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Ⅳ 祖国へ

オーディン暗殺

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 爆音は、大広間に集まった人々の耳にも届いた。
 広間が震えるほどの凄まじい音と振動だった。

 首席大臣オーディン・マークスの部屋の方角から聞こえた。

「爆弾だ! 爆弾が爆発した!」
衛兵たちの叫び声が聞こえる。
「大変だ! マークス閣下のお部屋が!」

 人々は顔を見合わせた。気の早い者達が、様子を見に飛び出していく。

 戻ってきた彼らは、オーディンの部屋に火薬の入った樽が仕掛けられていたという一報を齎した。その樽が爆発し、オーディン・マークスの部屋は瓦礫と化した、と。

「室内にいた事務官が数名、犠牲になったようだ。それと、ドア付近にいた侍従が」
「では、閣下は?」
「詳しいことはまだ、わかっていない」

 不安が人々の上を覆った。首席大臣オーディン・マークスは、爆殺されてしまったのか……?

 人々の不安が最高潮に達した時だった。
 オーディン・マークスその人が姿を現した。先ほどと同じ軍服姿のままの彼は、平然としていた。

「マークス閣下……ご無事で」

 感極まって問いかける参謀に、オーディンは顔色一つ変えずに頷き返した。

 そのまま自分の席に着き、ワイングラスを持ち上げる。グラスの中のピンク色のワインは静かに凪いでいた。自分の命を狙われたばかりの彼は、普段と全く同じだった。ほんの僅かも震えてはいなかった。

「諸君。食事の前に騒がせてしまって、申し訳なかった。さあ、馳走を楽しんでくれたまえ」

「オーディン・マークス、万歳!」
 真っ先に叫んだのは、年若い軍曹だった。革命前、工場で一日16時間働いていた彼は、今では胸に勲章をつけていた。
「皇帝陛下、万歳!」

 はっと、人々は息をのんだ。
 次の瞬間、人々は我先にとグラスを掴んだ。

「オーディン・マークス皇帝、万歳!」
「ウアロジア帝国、万歳!」

 先ほど聞こえた爆風に勝るとも劣らぬ大きな声で、人々は唱和した。




 火薬を仕込んだ樽を仕掛けたのが誰か。それは、とうとうわからずじまいだった。

 ただ、数日前に、王党派の亡命貴族が数名、ユートパクスに上陸したという情報が入った。彼らは、ブルコンデ18世の腹心だと言われていた。

 これを聞いたオーディンは、亡命貴族などの王党派に恩赦を与えると公布した。いつまでも争い合うより、同じ民族同士、和解しようと語りかけたのだ。

 また、武器を捨て、投降すれば蜂起軍も赦すと公言した。

 自分を害そうとした敵をも許すオーディンの度量の広さに、人々は感心した。兵士らだけでなく、民衆の人気もうなぎ上りに上がっていった。

 ついに、上院議員が、今すぐ皇帝に即位してくれるよう、彼に頼みに行った。

 これに対しオーディンは、公平な選挙を経て選ばれたのなら、帝位に就くことを引き受けようと答えた。

 民衆の熱狂はいや増した。
 今すぐ帝位に就くよう、議員は日参し、オーディンの家の前には、群衆がひしめきあった。彼らはオーディンの名を呼び、帝位に就くよう、懇願した。

 慌ただしく「選挙」が行われた。
 圧倒的多数で、オーディンは、ユートパクスの皇帝に選ばれた。

 その選挙が公正だったかどうかは、知る由もない。

 彼の次なる使命は、公約通り、ウアロジア大陸全土に版図を広げることだ。手始めに、クルスを奪還しなければならない。

 ただ、人々は気がつかなかった。
 オーディン即位の布告文には、いつの間にか、「世襲の皇帝」と書き加えられていた。







 「皇帝陛下。シュールから伝令です」

 クルス出陣の数日前。
 執務室へ戻ると、秘書官が駆け寄ってきた。

「シュールから?」

 オーディンが眉を上げる。シュールは、南の軍港だ。かつてオーディンが砲兵隊長として活躍した軍事都市でもある。(*)

「はい。シャルワーヌ・ユベール将軍からの報告です。アンゲルから無事、シュールへ入港した、とのことです」
「……そうか」

 ようやくか。
 オーディンは思った。

 去年、クーデターが終わるとすぐ、オーディンはシャルワーヌを召喚した。
 召喚命令に応じる為、シャルワーヌは、ザイードの港町、イスケンデルへ向かった。はからずも彼は、オーディンの命令には絶対服従することを証明したわけだ。

 ひとたびオーディンが命じれば、無条件でシャルワーヌは従う。たとえそれが、ワイズ将軍はじめ、遠征軍の仲間たちをザイードに置き去りにせよとの命令であったとしても。かつてオーディンがしたように。

 そう、それが、部下や同輩の期待を裏切る行為であったとしてもだ。

 この事実が、どれほどオーディンを安堵させたことか。

 やっぱりシャルワーヌは、オーディンのものなのだ。なくてはならない、忠実なしもべだ。

 その人気、兵士たちからの信頼ゆえ、一度はシャルワーヌを殺そうと、真剣に考えた。しかし計画に失敗して、はっきりわかった。

 自分はシャルワーヌを愛している。宰相は皇妃を娶れと言っていたが、妃など、お飾りに過ぎない。シャルワーヌを手放すつもりなど、毛頭ない。

 ところがシャルワーヌは、船を待つ港町イスケンデルで銃撃され、アンゲルへ拉致されてしまったという。
 詳細は伝わっていない。

 ……アンゲル?
 ……拉致。
 ……まさか。

 一人の男の顔が、目の前に浮かぶ。
 オーディンの「初めて」の男。彼を組み敷き、永遠の屈辱を与えた……。

 あの男……エドガルドは、アンゲルの戦艦に乗り込んでいた。まさか、彼がシャルワーヌと一緒に?

 ……エドガルドは生きているのだろうか。

 エイクレの要塞で、確かに彼を見た気がした。要塞は崩れ落ち、その中にいたはずのエドガルドは……、しかしオーディンは、彼の遺体をみていない。

 王党派への恩赦は、エドガルドを燻りだす為の罠でもあった。
 生きていても、死んでいても。



 シャルワーヌが、アンゲルに拉致されたと聞き、即座にオーディンは捕虜交換を申し出た。

 シャルワーヌに代わってユートパクス側が釈放するのは年寄りの将軍で、到底釣り合いが取れない。アンゲル側としては不服だろうが、それでも了承を伝えてきた。

 オーディンは急いでいた。

 一刻も早く、シャルワーヌを召喚したかった。彼の無事を確かめ、その腕に抱かれ、そして……。

 彼に埋めてもらわなければならない。彼が穿ったオーディンの欲望を。彼の形に変わってしまった内奥の間隙を。

 皇帝となった自分を、あの男はどのように抱くだろう。今まで通り、切羽詰まった乱暴な抱き方をするのだろうか。


 秘書官が何か言っている。生真面目な報告を、オーディンは遮った。

「もう間もなく我々は、クルス半島へ向けて、山越えを開始する。シュールから首都シテへ来たのでは時間がかかりすぎる。直接、クルスへ来いと伝えろ」

「ユベール将軍を参戦させるのですか?」

「もちろんだ。軍の将軍に、他に存在意味があるのかね?」

 もちろん、ある。
 だがそれは、この秘書官が知らなくてもいいことだ。
 シャルワーヌの魅力は。







 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
*ちなみにシュールは、Ⅰ章「砲兵隊長」で、王党派に対し、オーディンが残虐な処刑を行っていた場所です


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