16 / 18
16 ラ・マルセイエーズ
しおりを挟むドゼはシドニー・スミスに向き直った。
「スミス代将。貴方は俺と似ている」
「は?」
シドニーがきょとんとしている。
「貴方は、トルコと祖国イギリスの橋渡しをすることで栄光を得ようとしている」
「別にそのような……」
シドニーが目を白黒させている。確かにお気楽な彼と「栄光」は、これほど結びつかないものはない。
「いいや。貴方の欲しい物は栄光だ。俺にはよくわかる。なぜなら俺も同じだからだ」
「ドゼ将軍が? 栄光を? 欲している? だって新聞で読みましたよ。貴方は、ライン方面軍時代、何度も栄誉ある地位を辞退したじゃないですか?」
ドゼは首を横に振った。
「俺の望む栄光は、金や名声では贖えないものだ。今ある栄光を捨ててでも、より大きな栄光を俺は欲している。それは貴方も同じだ、スミス卿。そして君もだ、フェリポー。君は決して、ブルボン家の為に戦ってきたわけではない」
俺はむっとした。
「何を言う。俺は王の為に戦って死んだんだ」
「あの太った臆病者のプロヴァンス伯(ルイ16世の上の弟。後のルイ18世)の為に? 放蕩者のアルトワ伯(後のシャルル10世)の為に? いいや、違う。君は栄光の為に戦ってきたのだ、フェリポー」
「長いこと戦っていると、相手のことがわかってくるものだな」
ぼそりとシドニーがつぶやいた。
俺は、尋ねずにはいられなかった。
「ドゼ将軍。貴方はその栄光を、ボナパルトに求めたのか?」
ドゼはうつむいた。短い間だった。
「『ラ・マルセイエーズ』が初めて演奏されたのを聞いた」
全く関係のない話を始める。
「上官に連れられて行った、ストラスブールの市長の家で。あの歌は、ライン軍の為に作曲されたんだ」(※1)
「そうだったんですか。私も聞きましたよ、トゥーロンの処刑場で。随分野卑で残酷な歌だと思いました」
しれっとシドニーが貶める。ドゼは肩を竦めただけだった。
「ストラスブールの市長はギロチンにかけられましたね」
シドニーが情報通な所を見せると、ドゼは頷いた。
「市長の家に俺を連れて行ってくれた上官もギロチンに処された。彼は貴族だった」
感情の抜け落ちた声だった。
俺は、雷に打たれたような気がした。
革命政府によって、大勢の貴族が処刑された。政府への忠誠を疑われ、無実の罪で讒言され、ろくに裁判にもかけられず、まるで流れ作業のようにギロチン台へと送られていった。
ドゼのいた軍の将校達も大勢、そうやって殺された。貴族であるのに革命の理念に賛同し、国の為に戦ってきたにも関わらず。
迫害された貴族たちを救うべく、俺は、亡命先からフランスに密入国し、活動していた。そして、同じ目的で活動していたシドニー・スミスと出会った。
「俺と同じ船でエジプトへ渡ってきた仲間に、ミルーという男がいた。彼はマルセイユにいた」
再び話が飛躍する。ついていけずに、俺とシドニーは顔を見合わせた。シドニーが首を傾げる。
「ミルー……聞いたことがある」
「『ラ・マルセイエーズ』を広げたのは彼だ」
マルセイユから来た義勇兵達の歌っている歌が次第に有名になり、ついには革命歌となった。
「つまり、あなたとミルー将軍? は、革命歌を通して知り合いだったわけですね?」
ドゼはほろ苦い顔をした。
「出航準備でイタリアへ赴任するまで、彼とは顔を合わせたことがなかった。ミルーは困った男だった。出航地のチビタ・ベッキアでの責任者は俺だった。当時、行く先は極秘だった。それが不満だったのだろう。彼は部下に、遠い国へは行きたくないと騒動を起こさせた」
「それはまた、思い切ったことを」
「ある日、戦隊長のラサールが、自分は一人っ子だから、母を置いて海の向こうへは行けないと騒ぎ出した」
「ラサール……これも聞き覚えが……そうだ! 彼が人妻に出した恋文もイギリス艦隊が略取したんだった! 今頃、庶民の娯楽ネタになっている筈です」
「ひどいことをする」
ドゼが苦笑を浮かべた。
「彼の相手は、ベルティエ将軍の弟の妻だぞ?」
「ベルティエ! ボナパルトの参謀ではありませんか!」
女房役と言われているほど信頼の厚い参謀だ。
「ボナパルトの参謀は、年の離れた弟を可愛がっている。その妻を寝取ったことが公開されちまったんだ。帰国したらラサールも年貢の納め時だな(※2)」
そういうドゼは、愉快そうでもあり、ラサールに同情しているようでもあった。
「つまり、ラサールはそういう男だ。早くからイタリアで、ボナパルトの下、頭角を現してきた。母親が寂しがるという理由で従軍を拒否するような男では、決してない」
「すると、ラサール戦隊長はミルー将軍に唆されたと? 船に乗りたくないと駄々をこねろと。ミルー将軍は貴方が嫌いだったのかな。ドゼ将軍、貴方も苦労してるんですね」
シドニーが変な同情をし、ドゼは苦笑した。
シドニーが眉を寄せた。
「ミルー……思い出した! フランソワ・ミルーだ。エジプト上陸後すぐに、マムルークに殺された将軍ですね!」
「そうだ」
俄かにドゼは遠い目になった。
「アレクサンドリアからカイロへの進軍は、砂漠の横断だった。出航前からわかっていたことだが、我々は明らかに準備不足だった。エジプトの気候風土について、まるで知見がなかった。水を入れる水筒も、靴さえなく、兵士らは喉の渇きに喘ぎ、灼熱の砂の上を裸足で歩かねばならなかった。苦しい進軍だった。俺たちの部隊は前衛で、最前線を行軍していた。途中、どのような危険があるかわからないから、用心が必要だった。それなのに、武器も水、食料の補給さえなく、あまつさえ、途中で馬に乗ったボナパルトに追いつかれ、進軍が遅すぎると叱責された。ミルーはそのことに憤っていた。途中、ダマンフールでの軍議で、ミルーはボナパルトに対し、エジプト遠征は誤りではないかと質した」
結果、ボナパルトはミルーから部隊を取り上げ、イタリアからずっと彼に従っている別の将軍に与えたという。
「大事な部隊を取り上げられ激昂したミルーは、同僚の止めるのも聞かず、彼の後を追って単身、砂漠へ出て行った。そしてマムルーク軍と出会い、殺された」
悲惨な話だ。ミルーという将軍も、ボナパルトの犠牲になったのだと俺は思った。
彼は、革命歌をマルセイユに、ひいてはフランス全土に広げた功労者だ。間接的にボナパルトは、革命歌を貶めたことになる。
「尊敬していた上官がそんな死に方をしたんだ。その後ラサールは実力を発揮できず、マムルークとの戦いで剣を落としたことさえあった。彼は俺の軍から離れたが、ひどく酒を飲むようになったと伝わってきた」
中エジプトへ移動したダヴー准将が、暫くの間、彼と行動を共にしていたのだと、ドゼは付け加えた。
突然、彼は俺に向き直った。
「つまり、そういうことだ」
「へ?」
「君は聞いた。俺は栄光をボナパルトに求めたのか、と」
わけがわからなかった。
戸惑う俺とシドニーを残し、ドゼは船室を出て行った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※1 ラ・マルセイエーズ初演
1792年4月24日(と25日)、ストラスブールの市長宅で、工兵大尉リールによって初めて演奏されました。最初のタイトルは「ライン軍の為の軍歌」で、当時の最高司令官、リュクネル元帥に捧げられました。
この時の画像をwkiで見つけましたので上げておきます。
この歌がマルセイユに伝わり、初めて会議で歌ってみせたのがミルーです。
※2 ラサールと妻
イギリス海軍のすっぱ抜きでラサールとの浮気がバレたベルティエの弟の妻ジョゼフィーヌは、夫から離婚されてしまいます。
ラサールが帰国すると、ナポレオンは彼に結婚資金を与えます。しかし彼は、なかなか彼女と結婚しません。彼女はラサールより4つ上。この時点で離婚した夫との間に、3人の男の子がいました。
弟の子どもを引き取った義妹です。ベルティエとしても彼女を不遇なままに放っておけなかったのでしょう。(恐らく、女房役の参謀に泣きつかれ)結婚資金を呑みつくしてしまったラサールに、ナポレオンはもう一度同額の金を与えます。さすがにラサールは彼女と結婚し、同時に彼女の連れ子である3人の男の子の養育を担うことになりました。なお、彼女との間には女の子が一人、生れました。
ところで、この夫婦の肖像画は、つい最近まで、違う場所に所蔵されていました。それを、妻と子ども達の絵を所蔵していたフランスの軍事博物館(Musée de l'Armée )が資金を募り、今年(2022年)2月、ラサール将軍の絵を購入、ついに夫婦は再会(?)できたとツイッターで報じていました。
イタリア遠征の頃から彼女は大きな戦争があると、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌ(同じ名前ですね!)と一緒に過ごすことが多かったそうです。エジプトのナポレオンに妻の浮気を知らせたのは、こちらのジョゼフィーヌが夫の兄のベルティエ経由で知らせたのではないかと、私は疑っています。
※3 ミルーの死
マムルークに殺されたミルーを埋葬したのは、ドゼの信頼篤い将軍、ベリアルです。彼は最後までカイロを守り、軍を引き連れ、ドゼが結んだ「エル=アリシュ条約」を遵守した名誉ある帰還を勝ち取りました。エジプト遠征を最終的に後始末したのはベリアルです。
エルバ島から脱出したナポレオンはパリへ戻る途中、いわゆる100日天下の前にミルーの母親の家に立ち寄っています。ここに至ってもなお、間接的にせよ自分が死に追いやったミルー、「ラ・マルセイエーズ」の功労者を利用するつもりだったのかと大変不愉快に感じるのですが、それはあまりに皮肉な見方でしょうか。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―
馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。
新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。
武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。
ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。
否、ここで滅ぶわけにはいかない。
士魂は花と咲き、決して散らない。
冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。
あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )

つきが世界を照らすまで
kiri
歴史・時代
――頃は明治 絵描きの話をしよう――
明治二十二年、ひとりの少年が東京美術学校に入学するために上京する。
岡倉天心の「光や空気を描く方法はないか」という問いに答えるために考え描かれていく彼の作品は出品するごとに議論を巻き起こす。
伝統的な絵画の手法から一歩飛び出したような絵画技術は、革新的であるゆえに常に酷評に晒された。
それでも一歩先の表現を追い求め、芸術を突き詰める彼の姿勢は終生変わることがない。
その短い人生ゆえに、成熟することがない「不熟の天才」と呼ばれた彼の歩んだ道は決して楽ではなかっただろう。
その人は名を菱田春草(ひしだしゅんそう)という。
表紙絵はあニキ様に描いていただいたものです。
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる