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Ⅱ 海から吹く風

通行証

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※しばらくの間、ラルフ、シャルワーヌの視点が続きます

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 ……くそっ、あの男。シャルワーヌの奴!
甲板で水面を睨み、ラルフ・リールは怒りを募らせていた。

 ……「俺が愛したのは、愛しているのはお前ひとりだ、エドガルド。前世の君からずっと、お前を、お前だけを、愛し続けてきた」

 あんな風に堂々と言い放ちやがって。俺の大事なエドガルドに。
 おまけに「エドゥ」なぞと呼びくさりやがって。

 彼、ラルフ・リールは、エドガルド、とちゃんと名前で呼ぶ。変な愛称で呼んだりしない。それなのに、あのユートパクス革命軍の将軍は……なんて馴れ馴れしい。

 許せない。


 上ザイードで、初めてシャルワーヌが「エドゥ」と口にしたのを聞いた時は、苛立ちのあまり、そのまま帰ろうかと思ったくらいだ。ただあの時は、エドガルドの死を知らせに行ったので、彼の悲しみを受け止めてやるという名目があった。
 だからまだ、抑えが利いた。


 もちろん、シャルワーヌのことは知っていた。彼がエドガルドの恋人であったことも。ラルフと関係を持ちつつ、心まで渡すことはできないなどとエドガルドが言い放ったのは、あの男がいたからだ。

 もとい、彼が、自分より先に、エドガルドと出会ったからだ。

 たったそれだけのことにすぎない。それなのにあいつ、大切な一夜だけの、神聖な思い出にまで割り込んできやがって……。(行為そのものは、3回目だったけど)


 蓋をしたはずの怒りが、ふつふつと込み上げてくる。
 全力で自分を抑え、ふん、と、ラルフは鼻を鳴らした。

 まあいい。
 今のエドガルドは、ラルフを、ラルフだけを愛している。対して、シャルワーヌはどうだ。忘却の彼方ではないか。
 今はまだ駄目だけど、あと一年もしないうちに、再び彼は自分のものになる筈だ。

 ……ジウ。

 その存在に、ラルフは未だに、違和感を感じていた。彼が愛していたのはエドガルドだ。アッシュブロンドの髪の、鋼球のような瞳をした大人の男。
 か弱い少年、水色の髪のウテナの王子は、その外観が、彼とはあまりに違い過ぎていた。

 ……だが今は、エドガルドだ。

 話してみればわかる。確固たる意志、強い信念。真っ直ぐな眼差し。どうしたってこれは、エドガルドだ。

 それでも、一抹の不安、というか、不穏な揺れが自分の裡にあることを、ラルフは否めなかった。どうしたって、エドガルドとは違う何かを感じてしまうのだ。さもなければ、年齢制限などお構いなく、彼を抱いていただろう。若干の手加減はしたかもしれないが。

 そうした戸惑いを、シャルワーヌが全く感じていないらしいのが、ラルフには不思議だった。彼はごく自然に、ジウからエドガルドへと、意識を切り替えた。

 エドガルドのような男は、この世に二人といないはずなのに。シャルワーヌはどうしてジウと溶け合わせることができたのだろう。


 エドガルドもエドガルドだ。
 あんな風にうっとりと、シャルワーヌの胸に抱かれているなんて。

 ……いいや。あれは無理矢理だったんだ。今の彼は非力だからな。気の毒なエドガルドは混乱していたに違いない。

 強引に、ラルフは自分に思い込ませようとした。それでも、募る苛立ちをどうすることもできない。



 「ああ、親分、ここにいた!」
部下のルビックが駆けてきた。

「ルビックか。今俺に近寄らない方がいいぞ。何しろ今の俺はひどく機嫌が悪く……、」
「何言ってるんす。賭けてもいいけど、親分はもっと機嫌が悪くなりますよ。伝令が来たんです」
「伝令?」

仕事の話なら、放っておけない。

「ユートパクスのワイズ将軍からです」
「ワイズ将軍なら嫌いじゃないぞ」

 むしろ合理的で、話の分かる男だと思っている。下品な言葉を使う傾向にあるが、ユートパクスの軍人なんて、あんなものだろう。

「そのワイズ将軍が言うには、大至急通行証を発行して欲しいと」
「通行証か」

 今現在、ザイードが面したメドレオン海域は、アンゲル海軍が封鎖している。通り抜けるには、通行証が必要だ。
 鷹揚にラルフは頷いた。

「いいとも。ユートパクスとタルキアとの間には、和平が成立したからな。もちろん、ユートパクス軍全軍の撤退には時間がかかるだろう。ワイズ司令官には、先に帰国させたいやつがいるのだろう。で、誰だ、それは?」

「それが、あの……」
 ルビックは言い澱んだ。

 嫌な予感がした。

「親分の天敵、シャルワーヌ・ユベール将軍の通行証なんです」









 リオン号から帰還したシャルワーヌは、アンゲル将校ラルフ・リールから、新聞を数紙、持たされていた。
 彼は、それを熟読の上、総司令官のワイズ将軍に渡すよう、リール代将から言付かっていた。

 ご親切にも、全て、ユートパクス国内で発行された新聞だった。シャルワーヌにはアンゲル語はわからなかろうと、ラルフ・リールから侮辱されたような気がした。全くその通りなのだが。


 リオン号での会議の場で、シャルワーヌは、オーディンが、首都シテでクーデターを起こしたと聞かされた。
 寝耳に水の話だった。

 あの、オーディン・マークスがクーデター?

 全座はいっせいに、オーディンの悪口を言い始めた。トルコ大使たちだけではない。同じユートパクス大使のペリエルクまでもが、タルキア遠征を例に挙げ、オーディンを罵った。

 ……「私の将軍の悪口を言うな! 彼には、何か事情があったはずだ」

 脊髄反射でシャルワーヌは、全総司令官を庇った。

 彼は、タルキア遠征には参加していない。それどころか、上陸から首都への進軍を除き、オーディンの軍とは行動を共にしていない。しかも、ウテナ島出発が遅れたせいで、首都陥落の戦いに参戦してさえいない。

 シャルワーヌには、オーディンが、降伏した捕虜を皆殺しにしたという話や、疫病に罹った味方の兵に毒を渡したという話が、どうしても信じられなかった。

 リオン号に乗船する前も、ワイズ将軍や、同じくタルキア遠征に参戦した戦友たちから、オーディンの蛮行について、さんざん聞かされていた。教えてくれたのは、かつて祖国にいた頃、東の国境でともに生死を賭けて戦った仲間たちだった。彼らが嘘を言うはずはない。

 それでも、シャルワーヌはオーディンに忠誠を捧げ続けた。彼には何か、偉大な計画があると信じて疑わなかった。

 それが、クーデター? 
 武力で政府を転覆させることだったのか?



 「まずいな」
ラルフ・リールから言付かった新聞に目を通し、ワイズ将軍はため息をついた。
「オーディン・マークスのやつ、権力を掌握しやがった」

「彼は偉大な軍人だから、いずれはそうなったはずだ」
「また君は、」

 言いかけた言葉をワイズは呑み込んだ。シャルワーヌの前総司令官への忠誠を知っているからだ。
 代わりに彼は、苦言を呈した。

「だが、武力でのクーデターはどうかと思うぞ」
「いずれにしろ、革命政府は弱体化していた。軍への補給も滞り、我々は自力で必要物資を集めなければならなかったじゃないか」

 ザイードに限ったことではなかった。東の国境でも、彼らは、大変な目に遭っていた。政府が補給を滞らせたからだ。医薬が足りず、寒い包囲戦の最中、怪我や熱病で死んでいった戦友も大勢いた。

「補給がないのは、今でも同じだよ。革命政府が転覆し、新しい政府ができても、何も送られてこない。今の政府は、オーディン・マークスが牛耳っている。あの野郎、置き去りにした軍を、放置し続けているのだ」
「……」

 さすがにシャルワーヌは口を噤んだ。
 軍に内緒で帰国したオーディンからは、その後、武器弾薬の補給どころか、手紙の一本も届いてはいない。

「革命政府を倒し、オーディン・マークスが独裁者になった。この意味、わかるか?」
「それは、」

「彼の偉大な計画、なんて言うなよ」
シャルワーヌをぴしゃりと封じ、ワイズは、苦々し気な表情を浮かべた。

「このままでは、俺が処刑されるってことだよ。なにしろ、全能者オーディン・マークスに逆らって、ザイード撤退を決めたのだからな」

「だからあんなに止めたじゃないか!」
「講和条約にサインしたのは君だぞ、シャルワーヌ」

「……」
再び、シャルワーヌは沈黙した。

 自分は、敬愛するオーディン・マークスに逆らったことになるのか?
 だがそれは、ワイズの命令ではなかったか。

「君は、上ザイードの勝利者だ。品位ある侵略者、公正な配分者と呼ばれ、世界から賞賛されている。オーディン・マークスのザイード遠征で、君は唯一の成功例だ」

 違う。
 上ザイードの統治に成功したのは、勇敢な部下達と、一緒についてきた民間人たちの手柄だ。そして、シャルワーヌを信じてくれたかつての敵、イサク・ベルの協力があってこそ、今の上ザイードの平安はある。

「その上君は、前総司令官殿の信頼が厚い」
 ワイズの目に光が宿った。不敵な笑みを浮かべる。

「シャルワーヌ、君は先にユートパクスへ帰るんだ。そして、俺に対する全能者オーディン・マークスの怒りを、なんとか治めてくれ」






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