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Ⅱ 海から吹く風

向けられた剣

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※今週はラルフ目線です

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 「……怒ってたな」
痩せた少年の背中が見えなくなると、ラルフはつぶやいた。

「うん、怒ってた」
シャルワーヌが同意する。

「初めて意見が会いましたね、シャルワーヌ将軍」

「客観的事実だから、仕方がない」
さもいやそうにシャルワーヌが応じる。

「おやおや。嫌われたものですね。貴方は認めたがらないかもしれないが、我々はよく似ているのですよ」
「似ている? エドガルドを欲している点がか?」

 深いため息を、ラルフはついた。
「栄光を求めている点です」

「栄光……」

「金にも地位にも名声にも頓着しない貴方は、しかし、焼けつくような思いで栄光を欲しがっている。だから、高い能力を持ちながら、オーディン・マークスの下に甘んじているのだ」

 うっとりとラルフが口ずさむ。つかみどころのない、ぼんやりとした目をしている。
 シャルワーヌが口の端を上げた。

「俺は、彼の才能を信じている。オーディン・マークスは必ず、偉大なことを成し遂げる男だ。歴史の暗闇の中で、その栄光が、彼の下の俺自身をも照らしてくれることを望んでいる」

「彼に殺されそうになったのに?」
 ラルフは呆れた。
 この男、毒殺されそうになったのに、全然堪えていない。

「結果として、生きることを許された。その上、俺が生きていることを知りながら、マークス将軍は、次の矢を放ってこない。それで充分だ」
 話す声は、真摯だった。心の底からそう信じている声だ。

 ラルフは首を横に振った。
「貴方という人は!」

 不意に、シャルワーヌに生気が戻った。皮肉な目をしている。
「では君は、どのような栄光を求めているのか、リール代将」

「橋渡しですよ。平和への橋渡し。悲惨な戦争はもう、たくさんだ。ユートパクスとアンゲル王国との間の戦争を終わらせ、真の平和をウアロジア大陸に齎したいのです」

「君と俺は似ていると?」
「煎じ詰めれば」

 ふっと、ラルフの口元に笑みが浮かんだ。彼は、オーディン・マークスが栄光を得ることも、ましてや部下にそれを齎すことも、全く信じていなかった。
 だって、オーディンはそれほどの器ではない。武官としての技量、経験、麾下の兵士たちからの信頼の点においても、シャルワーヌの方が、ずっと格上だ。

「ところで、シャルワーヌ将軍。貴方の姉上は王の血を引いておられますね? そういう噂がある」

 シャルワーヌの顔が青ざめた。
「どこでそれを!」

「我々の情報収集能力を甘く見て貰ったら困りますね。あなたがロワネの地方貴族の息子であることも、ロワネがとんでもない山奥であることも、従ってあなた方一族が、貴族とは名ばかりで常に手元不如意であることも、調べようとすれば、何でも知ることができるのです」(*1)

「姉さんに手を出すな。いいか。余計なことをしたら、ただじゃおかないからな」

「噂だけで充分です。革命政府から、彼女は狙われている。貴方という存在がなければ、とうの昔に処刑されていたでしょう。言い換えれば、あなたが亡命貴族ではなく、革命政府軍の将校であるからこそ、彼女は、無事でいられるのです」


 軍においてどのような高位に上り詰めようと、王族である姉の存在は、シャルワーヌにとって危険であるはずだった。

 彼は、常に、政府から派遣されてきたスパイたちの疑惑の的だった。ほんの少しの言動の逸脱でさえ、王党派と見做され、政府への裏切りと糾弾される。現に彼には、二回ほど、逮捕されかけた過去がある。二度とも、麾下の兵士達が楯となって、上官を守ったらしい。

 あるいは……ラルフは思う。

 シャルワーヌがこうまで無茶な戦いぶりを示すのは、革命政府に対し、自身の忠誠を誇示する為ではなかろうか。戦いの負けは、指揮官の怠慢、あるいは敵との密通を疑われる危険がある。たとえ死の危険があろうとも、シャルワーヌは、常に軍の最前線で勇敢に戦い続けねばならないのだ。

 そしてまた、彼が、オーディン・マークスの傘下に下ったのは、この姉の存在が大きかったのだと、ラルフは思う。常に戦争に勝ち続けるオーディンは、政府からの信頼が厚い。政府要人との太いパイプも噂されていた。オーディン麾下とあらば、革命政府もうかつには手が出せない。

 彼はもちろん、彼の姉へも。

 シャルワーヌが俯いた。
「俺は、エドガルドに誓った。前世のエドガルドに。一日も早く戦争を終わらせると。王党派とか、革命政府軍とか。同じ国の国民が分断され、互いに血を流して戦うのはもう、たくさんだ」(*2)

「だから、我々は似ていると言ったのです、シャルワーヌ将軍。貴方も私も、こいねがうものはただ一つ。ウアロジア大陸の平和だけだ。それが、貴方の、そして私の望む栄光の正体ですよ。あなたの勇気の陰には……」

 言いかけた言葉をラルフは飲み込んだ。姉の話は、シャルワーヌを追い詰めるだけだ。
 今はまだ。


「剣舞の話をしましょう」
がらりと話題を変え、ラルフは言った。
「剣舞?」
「上ザイードに私が訪れた時、……あの時は私はまだ、エドガルドのことをジウ王子だと信じていましたが……、彼の舞った舞です」(*3)

 言われてシャルワーヌは思い出したようだ。俄かに苦々し気になる。
「客人の前で肩脱ぎをするという、破廉恥なあれか」

「破廉恥?」
ラルフはきょとんとする。

「まあいい。俺が止めたから」
「あれは芸事でしょ! せっかく肌を見せてくれるというのに、途中で止めさせて。全く貴方の無粋さときたら!」

「ダメだ!」
一言で切って捨てる。むべもない言い方だ。

 ラルフは肩を竦めた。
「まあ、あそこには、他の兵士達もいましたしね。ところであの舞では、抜身の剣を客人に突き付ける、という場面がありました。後から知ったのですが、それには意味があったのです」

 剣を突き付けられ、客が動じなければ、その客は主、即ちウテナ王に永遠の忠誠を誓ったと見做される。あの場にウテナ王はいなかったから、暫定的に忠誠の受け手は、舞い手であるジウ王子だったはずだ。
 だが、もし少しでもよけたりのけぞったりしたら、その人は、一夜の客に過ぎない。

「私の前から彼をひっさらって、貴方は自分の前で踊らせたのでしょう? どうでしたか? 貴方は彼の剣をよけましたか?」

 シャルワーヌがジウに剣舞を舞わせたことを知ってから(翌朝、憤慨しきったアソムから聞いたのだ)、ラルフはどうしても、そこが知りたかった。
 シャルワーヌは、彼の剣をよけたのか。ジウもとい、エドガルドが突き出した真剣を。

「ちょっと待ってくれ。剣を突き付けた?  そんな場面があったかな」
シャルワーヌは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。

「まさか、忘れた?」
「いや、剣舞のことはよく覚えている。ジウの奴、俺の前では嫌がって……リール代将、君の前では平気で脱ごうとしたくせに」
「脱ぐ前に、貴方が拉致したんでしょ?」
「当たり前だ。あんたに肌を見せるなど、俺が許すわけがない。だが……剣を突き付ける? ……?」

 しきりと考え込んでいる。本当に忘れているようだ。

 常に前衛で敵に切り込む彼には、剣を突きつけられるなど、日常茶飯事なのだろうか。それとも、ジウの弱々しい剣さばきなど、取るに足りないということか。

「……ああ! そういえば、確かにそんな場面もあったような……」
 不意にその顔が綻んだ。
「思い出したよ。そういえば、ジウらしくないと感じたんだ。高貴なプリンスらしさがまるでなかった。でも、可愛かったな。俺に向けた剣の先がぷるぷると震えて。本当にあれは、愛らしかった」

「………………」
 まじまじと、ラルフはシャルワーヌを見つめた。
「では、彼の剣をよけなかったと?」

「なぜよける必要が? あんなに可愛いのに」


 ……痴れ者か。

 ユートパクスの名高い将軍は阿呆なのかと、本気でラルフは疑った。自分に突き付けられた剣を、愛らしい、なんて。

「それが何か?」
「いや、なんでもありません」

 ラルフは答えなかった。代わりに別の話題を持ち出す。






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*1 Ⅰ章「捕らえられた亡命貴族」でシャルワーヌ自身が言及している

*2 Ⅰ章「初めて」

*3 Ⅰ章「拉致」「月下の舞」

を、それぞれご参照ください






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