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7 ボナパルトの帰国
しおりを挟むエジプト遠征にボナパルトは、たくさんの文民を連れてきた。
芸術家、印刷工、手工業者。学者もいた。
特に画家や考古学者たちにとって、上エジプトの遺跡は宝庫だった。
半年ほど前、ドゼの遠征についてきた画家は、師団があまりに早く移動するので、遺跡をろくに見ることができず、呪いの言葉を吐き散らしていた。
……「もし明日私が死ぬようなことでもあったら、私の影はあなた方を追いかけ、あなた方の耳元で際限もなく、この遺跡の名を繰り返しますよ」
上エジプト遠征軍の任務は、マムルーク討伐だった。当時はまだ、ムラド・ベイに力があった。同じ場所に長く留まるのは危険だったのだ。
だか今や、遠征を終え上エジプトの統治は成功しつつある。機をみて、首都カイロから大勢の学者達が押しかけてきた。素晴らしい遺跡群を目の当たりにし、その遺物を調べる為だ。彼らは喜びに震えていた。
平和になったとはいえ、上エジプトにはまだ、マムルークやメカン(イスラム信者)の残党がいる。盗賊も多い。彼らから学者たちを護るのが、ドゼ軍の任務となった。
ある遺跡の調査に駆り出され、俺もついていった。
日中は暑く、見張りの兵士二人が、入り口で死んでいたこともあったという。窒息死と軍医は診断していたが、暑さのせいだと思う。フェリポーだった俺も、暑さと疲労で命を奪われた。
それに、盗掘団やメカンが潜んでいるかもしれないのだ。どこから弾丸が飛んでくるかわかったものではない。学者先生たちは大はしゃぎだが、護衛兵である俺達は、全く気が抜けない。
「坑道がある!」
大きな石の隙間に、ためらいもなくドゼが滑り込んでいく。この男は、体が土で汚れるのなんか、全く意に介さない。むしろ嬉々として地中に潜る。ボナパルトが、跪くのが嫌だと言って、ピラミッドの内部に入らなかったのとはえらい違いだ。
学者たちがそれに続き、辺りに人の気配がなくなった。
南国の強い日差しが照り付ける。
遠くから、蹄の音が聞こえてきた。思わず緊張する。
「ドゼ将軍はいるか?」
同じ師団の将校の声だった。一気に緊張が抜けた。
「今、地下に潜っていった」
声を張り上げて答える。将校が近づいてきた。
「至急便だ。アレクサンドリアから通知が来た」
「アレクサンドリア?」
ここからはるか北、フランス軍が最初に占領した海辺の町だ。
将校は書状を振り回した。
「ボナパルト将軍は、政治的動機で帰国された。後任の総司令官は、クレベール将軍が就任した」
「なんだって!」
穴の中から、ひょっこり、両頬に傷のある顔が覗いた。
慌てて出て来ようとしたドゼは、突き出た岩に頭をぶつけた。
「クレベール新司令官からの命令だ。もはや俺は、上エジプトに不可欠な存在ではない。カイロヘ戻るよう、命令が出た」
集まった諸将にドゼは告げた。
「しかし今、貴方がいなくなったら……」
不安そうな声は、フリアンだ。
ドゼはにっこりと笑った。
「大丈夫。住民は君らの味方だ。ここアシュートは、今まで通りにやればいい。そしてベリアル、君はナイル上流のケナ方面を、ドンゼロットは紅海に面したコセールを守れ。引き続き、イギリス艦隊に警戒せよ」
「しかし、なぜボナパルト将軍は、パリへ?」
大声が聞こえた。副官のラップだ。
「何かお考えがあるに違いない。兵士の任務は、上官に従うことだ。遠征軍の総司令官はクレベール将軍に変わったが、ボナパルト将軍がフランス陸軍のトップであることに変わりはない。ラップ、ゆめゆめ彼を批判するなよ。他のみんなもだ」
軍を追いて、ドゼはカイロヘ向かうことになった。
ドゼは、少年たちを保護し、上エジプトの統治を宗教的指導者の手に委ねた。それは、評価に値するかもしれない。
封建制度におけるエジプトの支配者はトルコ大帝だが、さすがに俺も、エジプトをトルコに返せとは言いたくない。トルコの混沌をよく知っているからだ。
エジプトをマムルークから取り返し、トルコ大帝に返すと言っていたボナパルトは、今ではそのトルコと戦っている。
エジプトは、住民の手に返すのが一番だと俺も思う。マムルークのムラド・ベイは、徐々にドゼの考えを呑みこみ、エジプトの自治に力を入れ始めた。
確かに、ドゼのやったことは評価できる。
だが彼は、革命軍の将軍だ。貴族であるにも関わらず、王を裏切った。
亡命貴族だった俺、フェリポーの敵だ。
ヨーロッパでは、ボナパルトの遠征が散々にこき下ろされている一方、ドゼの上エジプト遠征だけは高く評価されている。
言い換えればドゼは、ボナパルトのエジプト遠征におけるただ一つの成功だ。
パリの士官学校で同窓生だった経験から、ボナパルトのやり口はわかっている。
ボナパルトは、シリアで残虐なことをさんざんしでかした。彼の非道を証言する兵士もいるだろう。彼には援護者が必要だ。
ドゼはボナパルトにいいように利用されるに違いない。エジプト遠征は必要だった、素晴らしい成果を上げたのだ、と。
ドゼ自身がボナパルトの欺瞞に気づき、これを退けるのならいい。だが生憎と彼は、ボナパルトに心酔し、心からの忠誠を誓っている。
馬鹿者が。
忠誠を誓うのなら、ルイ18世だろうが。
やっぱりドゼは生かしてはおけないと俺は思った。
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