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Ⅳ 祖国へ

暖かく大きな掌 1

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※ジウ目線に変わります

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 「お前は……ジウ王子!」
 非難めいた眼差しが、シャルワーヌへ向けられる。

「やっぱり……やっぱり、この少年だったのか。シャルワーヌ、お前が執心なのは。おかしいと思ったのだ。女に関心のないお前が、マワジへ来たとき、色美しいカシミヤなんぞ買うから」

 ぐう、という変な声が、シャルワーヌの喉から洩れた。

「ご、ご存じだったんですか、マークス将軍。首都マワジでは、彼のことは、誰にも話さなかったのに」
「知らないわけがない。脇が甘いのだ、お前は!」

 聞いていて、安堵のあまり涙が出そうだった。

 春色のカシミヤは、最終的に、彼のハーレムにいた少女マーラの物になった。けれどシャルワーヌがそれを買った時には、既に俺とジウは入れ替わっていた。受け取ってはやらなかったけど、カシミヤは、シャルワーヌから俺への贈り物だ。

 シャルワーヌはそれを、一人で買いに行った。彼の傍らに、オーディンがいたわけじゃない……。

 それにしても「脇が甘い」って、オーディンのやつ、シャルワーヌの身辺を探らせてでもいたのだろうか。

 猜疑深いまなざしが、注がれた。
「なぜ、ウテナの王子がここに?」

 それで、俺は言った。
「ジウの姿をしているが、俺はエドガルドだ。君の学友、エドガルド・フェリシンだ」
「……エドガルド?」
「エイクレ要塞で君に砲撃され、俺は死んだ。そして、上ザイードにいたジウ王子に転移した」

 戸惑ったように、オーディンはシャルワーヌへ目線を送った。
 無言でシャルワーヌは頷いた。

 すうーっと、オーディンの顔から血の気が引いた。

「ザイードから帰国する戦艦の中で君に会った時、似ていると思ったのだ。外見は全く違う。しかし……」

 最初からオーディンは感じていたのだ。ジウ王子の中に、俺がいることを。
 イスケンデルから出港したフリゲート艦の中で、彼は言った。

 ……「君は、あの男によく似ている。私の質問にすぐに答えようとしないところといい、反抗的なその態度といい……恋敵であるところまで、そっくり相似形を保っている」

 オーディンがじっと俺を見つめている。 

 「食料や飲料を砲弾に仕込んで要塞に送り込んできたのは君だな、エドガルド。学生時代、君は、そういう研究をしていた」

「覚えていてくれて光栄だ。だが、成功の栄誉は、上ザイードにいた手工芸者シトワイヤンに帰すべきだ。彼は、高い所から割らずに卵を落とす研究をしていた」

 残忍な笑みを、オーディンが浮かべた。

「なぜここにいる、エドガルド。シャルワーヌと一緒に? 俺は言ったはずだ。お前に渡すくらいなら殺す、と」
「だが、お前は失敗した」
「失敗したのは、ペリエルクだ」

 この期に及んでまでも、オーディンは自分の失点を認めようとしない。

「そうだな。ジウの魂が彼を護ったのだ」

 彼が、シャルワーヌの代わりに第一の毒を飲み干したおかげで、オーディンの与えた第二の毒は、効果を失った。その代償として、ジウは昏睡状態に陥り、俺と入れ替わった……。

 オーディンの目が、不敵に瞬いた。
「シャルワーヌ。お前はどうなのだ? お前は俺に、忠誠を誓ったのではなかったか」

 きっとシャルワーヌが顔を上げた。
「誓いました。けれど、将軍。貴方は変わってしまわれた。貴方にとって大切なのは、民の幸せではない。ご自分の野望だ」

「その野望に賛同して、お前はソンブル大陸までついてきたのではないのか。それとも、あれか? 単にエドガルドと戦いたくなかったから、違う大陸まで出かけて行ったに過ぎないのか」

 シャルワーヌの肩が震えた。
「正直に申し上げます。そうした気持ちも確かにありました。戦場でエドガルドと出会うことが、心底、恐ろしかった。敵味方に分かれ、殺し合いたくなかった。でも、」
きっとオーディンを見据えた。
「私は、失敗するとわかっている遠征についていったりはしません。貴方の野望への共感は、確かにあった。ソンブル大陸からタルキアを通り、我らがウアロジア大陸へ、陸続きで移動する。古代の英雄たちと同じように。そして、敵国ウィスタリアに背後から襲いかかる。……貴方ならできると思ったのだ!」

 最後の一言は、絶叫に近かった。抑えられた低い叫びだ。

 ほろ苦くオーディンは微笑んだ。
「青春の夢というわけか」

 オーディンとシャルワーヌ。確かに二人は、同じ夢を見ていた。けれど現実の厳しさの前に、美しい夢は変質してしまった……。

「タルキアでの貴方の行いについて、もっと早くに知っていたら、この身を呈してでも、貴方をお諫め申し上げたでしょう」

 行軍に連れて行くのが負担だという理由で、オーディンは、タルキア兵の捕虜を大量に殺戮した。また、疫病に罹った味方の兵士に毒を渡し、自死を促した……。

「クーデターはまだ容認できました。革命政府の軍への対応はひどいものでした。補給は殆どなく、それどころか戦争に負ければ、勇敢で高潔な司令官たちが次々と処刑されていった。敵とのスパイ容疑や、わざと軍の士気を低下させたなど、派遣議員たちのでっち上げた、ありもしない罪状によって」

 貴族であるシャルワーヌ自身、常に派遣議員の疑惑の眼差しに苦しめられてきた。軍で生き残るには、常に一番危険な場所で、死と隣り合わせにありながら、勇敢であるしかなかった。

「ただ……。なぜ即位など考えたのですか? ユートパクスに王は必要ない。世襲の皇帝なら、なおさらだ」

 オーディンの顔色が変わった。

「では、どうせよと? 革命から逃げ出した王ブルコンデ18世を呼び戻すのか? 即位は絶対に必要だ。ウアロジア大陸の国々は、ほぼ全てが世襲の王を頂いている。共和制を敷く政体ユートパクスには、諸外国の信頼が得られないのだ」

 シャルワーヌは大きく息を吸った。

「亡命王ブルコンデ18世は、摂政権を、とある女性に授けました」
「何!?」
「王の血を引く娘です。けれど、彼女の母親は、全くの民間人だ」
「……」
「彼女なら、王党派も、革命側も、納得するでしょう。事実、王党派蜂起軍は、彼女を受け容れました」


 あの日、フランたちの前でシャルワーヌは、コラールがブルコンデ18世から摂政権を授けられたと語った。

 「でも、そんな。貴女はいいのですか、コラール嬢マドモアゼル・コラール
 驚き、そして義憤に駆られ、俺はシャルワーヌの姉に詰め寄った。

 この計画は、ラルフとシャルワーヌの間で練られたものだ。コラールにユートパクスの政権を委譲してもらおうという計画は。

 けれど、コラールは、ユートパクスで危うく処刑されそうになった。そして、亡命貴族軍俺の仲間の働きで、処刑寸前で、アンゲルへ渡る逃げることに成功した。その後、オーディン・マークスが恩赦を出したが、王族と一部「反抗的な」王党派は、依然として、帰国を許されていない。

 帰国が叶わずとも、彼女にはこのまま、アンゲルで穏やかに暮らす道だってあるのだ。

「私は、一度死んだ身です。自分ではそう、思っています」

 濃い色の瞳が俺を見据えた。血が繋がっていないにもかかわらず、弟とよく似た瞳だ。

「そもそも私がここまで生きて来られたのだって、シャルワーヌの活躍があってこそです。戦場でこの子が、自分の身を顧みずに活躍してくれたから」

「姉さん……」
「貴方は黙って、シャルワーヌ」

何か言いかけた弟を、コラールは制した。
「貴方が無事で、本当に良かった。いつだって私は貴方が心配で……」
声が涙で詰まる。

「俺は平気だよ。敵にやられて、もし動けない体にでもなったら、姉さんが面倒見てくれると信じていたからね」
 からっとした声でシャルワーヌが言う。場の雰囲気を和ませようとしているのだ。

「まあ、この子は!」
コラールが笑い出す。不意にまじめな顔になった。
「私は貴方に勇気をもらったわ。今度は私の番よ。王の血と庶民の血と。二つながらを受け継いだからには、ユートパクスの分断をなくし、この国をひとつにするよう、精一杯、頑張ってみる」

「でも、危険かもしれない」
俺にはなおも危惧があった。シャルワーヌの姉を、危険に晒すわけにはいかない。
「ブルコンデ18世周りが首席大臣オーディン・マークスの暗殺を目論んだように、共和派は、貴女を殺そうと付け狙うかもしれない!」

「ユートパクスの人に殺されるなら本望です」
静かな声だった。
「その場合は、願わくば私の死が、同じ民族の争いに反省を促すように。ユートパクスの分断は、終わらせねばなりません」

まっすぐにシャルワーヌを見た。

「それは、あなたの願いでしょ?」
「はい、姉さん」

 ……「『俺が終わらせる』。エドガルド、君と共に生きていくために」

「だから貴方は何ものをも恐れなかったのね?」
「はい」

シャルワーヌの目が俺を射竦める。
「王党派の亡命貴族と革命軍の将校。敵対する者同士が、ともに生きる為に」

 その時感じた安堵を、俺は生涯、忘れないだろう。もう俺は、シャルワーヌと敵味方になって戦うことはない。彼と殺し合わなくて済むのだ。

 東の国境での誓い通り、シャルワーヌは、王党派と革命軍の戦い……この国の分断を終わらせようとしている。







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