった気がする。
麾下の騎兵に命じて、背後から斬りつけさせる。
親友のやることではない。
「陛下は俺の親友ではない? 何を言うんだ」
紫の瞳から明るい明滅が失われた。冴えたヴァイオレットに収斂していく。
けれど彼は、真実を知るべきだ。
「貴方の柩は、戦場に置き去りにされていた。あんなに寂しい、廃村になった村に」
人っ子一人いないエシェク村に。
置き去りにされ、忘れられた。
陛下を救った英雄が。
彼は、陛下の「親友」だったというのに。
「貴方のお陰で、軍は再編し、蛮族に勝利した。でも、その手柄は全て陛下のものだ。貴方については、ただ、殿下を庇って戦死した、と伝えられただけ」
「それでいい」
「よくないよ! 貴方がいなかったら、ペシスゥス軍は負けてた。陛下だって、どうなったことか。その責は全て、陛下の見通しの甘さにあります。貴方が分遣に反対したというのに」
「戦争は、そうそう思いどおりにはいかないさ」
あくまでヴァーツァはアンリ殿下を庇おうとする。二人の絆の強さ……というか、ヴァーツァの陛下への想いに、心がかき乱された。
「でも陛下は、戦闘の後、全てを部下に任せきりで、貴方の遺体の所在さえ、気になさろうとしなかった。そして、忘れてしまったんだ。王都を「霊障」が襲うまで」
「だってアンリは、俺の墓を建造中なんだろう? どこだかに、無駄に立派な霊廟を」
ヴァーツァが言い返す。彼は必死だった。自分の言葉に縋ろうとしているようにさえみえる。
そんなにも彼は、アンリ陛下を慕っているんだ……。
「霊峰ベルナの頂、一年中、雪と氷に閉ざされた高山のてっぺんです。そんなとこ、滅多に行けるもんじゃない。陛下は、貴方の墓を、軍の仲間やペシスゥスの民から隔離しようとしたんだ。君を、一人ぼっちで葬ろうとした」
それしか考えられない。
「けれど、肝心の貴方の遺体は、エシェク村に置き去りだった。墓を造ることは造ったが、肝心の貴方の遺体の所在がわからない。これが親友のすることですか?」
「黙れ!」
紫の瞳が俺を睨みつけた。
「シグモント、いくら君でも、そのようなことを言うのを許すわけにはいかない。そのような……アンリ陛下を侮辱し、陛下が俺に賜ったかけがえのない友情を貶めるようなことを。即刻この場から立ち去るがいい」
息詰まるような殺意が感じられる。それは真っすぐに俺へと向けて放たれていた。ヴァーツァは本気だ。本気で俺を殺そうとしている。アンリ陛下の彼への友情に疑問を呈した俺を。
……ヴァーツァは陛下を選ぶのだな。俺への信頼より。
ずくりと胸が痛んだ。
踵を返し、その場を立ち去った。
「俺は、死んだ兵士どもを蘇らせ、彼らを率いて最前線に立った。敵の死骸も使ったから、その数は莫大なものとなった。まあ、大して強くはないがな。だが斬られても斬られても、やつらは敵に立ち向かっていくことができる」
敵味方の軍服が入り乱れたゾンビの群れ。決して強いわけではない。けれど彼らは死なない。剣で斬りつけられても起き上がり、立ち向かっていく。
虚ろな死者の顔をして。
俺は、敵に同情した。気の毒に、彼らの恐怖は相当のものだったと思う。
「だが、アンリ殿下の軍の再編はなかなか進まなかった。俺一人の魔力には限界がある。俺はあせった」
「貴方は軍のどの辺にいたの? あなたの率いるゾンビ軍の」
書類から目を上げ、聞いてみた。
「ゾンビどもの後ろ寄りにいたと思う。背後からゾンビの群れを鼓舞していたのだ」
俺はペンを置いた。
「ちょっと背中の傷を見せて」
「いいよ」
ヴァーツァの顔が輝いた。恥知らずな男は嬉しそうだ。
「とうとうその気になったか、シグ」
「違うよ」
俺は立ち上がり、彼の後ろへ回った。シャツをめくりあげる。
「意外だ。お前、結構あけすけなところがあるな。だが、新鮮でいい」
「だから違うって!」
俺は仔細に、ヴァーツァの背中の傷を調べた。
「ヴァーツァ、ゾンビの兵士って、騎兵なの?」
「いや。全て歩兵として使った。馬を蘇らせるくらいなら、一人でも多くの兵士を使いたかったから」
「そうか……」
傷は上が浅く、下が深かった。上から斜めに大きくざっくりと皮膚を切り裂いた痕だ。
……上から下へ。
ヴァーツァは馬に乗っていた。当時ヴァーツァの近くにいたのは、歩兵だけ。
けれどこの傷は、騎兵でなければつけられない。
ヴァーツァの率いるゾンビ軍の後方では、アンリ殿下の軍が再編成を行っていた。ヴァーツァの背後に騎兵がいたとしたら、それは、アンリ殿下の騎兵に他ならない。
陛下の騎兵が、ヴァーツァを襲った?
背後から、こっそりと。卑怯者のように。
まさか。
でも、それしか考えられない。「背後から彼を襲える騎兵」は、「アンリ殿下の騎兵」だけだ。
軍の指揮官の斬殺。それは、紛れもなく陛下の御下命だったろう。
静かにシャツを元に戻した。
ヴァーツァは不満そうだ。
「なんだ、もう終わりか? 俺の肌を見ても、何も感じないのか」
「ヴァーツァ」
前に回り、紫のその目を覗き込んだ。光の加減か、赤と青が交互に明滅しているように見える。それは、彼の欲望なのだろうか?
「王都へは、行かない方がいい」
「君がそう言うなら」
浮き浮きした声が痛ましい。
「アンリ陛下に会うのも止めた方がいい。貴方が生きていることも、当分は伏せておくべきです」
「それはできない」
今までに聞いたこともない、きっぱりとした拒絶だった。
「俺は陛下の忠実な臣下だ。俺は彼に忠誠を誓った。昔からの親友でもある」
「陛下は君の親友なんかじゃない」
言うべきではなかったのかもしれない。けれど、言わずにはいられなかった。
下宿でジョアンから、ヴァーツァと陛下が親友同士だと聞いた時から、強い違和感を感じていた。その違和感の正体がやっとわかった気がする。
麾下の騎兵に命じて、背後から斬りつけさせる。
親友のやることではない。
「陛下は俺の親友ではない? 何を言うんだ」
紫の瞳から明るい明滅が失われた。冴えたヴァイオレットに収斂していく。
けれど彼は、真実を知るべきだ。
「貴方の柩は、戦場に置き去りにされていた。あんなに寂しい、廃村になった村に」
人っ子一人いないエシェク村に。
置き去りにされ、忘れられた。
陛下を救った英雄が。
彼は、陛下の「親友」だったというのに。
「貴方のお陰で、軍は再編し、蛮族に勝利した。でも、その手柄は全て陛下のものだ。貴方については、ただ、殿下を庇って戦死した、と伝えられただけ」
「それでいい」
「よくないよ! 貴方がいなかったら、ペシスゥス軍は負けてた。陛下だって、どうなったことか。その責は全て、陛下の見通しの甘さにあります。貴方が分遣に反対したというのに」
「戦争は、そうそう思いどおりにはいかないさ」
あくまでヴァーツァはアンリ殿下を庇おうとする。二人の絆の強さ……というか、ヴァーツァの陛下への想いに、心がかき乱された。
「でも陛下は、戦闘の後、全てを部下に任せきりで、貴方の遺体の所在さえ、気になさろうとしなかった。そして、忘れてしまったんだ。王都を「霊障」が襲うまで」
「だってアンリは、俺の墓を建造中なんだろう? どこだかに、無駄に立派な霊廟を」
ヴァーツァが言い返す。彼は必死だった。自分の言葉に縋ろうとしているようにさえみえる。
そんなにも彼は、アンリ陛下を慕っているんだ……。
「霊峰ベルナの頂、一年中、雪と氷に閉ざされた高山のてっぺんです。そんなとこ、滅多に行けるもんじゃない。陛下は、貴方の墓を、軍の仲間やペシスゥスの民から隔離しようとしたんだ。君を、一人ぼっちで葬ろうとした」
それしか考えられない。
「けれど、肝心の貴方の遺体は、エシェク村に置き去りだった。墓を造ることは造ったが、肝心の貴方の遺体の所在がわからない。これが親友のすることですか?」
「黙れ!」
紫の瞳が俺を睨みつけた。
「シグモント、いくら君でも、そのようなことを言うのを許すわけにはいかない。そのような……アンリ陛下を侮辱し、陛下が俺に賜ったかけがえのない友情を貶めるようなことを。即刻この場から立ち去るがいい」
息詰まるような殺意が感じられる。それは真っすぐに俺へと向けて放たれていた。ヴァーツァは本気だ。本気で俺を殺そうとしている。アンリ陛下の彼への友情に疑問を呈した俺を。
……ヴァーツァは陛下を選ぶのだな。俺への信頼より。
ずくりと胸が痛んだ。
踵を返し、その場を立ち去った。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説

推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。



僕のユニークスキルはお菓子を出すことです
野鳥
BL
魔法のある世界で、異世界転生した主人公の唯一使えるユニークスキルがお菓子を出すことだった。
あれ?これって材料費なしでお菓子屋さん出来るのでは??
お菓子無双を夢見る主人公です。
********
小説は読み専なので、思い立った時にしか書けないです。
基本全ての小説は不定期に書いておりますので、ご了承くださいませー。
ショートショートじゃ終わらないので短編に切り替えます……こんなはずじゃ…( `ᾥ´ )クッ
本編完結しました〜

男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。
N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間
ファンタジーしてます。
攻めが出てくるのは中盤から。
結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。
表紙絵
⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101)
挿絵『0 琥』
⇨からさね 様 X (@karasane03)
挿絵『34 森』
⇨くすなし 様 X(@cuth_masi)
◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

ある日、人気俳優の弟になりました。
雪 いつき
BL
母の再婚を期に、立花優斗は人気若手俳優、橘直柾の弟になった。顔良し性格良し真面目で穏やかで王子様のような人。そんな評判だったはずが……。
「俺の命は、君のものだよ」
初顔合わせの日、兄になる人はそう言って綺麗に笑った。とんでもない人が兄になってしまった……と思ったら、何故か大学の先輩も優斗を可愛いと言い出して……?
平凡に生きたい19歳大学生と、24歳人気若手俳優、21歳文武両道大学生の三角関係のお話。

幸福からくる世界
林 業
BL
大陸唯一の魔導具師であり精霊使い、ルーンティル。
元兵士であり、街の英雄で、(ルーンティルには秘匿中)冒険者のサジタリス。
共に暮らし、時に子供たちを養う。
二人の長い人生の一時。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる