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Ⅳ 祖国へ
バーンでの休養 3(ラルフの回想)
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◇
なんとまあ、この赤い石に、そのような仕掛けがあったとは。
ラルフは思った。
シャルワーヌは、好き勝手に、エドガルドを覗き見しようと目論んだわけだ。
神の加護により、学者の実験は失敗したようだが。それにしても、シャルワーヌがこっそり盗み見する気満々だったことは否定できない。
純情なエドガルドは、最後まで、シャルワーヌの言ったことを疑わなかった。赤い石は、人類の大切な文化遺産だと信じていた。
もちろんラルフは、それは違うと見抜いていた。シャルワーヌを信じるなんて、どうかしている。が、せいぜい、ペンダントを見て自分を思い出してほしいというシャルワーヌの切なる願いだと思い、見逃していたのだ。
それなのに全く、なんて男だろう!
シャルワーヌはシャルワーヌで、エドガルドが自分についてこなかったのは、ラルフのせいだと決めつけてきた。
それは全く違うのだが……。
赤いペンダントが呼び水となった。
興奮する怪我人を前に、ラルフは、エドガルドとの別れを思い出す。
イスケンデルに上陸した時には、エドガルドは自分を許さないだろうと思い、絶望していた。彼は失っていた記憶を全て取り戻したと、タルキア皇帝が教えてくれた。ラルフがシャルワーヌに成り代わり、彼の恋人のふりをしていたことが、ついに露見してしまったのだ。
こんな自分を、彼は見下し、永遠に許さないだろう。悲しみの余り、足がよろめいた。
ところが意外なことに、エドガルドの方から謝罪してきた。なんでも彼は、ラルフを傷つけたのだという。
……傷つけた?
全く心当たりがなかった。関係を持った時だって、ラルフの方から迫ったのだし。
しかもエドガルドは、ラルフは公明正大だったと評価してくれた。その上、今でも好きだとさえ言ってくれた。
しかし、続く言葉は残酷だった。エドガルドは彼に謝罪したのだ。ラルフがねだったのは、愛の言葉だ。それに謝罪で返すとは。修復は、絶望的なのかもしれなかった。
彼は、他の男のことばかり心配していた。癪に障ったから、タルキア皇帝がティオンへ来るよう誘っていたことは伝えなかった。イサク・ベル? そんなやつがどうなろうと、ラルフの知ったことではなかった。第一、ムメール族はユートパクスの配下に甘んじている。アンゲルの敵なのだ。
それより何より、エドガルドがシャルワーヌにはもう会わないと告げた時には、本当に驚いた。
シャルワーヌをオーディンの保護下に入れる為に、自分は身を引く。その理屈はわからないでもない。オーディンはシャルワーヌに執着している。エドガルドがいては邪魔だろう。
ラルフは希望を持った。
シャルワーヌのところへ行かないのなら、彼は自分の所へ来てくれるのではないか。
今までは、エドガルドが前世の記憶を忘れていたことを利用し、彼を騙していた。だからもう一度、やり直したい。まっさらな状態で出会い直して、再び恋に落ちれば……。
それは、今ではないかもしれない。彼は混乱しているから。焦ることはない。自分はいつまでも待っている。
それなのにエドガルドはそれさえ拒絶した。彼は、シャルワーヌを愛しているという。たとえ会うことはなくとも、オーディンの元へ去って行こうと、その愛に変わりはない……。
納得できなかった。
できるわけがない。
それでも、エドガルドの気持ちを尊重しようとした。彼が王党派の蜂起に加担すると言いだすまでは。
ありていにいって、シャルワーヌの元へ行かれるよりは、王党派軍に加わってくれたほうがまだ、ラルフは心穏やかだったろう。だがそれは、確実に、エドガルドの死を意味する。彼はもう、もとの頑強な体ではないのだ。弱い、ウテナ王子の体は、過酷なゲリラ戦に耐えられないだろう……。
エドガルドの決意は固まっているようだった。彼は最後まで、王を支持し、献身を尽くして死ぬつもりだ。
あの太った、陰謀家の、そのくせ臆病なユートパクスの王に、命を捧げる覚悟なのだ。
何が彼をそうさせるのだろう。古くから続く一族の結束だろうか。それとも、騎士としての誇り? もしくは義務感?
ラルフにはよくわからない。
エドガルドは、自分が成人したことに気がついていなかった。
ラルフはどんなにこの日を待ち焦がれていたか!
立ち去る彼を見送るのは辛かった。襲い掛かる前に、と言ったのは、半ば本気だ。
それなのに、エドガルドは笑いだしたのだ。
明るい、無邪気な、彼らしい笑いだった。笑いながら、彼は泣いていた。
胸が締め付けられた。
自分は決して、彼を諦めることはできない……。改めてラルフは思い知った。彼が、シャルワーヌを離れる決意をしたのなら、なおさらだ。
もう一度、やり直したい。初めから恋をし直したい。ジウになったエドガルド、彼のすべてを愛したい。
……待ってていいか?
しかし、どうしても、その言葉を口にすることができなかった。口にしたら最後、自分の中の何かが崩れ落ちそうな気がする。みっともなく彼に縋りつき、引き留め、挙句、リオン号の船室に監禁しそうだ。
彼の自由を奪ってはならない。もう二度と。彼を騙したり、恋人を装ったり、それではダメなのだ。
彼の行く先は戦地だ。弱いジウの体は、長引く野戦に到底耐えることができないだろう。このまま指をくわえて眺めているわけにはいかない。
彼を止めなければ。それができるのは……。
認めるのは辛かった。彼を止めることができるのはシャルワーヌ・ユベール、憎いあの男だけだ。
シャルワーヌにエドガルドを託す? 全てを話し、彼を引き留めてもらう……?
とんでもない! せっかくエドガルドが、もう二度と会わないと決意したというのに!
だが、このままでいたら、彼を待つのは、死だ。
ラルフの眼の前に、何処までも続く砂漠が蘇った。あの日、エドガルドを葬ったエイクレの砂漠だ。生きるものとてない、永遠の広がり。乾いた熱い砂の中は、いっそ清潔なのかもしれなかった。けれどそこは、絶対的な死の世界だった。どんな些細な命も存在を許されない、最初から廃墟として生まれた砂の世界。明るく静かな、太陽の照り返しに白く輝く永遠の虚無。そんな地獄に、自分は彼を葬った……。
あの絶望を再び味わうくらいなら……。
なんとまあ、この赤い石に、そのような仕掛けがあったとは。
ラルフは思った。
シャルワーヌは、好き勝手に、エドガルドを覗き見しようと目論んだわけだ。
神の加護により、学者の実験は失敗したようだが。それにしても、シャルワーヌがこっそり盗み見する気満々だったことは否定できない。
純情なエドガルドは、最後まで、シャルワーヌの言ったことを疑わなかった。赤い石は、人類の大切な文化遺産だと信じていた。
もちろんラルフは、それは違うと見抜いていた。シャルワーヌを信じるなんて、どうかしている。が、せいぜい、ペンダントを見て自分を思い出してほしいというシャルワーヌの切なる願いだと思い、見逃していたのだ。
それなのに全く、なんて男だろう!
シャルワーヌはシャルワーヌで、エドガルドが自分についてこなかったのは、ラルフのせいだと決めつけてきた。
それは全く違うのだが……。
赤いペンダントが呼び水となった。
興奮する怪我人を前に、ラルフは、エドガルドとの別れを思い出す。
イスケンデルに上陸した時には、エドガルドは自分を許さないだろうと思い、絶望していた。彼は失っていた記憶を全て取り戻したと、タルキア皇帝が教えてくれた。ラルフがシャルワーヌに成り代わり、彼の恋人のふりをしていたことが、ついに露見してしまったのだ。
こんな自分を、彼は見下し、永遠に許さないだろう。悲しみの余り、足がよろめいた。
ところが意外なことに、エドガルドの方から謝罪してきた。なんでも彼は、ラルフを傷つけたのだという。
……傷つけた?
全く心当たりがなかった。関係を持った時だって、ラルフの方から迫ったのだし。
しかもエドガルドは、ラルフは公明正大だったと評価してくれた。その上、今でも好きだとさえ言ってくれた。
しかし、続く言葉は残酷だった。エドガルドは彼に謝罪したのだ。ラルフがねだったのは、愛の言葉だ。それに謝罪で返すとは。修復は、絶望的なのかもしれなかった。
彼は、他の男のことばかり心配していた。癪に障ったから、タルキア皇帝がティオンへ来るよう誘っていたことは伝えなかった。イサク・ベル? そんなやつがどうなろうと、ラルフの知ったことではなかった。第一、ムメール族はユートパクスの配下に甘んじている。アンゲルの敵なのだ。
それより何より、エドガルドがシャルワーヌにはもう会わないと告げた時には、本当に驚いた。
シャルワーヌをオーディンの保護下に入れる為に、自分は身を引く。その理屈はわからないでもない。オーディンはシャルワーヌに執着している。エドガルドがいては邪魔だろう。
ラルフは希望を持った。
シャルワーヌのところへ行かないのなら、彼は自分の所へ来てくれるのではないか。
今までは、エドガルドが前世の記憶を忘れていたことを利用し、彼を騙していた。だからもう一度、やり直したい。まっさらな状態で出会い直して、再び恋に落ちれば……。
それは、今ではないかもしれない。彼は混乱しているから。焦ることはない。自分はいつまでも待っている。
それなのにエドガルドはそれさえ拒絶した。彼は、シャルワーヌを愛しているという。たとえ会うことはなくとも、オーディンの元へ去って行こうと、その愛に変わりはない……。
納得できなかった。
できるわけがない。
それでも、エドガルドの気持ちを尊重しようとした。彼が王党派の蜂起に加担すると言いだすまでは。
ありていにいって、シャルワーヌの元へ行かれるよりは、王党派軍に加わってくれたほうがまだ、ラルフは心穏やかだったろう。だがそれは、確実に、エドガルドの死を意味する。彼はもう、もとの頑強な体ではないのだ。弱い、ウテナ王子の体は、過酷なゲリラ戦に耐えられないだろう……。
エドガルドの決意は固まっているようだった。彼は最後まで、王を支持し、献身を尽くして死ぬつもりだ。
あの太った、陰謀家の、そのくせ臆病なユートパクスの王に、命を捧げる覚悟なのだ。
何が彼をそうさせるのだろう。古くから続く一族の結束だろうか。それとも、騎士としての誇り? もしくは義務感?
ラルフにはよくわからない。
エドガルドは、自分が成人したことに気がついていなかった。
ラルフはどんなにこの日を待ち焦がれていたか!
立ち去る彼を見送るのは辛かった。襲い掛かる前に、と言ったのは、半ば本気だ。
それなのに、エドガルドは笑いだしたのだ。
明るい、無邪気な、彼らしい笑いだった。笑いながら、彼は泣いていた。
胸が締め付けられた。
自分は決して、彼を諦めることはできない……。改めてラルフは思い知った。彼が、シャルワーヌを離れる決意をしたのなら、なおさらだ。
もう一度、やり直したい。初めから恋をし直したい。ジウになったエドガルド、彼のすべてを愛したい。
……待ってていいか?
しかし、どうしても、その言葉を口にすることができなかった。口にしたら最後、自分の中の何かが崩れ落ちそうな気がする。みっともなく彼に縋りつき、引き留め、挙句、リオン号の船室に監禁しそうだ。
彼の自由を奪ってはならない。もう二度と。彼を騙したり、恋人を装ったり、それではダメなのだ。
彼の行く先は戦地だ。弱いジウの体は、長引く野戦に到底耐えることができないだろう。このまま指をくわえて眺めているわけにはいかない。
彼を止めなければ。それができるのは……。
認めるのは辛かった。彼を止めることができるのはシャルワーヌ・ユベール、憎いあの男だけだ。
シャルワーヌにエドガルドを託す? 全てを話し、彼を引き留めてもらう……?
とんでもない! せっかくエドガルドが、もう二度と会わないと決意したというのに!
だが、このままでいたら、彼を待つのは、死だ。
ラルフの眼の前に、何処までも続く砂漠が蘇った。あの日、エドガルドを葬ったエイクレの砂漠だ。生きるものとてない、永遠の広がり。乾いた熱い砂の中は、いっそ清潔なのかもしれなかった。けれどそこは、絶対的な死の世界だった。どんな些細な命も存在を許されない、最初から廃墟として生まれた砂の世界。明るく静かな、太陽の照り返しに白く輝く永遠の虚無。そんな地獄に、自分は彼を葬った……。
あの絶望を再び味わうくらいなら……。
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