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Ⅲ 東と西の狭間の国

裏通りの家

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 シャルワーヌになんか会わない。
 すぐに大宰相軍が攻めてくる? 知ったことか! 俺には関係ない。
 くるりと踵を返し、歩き出そうとした。

 ……シャルワーヌは今、どんなところにいるのだろう。

 上ザイードの屋敷とは程遠い、港町イスケンデルの裏通り。その外れの、ひと気のない埃っぽい一画。
 ハーレムにいた少女、マーラが招いてくれたような、薄暗くひんやりとした家なのだろうか。だったら、あの男に合わない気がする。彼にはもっと、賑やかな明るい家がふさわしい……。

 ……何を考えているんだ、俺は!

 俺は、王党派の亡命貴族だ。革命軍将校とは、初めから相容れない。
 俺と彼との間に何があろうが、たとえそれが愛であっても、今は敵同士だ。その上、自身も貴族であるシャルワーヌは、オーディンの庇護がなければ生きていけない。を結んだあいつには、俺は邪魔なのだ。

 シャルワーヌのことなんか、どうでもいい。俺は一度死んで、二度目の人生は、純粋に、王の為に戦うことに費やしたい。
 だから……。

 それなのに、自然と足は前へ進み、曲がり角まで来てしまった。右へ曲がると、建物が何軒かあるのが見えた。イサクの言っていたのは、3軒目。シャルワーヌのいる家は、ここから3つめのあの……。

 土づくりの建物の、すぐ脇から二人組の男が出てきた。
 一人は、確か、オマリー、いや、名前なんてどうでもいい。こいつらは、キャプテン・アガの暗殺隊だ!

 慌てて、近くにあった塀の陰に身を顰める。幸い、彼らに気づかれてはいない。

 敷地から出てきた二人に向かい、ぱらぱらと男たちが駆け寄って来た。いずれも、アガの親衛隊のメンツだ。男たちは、道の反対方向へ姿を消した。

 エイクレから馬で来た彼らは、多分、イスケンデルに到着したばかりだろう。港町で、恐らく彼らは、ユートパクスの将軍に関する噂を聞いた。暗殺のターゲットであるシャルワーヌ・ユベールが、市街地の裏通りに潜んでいると。
 それを知った彼らは、マワジへ向かう手間が省けたとばかりに、ここへやってきた……。

 時間的に、彼らはまだ、大宰相の駐屯地に顔を出していない。大宰相はまだ、シャルワーヌがここに潜伏していることを知らないだろう。彼がそれを知るのは、アガがイサク・ベルに疑惑を抱いてからだ。それは、イサクの言っていた通り、数日後のことになるだろう。

 だからイサクは、「もう2~3日したら、タルキア軍がここへ攻めてくる」と、警告した。

 だが、なんてことだ。
 大宰相の軍を待たずとも、既にシャルワーヌは暗殺隊に喉元を掴まれている……。

 オマリーともう一人は、家の敷地から出てきた。家の中からではない。
 庭に何か仕掛けたか? あるいは、家の外壁に。
 それから先は、もう、考えなかった。気がつくと、俺は、シャルワーヌのいる家目掛けて走り出していた。


 飛び込んだ薄暗い家の中に、その人はいた。机の上に地図を広げていた男が顔を上げる。

「夢か?」
男は言った。

「夢じゃない。逃げるんだ、シャルワーヌ。早く!」
「夢であっても構わない。今ここにエドガルドがいる。ジウの姿をしたエドゥが。待ってくれ。消えないでくれ!」
「消えるか、馬鹿!」

 暗殺隊は、かなりの確率で、この家の裏に爆弾を仕掛けたのだと思う。一刻も早くここを出なければならない。

「ああ、その罵り方! エドガルドだ。やっぱりこれは、俺のエドゥ……」
 毎度思うのだが、前世の俺は一体、どういう接し方を、愛する男にしていたのか。

「俺は毎晩、砂漠の神に祈っていた。もう一度、お前に会わせてくれるようにと。革命は神を否定したが、やっぱり神はいるのだな」
「寝言を言ってる場合じゃない。行くぞ!」

 言い募る俺の腕が掴まれた。もげそうなほど強く引かれる。

「エドゥ。俺のエドゥ」

 信じられないほどの馬鹿力で抱きしめられる。懐かしい日向の匂い……全身の力が抜けた。覚えず、俺はうっとりした。
 うっとり? 何を言ってるんだ。命が掛かっているんだぞ。それもシャルワーヌのだ!
 我に返り、全力で体を引き剥がそうとした。

「愛している、愛している」
 シャルワーヌがうわ言のように繰り返している。

「落ち着いてくれ、シャルワーヌ、こんなことをしている場合じゃないんだ」
「俺は充分落ち着いているし冷静だ。その上で宣言する。君がここにきてくれた。君自らの意志で、だ。もう離さない。君は俺のものだ。俺のものだから!」
「どこが冷静だ。この馬鹿!」

 突き飛ばそうとする。だが、拘束は強くなる一方だ。濃く漂う彼の香りに、軽い幻惑を感じる。

「エドゥ……」

 ダメだ。焦って罵れば罵るほど、彼は陶酔してしまう。俺を抱きしめる腕に力が入るばかりだ。

「なあ、エドゥ。一緒にユートパクスへ帰ろう? 君が一緒なら、俺はなんだってできる」
「ユートパクスへ?」

 思わず問い返す。
 国王に従う為に亡命したが、決して、嫌いで国を出たわけではない。懐かしい祖国には、軍事学校に入る8歳まで俺を育ててくれた伯父夫婦は既に亡くなってしまったが、年の離れた従兄姉たちが暮らしている。

「ここで、船を待っていたのだ。ユートパクスはもちろん、アンゲルにもタルキアにも関係ない、第三国の商船だ。それに乗れば、どこからも襲われることない」

 軍艦ではなく、民間の、しかも外国の船で帰ろうとしているのか、この男は。
 上ザイードの覇者である将軍の、凱旋帰国だというのに!

「船主には交渉済みだ。今船は、商品の積み込み中でな。珍しいザイードの産物をどっさり持ち帰るのだそうだ。俺は、コーヒーを持ち帰るよう勧めた。エドガルド、君も知っているだろう? ザイードのコーヒーは天下一品だ。きっと高く売れる」

 シャルワーヌは饒舌で、ひどく嬉し気だ。

「なあ、エドガルド。一緒に帰ろう。君と俺の祖国へ」
「帰ってどうするのだ?」

 思わず問いかけてしまった。
 だってあの国は今、オーディン・マークスの支配下にある……。

「それは、帰ってから考える」

 はっと我に返った。この男は、衝動に任せて言っているだけだ。何の算段もない。下手に帰ったら、俺の居場所がないばかりか、シャルワーヌ自身まで危険に晒される。

「だから、今はそんなことを言ってる場合じゃない!」
 爆弾が爆発したら、行先は祖国じゃない。地獄だ。

 「シャルワーヌ将軍!」

 階段が軋んだ。誰かが上から降りてくる。副官のサリだった。抱き合った(俺は逃れようともがいていたのだが、客観的に見れば、抱き合っていたとしか見えなかろう)二人を見て、目を丸くした。
「ジウ王子……いや、エドガルド・フェリシン」

 シャルワーヌの副官は、俺のウテナ王子への転移を知っていた。シャルワーヌが話したのだ。

「なあ、サリ。お前も喜んでくれ。ついにエドゥが俺の元に戻ってきてくれた!」
「また逃げられないといいんですがね。私の見る所、彼は貴方から離れようと必死でもがいているようですが」
 冷静に副官は指摘した。






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