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Ⅳ 祖国へ

アップトック提督の称賛 1

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 ほかの大陸から帰国するには、通常、1ヶ月の検疫を要する。隔離された環境で過ごし、恐ろしい伝染病が発生しないか、様子を見るのだ。

 ちなみに、日程から見ると、ザイードから帰国したオーディン一行が、検疫を受けなかったことは明らかだ。武力クーデターを起こし権力を掌握することに気持ちのはやっていた彼は、検疫所で1ヶ月もじっとしていられなかったに違いない。

 翻って俺たちは、いわば密入国だ。役所による検疫を受けるわけにはいかない。

 かといって、恐ろしい伝染病を、祖国ユートパクスへ持ち帰るわけにはいかない。過酷な環境でゲリラ戦を繰り返す蜂起軍にはなおさらだ。

 それで、洋上で1ヶ月ほど停泊し、様子を見た。幸い、ロロや俺を含め、誰も、伝染病による発熱はない。
 安心して船を走らせ始めた。


 そして、ついに見たのだ。
 懐かしい祖国、ユートパクスの海岸を。

 2年ぶりに見た祖国は、青い海の向こうに、煙るように姿を現した。

 2年前、この海を越え、俺とラルフは海峡を渡った。シテ塔から脱走したラルフと、亡命貴族の俺。イカ釣り漁船に乗って外洋に出、アンゲル艦に拾われた。それきり、祖国には帰っていない。

 密かに帰って来たところを革命軍……今ではオーディン・マークスの軍……に見つかったら、生きてはいられまい。

 母なる祖国は、危険な国になってしまった。俺にとっては、特に。

 それでも、久しぶりにこうして、海の上に横たわる姿を目にすると、懐かしさに胸が締めつけられる。
 8歳まで俺を育ててくれた伯母は、元気だろうか。親子ほどに年の離れた従姉兄たちはどうしているだろう……。


 甲板に出て、感慨にふけっていた時だった。

「そこのタルキア船、止まりなさい」

 遥か前方の洋上から警告が響き渡った。
 アンゲル語だ。右舷前方から、艦隊が近づいてくる。

「ユートパクス沿岸は、我々アンゲル海軍に封鎖されている。近づくものは、同盟国の船であっても砲撃する」

 タルキアは、アンゲルの同盟国だ。それをいきなり砲撃とは、強気な司令官だ。

 ここでことを起こすつもりはない。ユートパクスの沿岸警備隊の目を引き、上陸がますます難しくなってしまう。
 走り始めたばかりのタルキア船は、静かに停止した。

 アンゲル艦からボートが下りてきた。数名の将校が乗っている。彼らは、タルキア船に近づき、乗船してきた。

 心配することはない。だって、通行証があるのだから。

 ラルフの発行した通行証だ。これだけは自分の義務だからと言って、ロロの手紙と一緒に渡された。手紙のほうは、書いた本人が同行しているので不要となってしまったのだけれど。

 船が止まり、不安になったのだろう。甲板でもやいにつなぐ綱の点検を手伝っていたロロが近寄ってくる。


「これは、無効だな」
 書類を一瞥し、アンゲルの将校はにべもなく言い放った。

「なんで? ザイード・タルキア方面における、あんたらの国アンゲルの将軍の署名が入ってるじゃないか!」
 タルキアの船長は強気だ。当たり前だ。通行証は偽造でも何でもない、正真正銘のラルフの署名入りだ。

、な」
ラルフの身分を訂正し、アンゲルの将校は、冷たく言い放った。
「やつの署名入りなら、その通行証は、なおさら無効だ」

「どういうことですか?」
 思わず俺は割って入った。

 黙ってろとばかり、船長が肘で押し返す。彼の言い分もわからないではない。蜂起軍に合流しようとしているのだから、下手に俺が出ていくのはまずい。
 だがこの将校の冷淡な口調からは、ラルフへの侮辱が感じられたような気がして、耐え難かった。

「君は?」
アンゲル将校が尋ねる。

「エドゥ・ヒュバート。ユートパクスの亡命貴族だ」

 とっさにその名を名乗った。背後でロロが首を傾げる気配がしたが、賢いこの子は、何も言わなかった。

 偽名を名乗ったのには訳がある。

 アンゲル海軍の将官なら、エドガルド・フェリシンの名は知っているはずだ。ラルフは本国へ報告を送ったから、その名の主が死んだことも。

 大らかで悠久の価値観を持つタルキア人と違い、近代化されたアンゲル人は、転移などという概念を受け容れないだろう。下手をすると嘘だと疑われ、警戒される可能性がある。

「ふうん? ウテナ人のようだが?」
「ウテナにルーツがある」

 この体の本来の持ち主ジウは、ウテナの王子なのだから。

「この人は、うちの船の客人だ。俺らにはこの人を、アンゲルに上陸させる任務がある」

 船長が口を添えた。いきなり偽名を聞かされても、顔色ひとつ変えない。やっぱりタルキア人にとっては、身分や出自よりも、俺が俺であることが、何より重要なのだ。

 「代将だけど、ラルフ・リールはメドレオン海域のタルキア・ザイード沿岸を任せられている。彼の発行した通行証は有効なはずだ」

 足を踏ん張り、声を怒らせて抗議した。
 通行できないのも困るが、ラルフへの侮辱をそのままにしておくわけにはいかない。

 すると、アンゲル将校は皮肉な形に口を曲げた。

「俺にはやつの通行証を無効にする権限があるのだ」
「なぜ!?」

 言うに事欠いてこの男……、どこまでラルフを馬鹿にする気か。

「それはな。俺がやつの上官だからだよ」
「えっ! 貴方が!」

 するとこの人がエドワード・アップトック提督……ラルフとそりの合わない上官……。

「本来ならユートパクス西海岸は俺の管轄ではない。俺の管轄はメドレオン海だ」
 同じメドレオン海のタルキア沿岸をラルフは任せられている。

「俺は、メドレオン海に面したクルス半島南端が守備範囲だ。ちょうど武器の補給が終わって、根城のクルス半島へ帰るところでな。こんなところで俺の艦隊と出会うとは、お前らは運が悪かったと諦めることだ」

「でも、リール代将が……」

なおもしつこく言い募る船長を、アップトック提督はじろりと睨んだ。

「上官の采配は、部下のそれより上だ。この通行証は効力を持たない。あんたらの船を通すことはできない」

 ここでアップトックと言い合って、今まで以上にラルフの評価を下げられてしまったら、どうしよう。ただでさえ嫌われているというのに。

 弁護をためらっていると、不意に大きな声がした。
「リール代将はいい人です! 彼はいつだって正しい!」

 ロロだ。それまで気配を消して大人の話を聞いていた彼が、ついに我慢できなくなったのだ。

「お前……」

 アップトック提督は、しげしげと少年の全身を眺め回した。それから、何か考え込むように首を傾げる。

「あの時の子にしては、随分と背が高い。それに、髪が金髪でも藁色でもない」
 意味不明のことをぶつぶつとつぶやいている。

「ひとつ尋ねるが、お前、ダンゴムシが好きか?」

「ダンゴムシ、ですか?」
ロロも怪訝そうだ。

「そうだ、ダンゴムシだ」

 いったい何の暗号だろう。俺と船長は顔を見合わせた。

「嫌いです」
ロロはきっぱりと言ってのけた。アップトックは顎を撫でた。

「ふむ。なら、ダンゴムシを食った経験は?」
「ありません!」

即答だ。まあ、普通はそうだろう。

「キャビアに混ぜて、人に食わせようとしたことは?」

これはまた、独創的な質問を……。

「僕は、自分がしたくないことを、人にさせたりはしないんだ!」

「よし!」
 特大級の「よし」だった。なんの審査かわからないが、どうやらロロは合格したらしい。

「いずれにしろ、ここまで育ったら、メルだって、可愛いとは言うまい。お前、名前は?」
 メルとは誰だろう。女性の愛称のようだが……。

「ロロ・フランです」
胸を張って、ロロが答える。

「ロロ、君はなぜ、リール代将をいい人だと思うのだ?」
「彼は、俺にマトンを分けてくれます。自分の分をです! マトンが出るたび、必ず、です!」

 ……ああ、ロロ。それは違うんだ。
 思わず俺は、心の中で呻いた。

 ラルフは、マトンが嫌いなのだ。硬くて臭いからと言って敬遠している。偏食と好き嫌いは、あの男の大きな欠点だ。

 けれど、士官学校候補生らミッドシップメンの前で、嫌いだから食べない、なんて言えない。だから、マトンが出るたび、ロロの皿に移しているのだ。

「いかんな。たとえ食事の量が足りなくても、ミッドシップマンは、空腹に耐えるべきだ」
 アップトックが見当違いの批判をしている。

「教育の仕方が誤っている! やはりリールの奴には、人の上に立つ資質が皆無なのだな」






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ダンゴムシのエピソードと、アップトック提督の愛人、メルにつきましては、

Ⅱ章とⅢ章の間のSS「嫌われる理由」の3話目

にございます。






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