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Ⅱ 海から吹く風
覚えていない
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オーディンの真意はどこにあるのか。
彼の側近に選ばれなかった胸の痛みを堪えつつ、シャルワーヌは、ラルフ・リールの「リオン号」に乗船した。
政治財務担当のペリエルクも一緒だ。
嵐で岸に近寄れなかったのだと言い訳していたが、ラルフ・リールは、約束の日より3日も遅れた。これは、エドガルドの最後の日々を独占した余裕の表れだろうかと、シャルワーヌは勘ぐった。
意識しない方が無理だ。
だってラルフは、シャルワーヌから大切な人を奪った。エドガルドと再会できなかったのは、ラルフのせいだ……。
そして、
…… 「シャルワーヌ将軍! それを飲んではダメだ!」
なぜここにジウが?
ラルフの船に?
答えは明らかだった。
ラルフがジウをさらったのだ。
考えてみれば、ラルフが上ザイードを訪れた時、明らかにジウは、様子がおかしかった。
彼の前で剣舞を舞ったり。おまけに、肌脱ぎをしようとさえした。
ラルフの方も、様子がおかしかった。
どうやら彼も、ジウとエドガルドの間に何らかの関係があると気がついたようだ。
全く油断も隙もない男だ。
上ザイードからいなくなったジウが、そんな男のそばにいたことが、シャルワーヌには衝撃だった。しかも、自分から彼の元へ来たと言い張っている。
エドガルドだけではなく、ジウまで!
本当にこの男は、自分からどこまで奪えば気に済むのか。
というか、そもそもこの少年は、誰なのだ? ラルフがここまで執着するからには、あるいは……。
だとすると、今回もまた彼は、シャルワーヌを捨てて、ラルフを選ぼうとしているのか。
怒りと絶望で、目の前が真っ黒になりそうだった。
疑心に満たされたシャルワーヌを第二の衝撃が襲った。
同じくユートパクスの大使としてリオン号に乗船していたペリエルクが言ったのだ。
……「君は、兵士達に絶大な人気がある。オーディンの首都統治は失敗したが、上ザイードの民は君を信頼している。彼にとって君は危険人物だった」
危険人物?
オーディン・マークスにとって自分が?
ありえない。
そもそもシャルワーヌは、兵士達に人気があるとは思っていない。上ザイードの統治だって、それを運営していたのは部下や民間人たちだ。シャルワーヌ自身ではない。
むしろ彼は、いつも何かに心を悩ませ、心配事に眠れない思いをしながら、上ザイード総督に君臨していた。
軍人にはそぐなわない厄介な任務をイサク・ベルに押し付けた時には、むしろほっとしたくらいで……。
……「君の忠誠に免じ、オーディンは自らの手で君を殺そうと決意した。」
オーディンが、シャルワーヌの死を望んだと……毒を盛ろうとしていたのだと、ペリエルクは告げた。
それは、彼自身の手でなされることを、オーディンは望んだ。
この期に及んで、彼の「特別」を望んでいる自分に気がつき、シャルワーヌは苦笑した。今回の「特別」は、自分へ与えられる死だ。それで終わり、行き止まりではないか。
心当たりは、確かにあった。
情事の後、オーディンが口移しで飲ませた水。
かつてなく優しい、そのくちづけ。
だがそれは、文字通り、死のくちづけだった。
「ここにいた」
誰かが側へやってきた。シャルワーヌと並んで、舷側の手すりに寄りかかる。鼻孔を膨らませ、潮風を胸いっぱいに吸い込んでいる。
「なるほど、ここは気持ちがいいですね」
長い間、彼がジウ王子と呼んできた少年だ。
「すまなかった。ずっと君の具合が悪かったのは、俺を庇ってくれたせいだったんだな」
これだけは言わなければならないと思っていたことを、シャルワーヌは口にした。ジウ王子に対する複雑な感情は、謝罪の形になっていた。
ジウは肩を竦めた。
「オーディン・マークスの毒のせいです。貴方が気にすることではない」
「だが……」
「彼のことは忘れた方がいい。オーディン・マークスは非道な男なのだから」
灰白色の瞳でシャルワーヌを見つめ、彼は囁いた。どこか心配そうな気配が感じられる。
深い思いやりを感じた。
「オーディンだけが軍人じゃない。もっと立派な将校はたくさんいる。たとえば、貴方は、彼よりずっと格上じゃないか」
シャルワーヌは戸惑った。だってジウはシャルワーヌに対してこんな口の利き方はしない。内気で、ひどく控えめで……。
僅かに頬を赤らめ、彼は付け加えた。
「軍人としても、人間としても。だがもし、貴方が彼を愛していたと言うのなら……」
「愛していた? 俺が愛した男は、一人だけだ」
「ん。オーディンでしょ?」
「違う」
ジウは首を傾げた。今まで、ジウ王子が問い返してきたことなど一度もなかった。彼はいつも、言われたことを唯々諾々と受け容れる。
「マークス将軍のことは、尊敬している。だが、俺が愛しているのは、彼ではない」
「尊敬は、愛とは違うの? 忠誠は? あなたは彼と寝たんでしょ?」
「知っていたのか……」
シャルワーヌは唖然とした。オーディンに呼ばれ、マワジに行く直前、妙に頑なだったジウの態度から、彼は、オーディンとの関係を知っているのだと、推測していた。だが、おとなしく恥ずかしがり屋のジウ王子が、まさか正面切って問い質してくるとは思ってもみなかった。
しかも、「寝る」などと。
「軍で、特別な関係を結ぶにはこれしかなかった。彼には俺を、特別だと認めて欲しかった。それだけだ」
「信じられない。貴方は軽薄で、移り気な人だ。そして、情にほだされやすい。だから、オーディンからの愛情を受け容れたに決まっている」
断定的な言い方だった。むきになったその態度が可愛らしく、そしておかしかった。
「愛情? 君は間違っている。だって彼は俺を殺そうとした……」
「だから、慰めてやってるんだろ!」
口調ががらりと変わる。
まるで薄皮を一枚剥いたように、今の彼は活発で、生き生きとしていた。同じ空気を漂わせた男を、シャルワーヌは知っていた。
「君は、ジウではないな。君は、エドガルドだ」
相手は、大きく目を見開いた。
「なぜその名を知っている?」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
*1
Ⅰ章「拉致?」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/569562430/episode/5084751
※
ややこしい話をお読み頂き、ありがとうございます。
やっとここまで戻ってまいりました。
次回よりエドガルド視点に戻ります
彼の側近に選ばれなかった胸の痛みを堪えつつ、シャルワーヌは、ラルフ・リールの「リオン号」に乗船した。
政治財務担当のペリエルクも一緒だ。
嵐で岸に近寄れなかったのだと言い訳していたが、ラルフ・リールは、約束の日より3日も遅れた。これは、エドガルドの最後の日々を独占した余裕の表れだろうかと、シャルワーヌは勘ぐった。
意識しない方が無理だ。
だってラルフは、シャルワーヌから大切な人を奪った。エドガルドと再会できなかったのは、ラルフのせいだ……。
そして、
…… 「シャルワーヌ将軍! それを飲んではダメだ!」
なぜここにジウが?
ラルフの船に?
答えは明らかだった。
ラルフがジウをさらったのだ。
考えてみれば、ラルフが上ザイードを訪れた時、明らかにジウは、様子がおかしかった。
彼の前で剣舞を舞ったり。おまけに、肌脱ぎをしようとさえした。
ラルフの方も、様子がおかしかった。
どうやら彼も、ジウとエドガルドの間に何らかの関係があると気がついたようだ。
全く油断も隙もない男だ。
上ザイードからいなくなったジウが、そんな男のそばにいたことが、シャルワーヌには衝撃だった。しかも、自分から彼の元へ来たと言い張っている。
エドガルドだけではなく、ジウまで!
本当にこの男は、自分からどこまで奪えば気に済むのか。
というか、そもそもこの少年は、誰なのだ? ラルフがここまで執着するからには、あるいは……。
だとすると、今回もまた彼は、シャルワーヌを捨てて、ラルフを選ぼうとしているのか。
怒りと絶望で、目の前が真っ黒になりそうだった。
疑心に満たされたシャルワーヌを第二の衝撃が襲った。
同じくユートパクスの大使としてリオン号に乗船していたペリエルクが言ったのだ。
……「君は、兵士達に絶大な人気がある。オーディンの首都統治は失敗したが、上ザイードの民は君を信頼している。彼にとって君は危険人物だった」
危険人物?
オーディン・マークスにとって自分が?
ありえない。
そもそもシャルワーヌは、兵士達に人気があるとは思っていない。上ザイードの統治だって、それを運営していたのは部下や民間人たちだ。シャルワーヌ自身ではない。
むしろ彼は、いつも何かに心を悩ませ、心配事に眠れない思いをしながら、上ザイード総督に君臨していた。
軍人にはそぐなわない厄介な任務をイサク・ベルに押し付けた時には、むしろほっとしたくらいで……。
……「君の忠誠に免じ、オーディンは自らの手で君を殺そうと決意した。」
オーディンが、シャルワーヌの死を望んだと……毒を盛ろうとしていたのだと、ペリエルクは告げた。
それは、彼自身の手でなされることを、オーディンは望んだ。
この期に及んで、彼の「特別」を望んでいる自分に気がつき、シャルワーヌは苦笑した。今回の「特別」は、自分へ与えられる死だ。それで終わり、行き止まりではないか。
心当たりは、確かにあった。
情事の後、オーディンが口移しで飲ませた水。
かつてなく優しい、そのくちづけ。
だがそれは、文字通り、死のくちづけだった。
「ここにいた」
誰かが側へやってきた。シャルワーヌと並んで、舷側の手すりに寄りかかる。鼻孔を膨らませ、潮風を胸いっぱいに吸い込んでいる。
「なるほど、ここは気持ちがいいですね」
長い間、彼がジウ王子と呼んできた少年だ。
「すまなかった。ずっと君の具合が悪かったのは、俺を庇ってくれたせいだったんだな」
これだけは言わなければならないと思っていたことを、シャルワーヌは口にした。ジウ王子に対する複雑な感情は、謝罪の形になっていた。
ジウは肩を竦めた。
「オーディン・マークスの毒のせいです。貴方が気にすることではない」
「だが……」
「彼のことは忘れた方がいい。オーディン・マークスは非道な男なのだから」
灰白色の瞳でシャルワーヌを見つめ、彼は囁いた。どこか心配そうな気配が感じられる。
深い思いやりを感じた。
「オーディンだけが軍人じゃない。もっと立派な将校はたくさんいる。たとえば、貴方は、彼よりずっと格上じゃないか」
シャルワーヌは戸惑った。だってジウはシャルワーヌに対してこんな口の利き方はしない。内気で、ひどく控えめで……。
僅かに頬を赤らめ、彼は付け加えた。
「軍人としても、人間としても。だがもし、貴方が彼を愛していたと言うのなら……」
「愛していた? 俺が愛した男は、一人だけだ」
「ん。オーディンでしょ?」
「違う」
ジウは首を傾げた。今まで、ジウ王子が問い返してきたことなど一度もなかった。彼はいつも、言われたことを唯々諾々と受け容れる。
「マークス将軍のことは、尊敬している。だが、俺が愛しているのは、彼ではない」
「尊敬は、愛とは違うの? 忠誠は? あなたは彼と寝たんでしょ?」
「知っていたのか……」
シャルワーヌは唖然とした。オーディンに呼ばれ、マワジに行く直前、妙に頑なだったジウの態度から、彼は、オーディンとの関係を知っているのだと、推測していた。だが、おとなしく恥ずかしがり屋のジウ王子が、まさか正面切って問い質してくるとは思ってもみなかった。
しかも、「寝る」などと。
「軍で、特別な関係を結ぶにはこれしかなかった。彼には俺を、特別だと認めて欲しかった。それだけだ」
「信じられない。貴方は軽薄で、移り気な人だ。そして、情にほだされやすい。だから、オーディンからの愛情を受け容れたに決まっている」
断定的な言い方だった。むきになったその態度が可愛らしく、そしておかしかった。
「愛情? 君は間違っている。だって彼は俺を殺そうとした……」
「だから、慰めてやってるんだろ!」
口調ががらりと変わる。
まるで薄皮を一枚剥いたように、今の彼は活発で、生き生きとしていた。同じ空気を漂わせた男を、シャルワーヌは知っていた。
「君は、ジウではないな。君は、エドガルドだ」
相手は、大きく目を見開いた。
「なぜその名を知っている?」
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Ⅰ章「拉致?」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/569562430/episode/5084751
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ややこしい話をお読み頂き、ありがとうございます。
やっとここまで戻ってまいりました。
次回よりエドガルド視点に戻ります
応援ありがとうございます!
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