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Ⅳ 祖国へ

祈祷と瀉血

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 アガの親衛隊、シャルワーヌとワイズ将軍に向けた暗殺部隊は、全部で6人いた。うち5人は、俺を処刑しようとしたことに腹を立てたシャルワーヌが、その場で撃ち殺した。

 残り1人、オマリーは致命傷を免れた。彼の俺への憎しみは激しく、俺を道連れにしようとした。
 それに気づいたシャルワーヌは、俺を庇い、自分が撃たれた。
 ……。


「エドガ、ルド」
掠れた声が名を呼んだ。
「無事、か? 怪我は?」

「俺じゃない。お前だ。お前、撃たれて……、」

 言葉が詰まった。
 なぜかシャルワーヌの顔には、安堵が広がった。

「君は無事、なんだな。良かっ、た」
「黙れ、シャルワーヌ。これ以上しゃべったら承知しないぞ。体力を温存するんだ」
「エドガルド、らし、……」
「黙れ! このド阿呆!」

 ふっと笑って、彼は意識を失った。

 普段から色の悪い顔は、更に青くなっている。血の気の失せた顔色は、過去の戦闘で死んでいった戦友たちの死顔を思わせた。

 あまりの不吉さに、俺は慄いた。




 人が集まり始めた。
 道のど真ん中に櫓を組み始めた男がいる。

「あれは?」
「現地の医者だ」

 俺が尋ねるとサリが答えた。

 ここでも、シャルワーヌは、住民達から高い評価を得ていた。サリによると、彼は、盗賊団の一味を捕まえ、町を救ったことがあったらしい。

「医者なら、なぜ、シャルワーヌの容態を見に来ない?」

 傷口に巻いた布は血だらけになっている。なんとか止血しようと圧迫するしか、俺にできることはない。

「彼は、そのう、神に祈ろうとしているのだ。あそこで火を焚いて祈祷を行おうとしている」
「そんなの役に立つか!」

 かっとして叫んだ。

 普段、現地の宗教は大事にしなければならない、などと思い、部下にも言い聞かせてきた。それが、なんてざまだ。しょせん、これが俺の限界なのだ。銃撃され、意識を失ったシャルワーヌを前にして、敬意や常識、処世さえも吹っ飛んでいた。

 自分のことが話題になっているとわかったのだろうか、医者がこちらへやってきた。その手に剃刀が握られているのを見て、ぎょっとした。

 「弾丸で汚染された血を抜く」

 片言のタルキア語で彼は言った。剃刀は錆びていて不潔な状態だ。
 意識を失ったままのシャルワーヌの二の腕を捉え、いきなり切りつけようとする。

「ダメだ!」

 金切り声で叫んで彼を突き飛ばした。自分でも逆上しているのがわかる。

「荷車を! 荷車を持ってこい! それと馬も! 早く!」

 一刻も早くここを立ち去らねば。照り付ける日差しを避け、もっとちゃんとした治療を施せる場所へと。
 頭にはそれしかなかった。

「どこへ連れて行く気だ?」
 サリが尋ねた。シャルワーヌの副官は、少なくとも俺より落ち着いているようだった。

「どこって……」

 咄嗟に、港を思い浮かべた。
 あそこには、シャルキュ太守の船が停泊している。そこから船に乗り……。

「あてがないなら、マワジへ向かおう。ユートパクス軍には、優れた外科医がいる」
サリが提案する。

 だが、ルビン河を遡って、イスケンデル港からマワジまでは数日かかる。それまでシャルワーヌの体がもつだろうか?

「いずれにしろ船が必要だ。とにかく港へ」

 港……。
 自分で発した言葉が、妙に頼もしく感じられた。

 そうだ。
 港には、定期的にリオン号とオシリス号が停泊している。そろそろリオン号が寄港する時期だった。

 船には軍医が乗っている。俺は、前世では丈夫だったし、エイクレ要塞では即死だったので、医者の世話になったことはない。だから軍医のことは良く知らないが、曲がりなりにも医者だ。シャルワーヌに、きちんとした手当をしてくれることは間違いない。

「なんだと? シャルワーヌ将軍をアンゲル艦に乗せるというのか? この裏切り者が!」

 それなのに、サリが掴みかかって来た。落ち着いているように見えて、彼も大概、冷静さを失っている。

「このままここにいても、現地の医者には手の施しようがない。今は、賭けるしかないだろう。港にリオン号がいることに!」

 ラルフの戦艦がいることに。

「リオン号はアンゲル艦だろうが!」

 二人の会話はかみ合っていない。でも、俺もサリも気がつかなかった。二人で言いたいことを喚き合っている。

「いずれここに、大宰相の軍がやってくる。動けないシャルワーヌをここにおいておくわけにはいかないんだ!」

 イサク・ベルが言い残した猶予は、せいぜい数日だ。サリははっとしたようだった。

「忘れてた! シャルワーヌ将軍を撃ったやつらには仲間がいるかもしれない! そいつらが戻ってくるとまずい。急ぎマワジへ逃げ込もう」

「いや、ここには6体の死体が転がっている。アガの暗殺部隊は全部で6人だったから、全滅だ。だからワイズ将軍は大丈夫だ。俺たちがマワジへ知らせに行く必要はない」

 かみ合わない会話が続く。

 暗殺隊の標的は、シャルワーヌと、遠征軍総司令官のワイズだ。だが、彼らは全員射殺されたわけだから、当座、マワジに立て籠っているワイズ将軍は安泰だ。

「なぜここにワイズ将軍の名がっ!?」
 サリが髪を掻きむしっている。

「詳しいことは後で話す! とにかく、シャルワーヌを荷馬車に乗せるんだ。早く!」

 今一番怖いのは、イサク・ベルの進言を受けて、大宰相がここへ差し向ける軍だ。動けないシャルワーヌの元へと。

 ……イサク・ベルを責めてはダメだ。彼だって、自分と自分の部族を守らなければならないのだから。むしろ、彼をそんな立場に追い込んでしまった俺自身を呪うべきだ。

 だが、今はそんなことをしている場合ではない。とにかく、シャルワーヌを安全な場所へ移さなければ。そして、近代的な治療を受けさせなくてはならない。



 用意された荷馬車は、藁や泥、馬糞などで汚れていた。傷に悪いものが入らないだろうかと気が気ではない。だがこれでも、現地の人々のせいいっぱいの好意なのだ。

 町の人々は、ロバ(貧しい町に馬はいなかった)も二頭、用意してくれた。

 屈強の男たちが5人がかりでシャルワーヌを荷馬車に乗せた。
 うめき、シャルワーヌが薄目を開けた。身をかがめ、俺は彼に話しかけた。

「今から君を港へ運ぶ。ここから1時間ほどかかる。港へ行けば、医者がいる。辛いと思うが、なんとか耐えてくれ」

 僅かにシャルワーヌは頷いた。

 医者……どうかどうか、リオン号が港に停泊していますように。ラルフがこの急場を救ってくれますように。
 この期に及んでまで俺は、無意識にラルフの好意に縋りついていた。




 移動は、シャルワーヌには相当、きつかったはずだ。けれど彼は、声一つ立てずに、耐えた。時折低いうめきが漏れたが、俺やサリの耳に届かないように声を潜めているのがわかった。

「大丈夫か、シャルワーヌ」
見かねて声を掛けた。

「……」
細い声が言った。聞き取れない。

「何?」
 荷馬車に向かって身をかがめた。

「……て」
「て?」
「エドゥ……」

 震える手を差し出してきた。
 俺に手を握れと言っているのだ。

 涙が溢れそうになった。
 彼の手は、冷たく重く、湿気っていた。そっと触れると、僅かな力がきゅっと握り返してきた。

 ロバの引く荷馬車と並んで、俺は歩き始めた。シャルワーヌの手を握ったまま。
 安心したように、彼は再び、意識を失った。




 港に着くと、沖合に、戦艦が停泊しているのが見えた。白い帆を優美にはためかせている。

 リオン号だ。ラルフの船だ。
 涙が出るほど安堵した。

「シャルワーヌ、聞こえるか? 君は助かる。もう少しの辛抱だ。頑張ってくれ、お願いだから」

 目は固く閉じられたままだった。長いまつげが、ふるふると震えている。真っ青な、石のように強張った顔に俺は語り続けた。






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