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Ⅲ 東と西の狭間の国

可愛い妾

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 「おい。俺も馬に乗せろ!」
先を行くイサクに向かって声を掛けた。

 俺の乗せられているのはラクダだ。しかも、履いているスカートもどきのせいで横座り。乗りにくいったら、ありゃしない。
 イサクが振り返った。

「なんだ? 俺と同じ馬に乗りたいのか? 俺の妾は、ちょっと見ないうちに可愛くなったな」
「そんなんじゃない。それから、妾と呼ぶのは止めろ。俺はお前の妾なんかじゃない」
「妾じゃないか。未来の」
「承諾してない!」
「おやおや、強気なことだ。よいよい、俺の馬に来るがいい」

 言いながらイサクは馬の背から滑り降りた。ラクダに近づき、俺を抱き上げたから驚いた。

「何をする! 下ろせ!」
「下ろしていいのか? 砂は熱いぞ。お前は裸足だからな」
 イサクの言う通り、日中の砂漠はまるで熱したフライパンのようになっている。裸足で下りたら火傷する。

 今年に入って随分と身長が伸びた。背丈はイサクと変わらない。そんな俺を、イサクは軽々と馬まで運び、鞍の上に乗せた。
 横座りで。
 そして俺の後ろに飛び乗った。

「相変わらずかぐわしい匂いだ。俺の妾は大人になったな」
 俺を抱き込むようにして手綱を握り、そんなことを言う。頭頂部に鼻を埋め、匂いを嗅いでいる。

「俺はお前を見直したぞ。お前は、シャルワーヌ・ユベールを見捨てたそうじゃないか」
「……シャルワーヌがそう言ったのか?」

 掠れた声で問い返す。
 俺は、彼を置いて一人、イスケンデルへ出てきたわけだが。そして、ラルフと合流した。彼が、前世からの恋人だと信じていたから。
 イサクの笑いが息となって耳を掠めた。

「最初、俺の与えた短剣を使わなかったから、俺の妾は腰抜けだと思っていたのだ。だが、あの男を置き去りにするだけの気概があったわけだからな。俺はお前を誇らしく思ったぞ」
「それは……光栄だ」

 思えば、ジウの体は知っていたのだ。俺は……新しく体に入ってきた魂、エドガルド・フェリシンは、前世で、シャルワーヌを愛していたのだ、と。本来の体の所有者、ジウ王子と同じように。
 あるいはそれが、俺の魂が、彼の体に招じ入れられた理由だろうか……。

 だが、昏睡から目覚めた俺は、シャルワーヌを殺そうと決意した。彼が革命軍の将校で、王党派の敵だから。どう考えたってシャルワーヌは、俺の敵だ。
 そこで体は魂を妨害し、俺は、イサクがくれた短剣を使うことができなかった。ほんのかすり傷をつけるだけで人を殺せるという猛毒が塗ってあったというのに。

 あの短剣は、最後までジウ王子に忠実だったアソムが、自らに使った……。
 体が震えた。

「どうした? まさか、寒いのか?」
「違う」

 慌てて首を横に振る。勘違いしたイサク・ベルが、一層強く抱きしめようとしたからだ。

「それよりイサク。君は、上ザイードの総督になったそうじゃないか」

 軍に無断でオーディン・マークスが帰国した。新しく総司令官になったワイズ将軍の召喚で、シャルワーヌは首都マワジへ行くことになった。出立に当たり、彼は自分の地位を、ムメールのベル、イサクに譲った。
 つまり、イサク・ベルとその一族のムメール族は、現在、ユートパクス軍の下にある。

「それなのに、大宰相の軍で、君はいったい何をしていたのだ?」
 思わず咎めるような口調になってしまった。

 ユートパクス軍に所属しながら、タルキア軍の大宰相の軍に従軍する。いったんことが起きれば、タルキア兵としてユートパクス軍と戦う。
 まるでコウモリのようではないか。

「決まってるじゃないか。タルキア皇帝に忠誠を尽くしていたのだ」
 憎らしいほど平然とイサクが答える。

「だって君は今では、ユートパクス軍総司令官ワイズ将軍の下にいるのだろう?」

 オーディンの離脱後、ザイード駐留ユートパクス軍の総司令官は、ワイズ将軍だ。上ザイード総督に任命されたイサクは、当然、彼の下に組み込まれている。

「確かに、ユートパクスから上ザイードを貰ったがな。だがそのずっと以前から俺は、タルキア皇帝により、上ザイードからミリを徴収する権利を与えられていたのだ」

 タルキア帝国とムメール族。税を二重取りされて、上ザイードの民は苦しんでいた。
 シャルワーヌの統治に入り、住民たちの支払った税は、彼ら自身の為に使われるようになった。同時に、ユートパクス民間人指導者による農業や行政指導が行われ、上ザイードは豊かになった。
 税は住民の為に。イサク・ベルも、このやり方に賛成したはずだ。だからシャルワーヌから上ザイード総督の地位を譲られた。

 イサクの三白眼が、すうーっと細くなった。
「だが、ユートパクス軍は撤退するのだろう? 祖国へ引き上げるのだ。ザイードは再び、タルキア帝国のものになる。そうしたら、俺のムメール族はどうなる? タルキアに逆らったら、砂漠では生きてはいけないのだ」
「……」

 はっとした。そうだ。ワイズ総司令官は、軍の完全撤退を考えている。名誉ある撤退だけが条件だから、ザイードはじめ、海岸の要塞も全てがタルキア帝国に返還される。

 ……かつてムメール族は、タルキアの敵、ユートパクス軍に味方し、上ザイードの統治権を与えられていた。
 その事実を、執念深いタルキアが許すわけがない。

 後ろからイサクの声が、風に乗って流れてくる。
 「タルキアの掟は恐ろしい。一度裏切った者は、決して許さない。だから俺は、タルキア軍に入り、ユートパクスと戦う必要があったのだ」

 彼もまた、彼の一族ムメール族を守ろうとしている。
 イサク・ベルを責めることは、俺にはできなかった。

「ところで、お前こそ、アガのテントで何をしていたのだ? まさか、やつの妾になったわけではあるまいな」
「そうじゃないってわかってるだろ?」
 無理やり連れ込まれたと知ったから、助けにきてくれたくせに。

「ふむ。あの男は見境がないからな。つまり、こういうことか? お前はシャルワーヌ・ユベールを見限った。だが、砂漠でお前を保護してくれる者が必要だ。それで、タルキア軍に身を寄せた」
「違う!」
「そうだな。その場合は、俺のテントに来ればよいのだからな」
「……」

 この男、自分には相思相愛の妻がいると言っていなかったか?

「お前がどこで何をしていようが、俺はお前を許すぞ。むしろ、清純そうに見えて淫乱なところが大変、好ましい」
「はあ」
 もう、ため息を吐くしかない。

「なあ、イサク。俺を港へ連れて行ってくれないか? そこに船があるんだ」
「船?」
「エイクレ要塞のシャルキュ太守の船だ」
「屠殺屋のか? 恐ろしい男を味方につけたものだな」
 驚いたような声が返ってくる。

「まあ、いろいろあってな」

 イサクには詳しい話はしていない。俺の前世とか、シャルキュとの関わりとか。
 彼は俺のことを、ユートパクス軍の捕虜になった、ウテナの王子だと思っている。

 いや。
 砂漠を移動する民にとって、国籍や身分などに意味はない。俺が俺である故に、イサクは俺だと認めているに過ぎない。







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