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Ⅳ 祖国へ

……嫉妬?

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 次に意識を取り戻したのは、がらんとした城の中だった。

「目が覚めましたかな?」
白いひげの男が顔を覗き込んでいる。

「貴方は……?」
「医者です。ここは、王党派の治療所ですよ」
「王党派の!」

 俺は飛び起きようとした。
 背中が痛み、呻いた。

「ああ、無理をしてはいけません。全身、打ち身だらけだ。残酷な拷問に遭ったのですね。お気の毒に」

 思ったより傷は軽いと、医師は言った。少なくとも致命傷にはならなかった。ただ少し、体が弱っているだけだ、と。

「あの、医師ドクター。俺は、誰かと一緒じゃなかったですか? つまり、その……」

 もしかしたら、夢だったのかもしれない。
 願望が見せた夢だったとしたら、我ながらなんと諦めの悪いことだろう!

「ああ、あの黒髪の……」
医師は、眉を顰めた。
「あの方は、貴方を潰してしまいかねませんでしたのでね。別室で控えて貰っています」

「黒髪ではありません」
「なんですと?」
「本当は赤毛なんです」

 シャルワーヌの髪は、濃い色の赤だ。濃い赤は、密集すると、遠目には黒く見える。
 くすりと医者は笑った。

「会いたいですか?」
笑みを含んだままの声で問う。

 するとあれは、現実だったのか?
 現実にシャルワーヌが俺を助けに来てくれたのか?
 オーディンを捨てて?

 まさか。
 ありえない。

 「話し声がした。彼は目を覚ましたのか。なぜ俺を呼びに来ない!?」
人影が、部屋に入ってきた。

「エドガルド!」
容赦のない力で抱きしめられた。

「シャルワ、……ぐぅ」
 背中をやすりで擦ったような痛みと、それ以前に、あまりの馬鹿力に肺から空気が押し出されて、声が途切れた。

「これだから、この人は。私の患者を殺す気ですか」
 ぶつぶつ言いながら、医師がシャルワーヌを引き離す。息も絶え絶えの俺の体を、積み上げた布団に寄り掛からせた。

 怪我人をあまり興奮させないように言い置いて、医師は退室していった。

「大丈夫なのか、エドガルド。君は大丈夫なのだな?」
 心配そうに、俺の顔を覗き込んでくる。彼は私服姿だった。

「大した傷じゃない。鞭打たれたのは、ほんの数発だ。しかも最初の何回かは、体に巻いた布がガードしてくれた」

「君は真っ青い顔をして、意識を失っていた。瀕死だったんだ。俺は、俺は……」

 顔を歪め、今にも泣きそうだ。
 俺は慌てた。

「医者の太鼓判付きだ。傷は、大したことはない」

 シャルワーヌの目に、険悪な色が宿った。
「くそっ、鎮圧軍のやつらめ……」

「襲いに行くなよ。君の同志だ」

 きっちりくぎを刺した。
 同じ軍の中で、禍根を残したらいけない。ましてや俺がその原因になるなんて。

 不意にシャルワーヌは、ベッドサイドに跪いた。
 「迎えに来るのが遅くなってすまなかった、エドガルド。君がどこにいるのかわからなかったのだ」

 護送車の連中が素直に俺を引き渡さなかったので、シャルワーヌは彼らを縛り上げた。そこへ、物陰から様子を窺っていた蜂起軍のメンバーが現れた。俺を奪還すべく、護送車の後を追っていたのだ。

 彼らの案内で、医者の常駐するこの治療所へ運び込んだのだと、シャルワーヌは語った。

 「君は……」
 俺は言いかけ、でも、続きが出て来ない。

 ……「お前を愛している。エドガルド。俺はお前を選んだのだよ。オーディン・マークス将軍への忠誠は捨てたのだ」
 あれは、俺にとって都合のいい、幻聴ではなかったか。

「なぜ君は、ここへ来た?オーディンのところでおとなしくしていないんだ?」

 シャルワーヌの目に慚愧が浮かんだ。

「ラルフ・リールから聞いた。君は……君はそんなにも俺のことを思ってくれていたんだな? 派遣議員の密告や処刑台から、俺を守ろうとしてくれたんだ。だが、違う。違うよ、エドガルド。俺がオーディン・マークス将軍の元へ下ったのはな。君と戦いたくなかったからだ。戦場で君と出会うことが、死ぬほど恐ろしかったから。当時マークス将軍は、ザイード遠征を考えていた。違う大陸へ行けば、君と鉢合わせることはないと俺は考えた。だから、彼の遠征に参加し、ザイードへ赴いたのだ」

ほろ苦く笑った。

「まさか君が、タルキアに来るなんてな。でも、俺は上ザイードにいた。結果として、君と戦わずにすんだ」
「嘘だ! 君はオーディンを愛しているから……」

言いかけた俺の疑惑は、断固として打ち切られた。

「違う。俺が愛しているのは、エドゥ、君だけだ。前世の君から、東の国境で初めて会ったあの時から、ずっと。でも俺と君は敵同士だった。なんて恐ろしい……。俺は、何があっても、君とだけは、殺し合いたくなかった」

「安心しろ。俺に君は、殺せない」
「あの時も君はそう言った! あの、最後の日にも……」
シャルワーヌの目がぼやけた。

 騙されまい……俺は踏ん張った。ここで絆されたらダメだ。
 だって、シャルワーヌとオーディンの間にあった行為は……。

「君にとって、オーディンとのことは何なのだ?」
「俺は彼を尊敬していた。能うる限り最高の献身を捧げたかったのだ」
「だから彼と寝たのか?」
「ああ」
「……信じられない」

 嘘だ。
 本当は、少しずつ、シャルワーヌの考えを受け入れ始めている。

 悠久の死生観を持った、タルキア皇帝の強さと優しさ。
 砂漠で前世の俺の埋葬場所を示し、それでも、俺は俺であることを保証してくれた、シャルキュ太守。

 彼らは、頑なだった俺の心をほぐしてくれた。
 そして。

 ……「そうだ。大抵は、自分と血縁の近い女を差し出すのだ。それができなければ、自分と相手の体を繋げるしかない。特に、忠誠が重んじられる社会では」
 イスケンデルでの、イサク・ベルの言葉。

 シャルワーヌは、オーディン・マークスに敬意を抱いている。それは殆ど崇拝だ。けれどシャルワーヌには、差し出せる身内がいない。だから、自らの体を……。

「容認できない。君は俺だけのものだ」
「エドガルド?」

 意外そうな声が問い返した。底の方に、かすかな期待を孕んでいる。
 一気に俺はぶちまけた。

「そりゃ、前世のことを考えると、俺には、そんな風に言う資格はない。けど、君が俺ではない誰かとヤっていると思うと、堪らない気持ちになるんだ。君が、その体を誰かと繋げ、俺に見せたのと同じ顔を見せ、あの吐息を吐いているのかと思うと……、心底、気が狂いそうになる。腹が立つんだ。俺が俺でなくなりそうなくらいに!」

「エドガルド!」
 再び、強く抱かれた。

「それ、嫉妬だよな?」
「ち、違う」
「違わない。君はずっと、嫉妬してくれてたんだ」
「うぐっ」
「そうだろ、エドガルド」
「放せ、馬鹿!」
「いい加減、認めろよ。嬉しい言葉を聞かせてくれ」
「い……痛い」
「すまん!」

 慌ててシャルワーヌが俺の体を離す。
 今ので、確実に傷のいくつかは開いてしまっただろう。激痛で、俺の顔は青ざめていたと思う。そんな俺の顔を真剣に見つめ、彼は誓った。

「君が嫌がるなら、もう二度と、マークス将軍と寝たりしない」

布団に寄り掛かり、ふい、と俺は横を向いた。
「信じられるか」

「信じてくれていい。いいか、エドガルド。すでに俺は、君を選んでいる。命を懸けた究極の瀬戸際で、俺は、君を選んだんだ」

 革命軍に捕らえられ、瀕死の状態にあった俺と。
 クルスで敵軍に包囲されているオーディン・マークス。
 ためらいもなく、シャルワーヌは西へ向かったと語った。南のクルス半島ではなく。

「だが、おい、オーディンは?」
彼の話を聞き、思わず問い詰めた。

 憎い奴だが、オーディンは学友だ。一時は、愛し合った仲でもある。混乱の戦場で、彼は、シャルワーヌを頼ってきたではないか!

「包囲戦は膠着状態に入っている」
暗い瞳で、シャルワーヌは告げた。

「馬鹿、ならなぜここへ来た? オーディンを救いに行かないと……!」
「君が死ぬからだ! 俺が来なければ、君は死んでいた! 言ったろ、エドガルド。俺は君を選んだ」

 この時初めて、彼の選択の重さに気づいた。彼は本当に、二つの命を天秤にかけたのだ。そして迷わず、俺を選んだ……。

「シャルワーヌ。本当に君は俺を愛してくれていたのか? 弱い体に生まれ変わったこの俺を?」
「もちろんだ」
「オーディン・マークスよりも?」
「彼に捧げたのは、忠誠だけだった」

 それが、過去形になっていることに、俺は気づいた。

「マークス将軍のことなら、心配いらない。ウィスタリア帝国軍は慎重な攻撃をする。早急な進展はないはずだ。ユートパクスの兵士たちは総司令官を守るだろうし……」

 淡々とした口調だった。冷淡にさえ聞こえる。到底、家族や愛人について語っている風ではない。
 思えばそれは、いつもシャルワーヌがオーディンについて語る時の口調だった。
 俺が、今まで気がつかなかっただけだ。

「オーディンは、皇帝になったと聞いた」
 気になっていたことを口にすると、シャルワーヌの瞳が、不思議な翳りを帯びた。

「その件について話し合う前に、エドガルド。君に紹介したい人がいる」
ベッドサイドに跪いたまま、彼は俺の手を握った。
「俺の姉さんだ」

 ……姉さん?

 それは、あれか?
 家族に恋人を紹介したいという、あの、気恥ずかしくも重要な、避けて通れない……。

 まさか。

 オーディンが即位したというのに。ブルコンデ18世の治めるべき国に。
 今はそれどころではない。






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