9 / 13
9 ベールゼブフォ
しおりを挟むこんな感じで、時は穏やかに流れていった。やがて、禊も終わりに近づき、最後の判定の日が訪れた。
最後の判定というのは、潔斎が正しく行われ、公女が、神の花嫁にふさわしい純潔を保っていたかどうかを、判断することだ。これは、尼僧長が、レメニー河の岸辺につっぷして、土に耳を押しつけ、神の声を聞くことによって得られる。
昔、禊を行っていた令嬢のもとに、見張りの尼僧たちに隠れて、こっそりと都の貴公子が通ってきたことがあった。純潔であるべき令嬢は、あろうことか、潔斎中に、身重になっていた。
神はお怒りになり、その後、長いこと、モランシーは、旱魃が続いた。
恐ろしいことだ。
だが、私の場合は、何の問題もないと思われた。だって、私の元に通ってくるようなもの好きはいないし、私は、妊娠もしてない。
「大変! 神のお告げが出ました!」
川辺へ行っていた尼僧長が、慌てふためいて戻ってきた。
「あらあ、尼僧長さま。そんなに走ったら、心臓が心配ですわ」
驚いて私は言った。普段謹厳な尼僧長が、質素なスカートのすそをたくし上げ、駆け込んできたのだ。湿地の中を走ってきたらしく、頭巾にまで泥はねが上がっている。
「落ち着いている場合ではございません、ひい様。神はおっしゃったのです。この頓宮に、」
尼僧長は、大きく息を吸った。
「この頓宮に?」
「男がいるというのです!」
「男!」
若い尼僧の何人かが、叫んで失神した。
「いるわけないわ!」
彼女たちを順番に支え、横に寝かせてから、私は断言した。
「ここには、私と尼僧たちの他、誰もおりませんもの!」
「確かに」
尼僧長は頷いた。熱に浮かされたようなその目が、水槽のカエルに止まった。尼僧たちが部屋にいたので、水槽に入ってもらっていたのだ。
「ひい様。そのカエルの名前は、確か?」
「ジュリアンです」
「ジュリアン!」
尼僧は叫んだ。
「オスですね!」
「ええ、まあ。どちらかというと」
もとが王子だからね。
「男のカエルだわ! ああ、なんてことでしょう。私たちが保護したのは、ベールゼブフォ(悪魔ガエル)だったなんて!」
「落ち着いて、尼僧長様。ジュリアンは、悪魔ではないわ」
「いいえ、ひい様。潔斎中の令嬢には、人間の男はおろか、たとえ犬といえど、オスは近づいてはならないのです」
「カエルは、犬より小さいじゃないの。哺乳類でもないし」
「そういう問題ではございません!」
尼僧は叫んだ。
「ああ。せっかくの潔斎にも関わらず、ひい様。神は、あなたを受け容れることはできぬと申されています」
「僕のせい?」
その時、水槽の中から、声がした。
「僕のせいで、コルデリアは、修道院へ行けないの?」
「ええ、全くその通りでございますよ、ジュリアン様」
「コルデリア。君は、修道院へ入りたいんだね?」
「もちろん。私には、人生の休暇が必要よ」
「君がそれを希望するなら……。尼僧長様。今、僕がいなくなったら、彼女は、修道院へ入ることができますか?」
尼僧長は、怯えているようだった。
「ひい様は、未だ、純潔であられますか?」
「それは間違いありません」
私とジュリアンは声を合わせて叫んだ。
「それなら、多分。わかりませんけど」
途方に暮れつつ、尼僧長がためらっている。彼女を力づけるべく、私は加勢した。
「神様には、何か、誤解があったに違いないわ。だって、カエルよ? 頓宮には、虫もいっぱいいるじゃない。ゲジゲジなんて、厨で繁殖していたわ。ということは、オスもいたのよ! ゲジゲジが許されて、カエルがダメなんて、そんな筈ないわ!」
ジュリアンは複雑な顔をしたが、私は続けた。
「二重基準は、よろしくなくてよ!」
「わかりました。私から神に、お怒りを解いてくださるよう、お願いしてみます……」
自信は無さそうだったが、ともかく神にとりなしてみると、尼僧長は請け合ってくれた。
「お別れだ、コルデリア」
水槽の壁に貼り付き、ジュリアンが言った。この格好では、彼の腹しか見えない。ガラスにべとっと張り付いた腹は、純白だった。
「君に会えて、お詫びも言えた。僕は幸せだ。もう思い残すことはない」
真っ白なお腹を見せたまま、ジュリアンが言う。彼の心臓がびくびくしているのがわかる。
「僕は、河へ帰るよ。そこで、カエルとして、一生を終えるんだ」
「待ってよ」
私は慌てた。
「ちっ、父が、あなたに会いたがっているのよ。私も、城に戻らないといけないし」
修道院へ持っていく蔵書を、まとめる為に。ジュリアンは連れていけないから、城での彼のお世話は、異母妹たちに丸投げしよう。どうせ暇だからいいのよ。
「だから、あなたも一緒に来るといいわ。モランシーの城に」
「君に迷惑をかけるわけにはいかないよ」
水槽の壁から、ぴょんと飛び降り、ジュリアンは言った。瞼を限界まで開けて、黒い目が全開になっている。か、かわいい……。
「迷惑だなんて思ってないから」
気がついたら、私はそう答えていた。
水槽の底のカエルは、つやつやしていて、まるで宝石のようだ。身近に置いて、もっともっと観察したかった。
ジュリアンは、とても私に懐いているし、食事をするのも上手になった。今では、立派な手乗りカエルだ。今は水槽に入っているけど、尼僧たちがいない時は、私の膝の上で暮らしている。
正直、人間の時のジュリアンはあんまり好きじゃなかった。でも、カエルのジュリアンは、大好きだ。いつまでも一緒にいたい。お別れなんて、悲しすぎる。
「修道院へは、連れていけませんよ」
尼僧長が、私の迷いを断ち切った。
「カエルといえど、立派な男。頓宮(仮宮)までならまだしも、修道院へ同行するなんて、そんな恐ろしいこと……。この上、神の怒りを招くわけにはまいりません。国が滅びます」
私とジュリアンは、顔を見合わせた。ジュリアンの瞳がクリっと動き、半空きの口から、舌がのぞけている。
もう、食べちゃいたいくらい、かわいい。
どうしたらいいだろう。どうしたら、私は、ジュリアンと一緒にいれるだろう。
12
お気に入りに追加
575
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
誤解なんですが。~とある婚約破棄の場で~
舘野寧依
恋愛
「王太子デニス・ハイランダーは、罪人メリッサ・モスカートとの婚約を破棄し、新たにキャロルと婚約する!」
わたくしはメリッサ、ここマーベリン王国の未来の王妃と目されている者です。
ところが、この国の貴族どころか、各国のお偉方が招待された立太式にて、馬鹿四人と見たこともない少女がとんでもないことをやらかしてくれました。
驚きすぎて声も出ないか? はい、本当にびっくりしました。あなた達が馬鹿すぎて。
※話自体は三人称で進みます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】死がふたりを分かつとも
杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」
私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。
ああ、やった。
とうとうやり遂げた。
これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。
私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。
自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。
彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。
それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。
やれるかどうか何とも言えない。
だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。
だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺!
◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。
詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。
◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。
1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。
◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます!
◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】己の行動を振り返った悪役令嬢、猛省したのでやり直します!
みなと
恋愛
「思い出した…」
稀代の悪女と呼ばれた公爵家令嬢。
だが、彼女は思い出してしまった。前世の己の行いの数々を。
そして、殺されてしまったことも。
「そうはなりたくないわね。まずは王太子殿下との婚約解消からいたしましょうか」
冷静に前世を思い返して、己の悪行に頭を抱えてしまうナディスであったが、とりあえず出来ることから一つずつ前世と行動を変えようと決意。
その結果はいかに?!
※小説家になろうでも公開中
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】もしかして悪役令嬢とはわたくしのことでしょうか?
桃田みかん
恋愛
ナルトリア公爵の長女イザベルには五歳のフローラという可愛い妹がいる。
天使のように可愛らしいフローラはちょっぴりわがままな小悪魔でもあった。
そんなフローラが階段から落ちて怪我をしてから、少し性格が変わった。
「お姉様を悪役令嬢になんてさせません!」
イザベルにこう高らかに宣言したフローラに、戸惑うばかり。
フローラは天使なのか小悪魔なのか…
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
婚約者を友人に奪われて~婚約破棄後の公爵令嬢~
tartan321
恋愛
成績優秀な公爵令嬢ソフィアは、婚約相手である王子のカリエスの面倒を見ていた。
ある日、級友であるリリーがソフィアの元を訪れて……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】婚約破棄中に思い出した三人~恐らく私のお父様が最強~
かのん
恋愛
どこにでもある婚約破棄。
だが、その中心にいる王子、その婚約者、そして男爵令嬢の三人は婚約破棄の瞬間に雷に打たれたかのように思い出す。
だめだ。
このまま婚約破棄したらこの国が亡びる。
これは、婚約破棄直後に、白昼夢によって未来を見てしまった三人の婚約破棄騒動物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
悪役令嬢は楽しいな
kae
恋愛
気が弱い侯爵令嬢、エディット・アーノンは、第一王子ユリウスの婚約者候補として、教養を学びに王宮に通っていた。
でも大事な時に緊張してしまうエディットは、本当は王子と結婚なんてしてくない。実はユリウス王子には、他に結婚をしたい伯爵令嬢がいて、その子の家が反対勢力に潰されないように、目くらましとして婚約者候補のふりをしているのだ。
ある日いつものいじめっ子たちが、小さな少年をイジメているのを目撃したエディットが勇気を出して注意をすると、「悪役令嬢」と呼ばれるようになってしまった。流行りの小説に出てくる、曲がったことが大嫌いで、誰に批判されようと、自分の好きな事をする悪役の令嬢エリザベス。そのエリザベスに似ていると言われたエディットは、その日から、悪役令嬢になり切って生活するようになる。
「オーッホッホ。私はこの服が着たいから着ているの。流行なんて関係ないわ。あなたにはご自分の好みという物がないのかしら?」
悪役令嬢になり切って言いたいことを言うのは、思った以上に爽快で楽しくて……。
公爵令嬢エイプリルは嘘がお嫌い〜断罪を告げてきた王太子様の嘘を暴いて差し上げましょう〜
星里有乃
恋愛
「公爵令嬢エイプリル・カコクセナイト、今日をもって婚約は破棄、魔女裁判の刑に処す!」
「ふっ……わたくし、嘘は嫌いですの。虚言症の馬鹿な異母妹と、婚約者のクズに振り回される毎日で気が狂いそうだったのは事実ですが。それも今日でおしまい、エイプリル・フールの嘘は午前中まで……」
公爵令嬢エイプリル・カコセクナイトは、新年度の初日に行われたパーティーで婚約者のフェナス王太子から断罪を言い渡される。迫り来る魔女裁判に恐怖で震えているのかと思われていたエイプリルだったが、フェナス王太子こそが嘘をついているとパーティー会場で告発し始めた。
* エイプリルフールを題材にした作品です。更新期間は2023年04月01日・02日の二日間を予定しております。
* この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる