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Ⅱ 海から吹く風

回想:イサク・ベルとの友情

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 ムメール族を平らげ、司令部に帰ってみると、ジウの姿は消えていた。

 最初、シャルワーヌは、ウテナ国から来た密使の誘拐を疑った。なんにしても、彼はウテナの王子なのだから。
 だが彼の侍従、アソムも、途方に暮れていた。違う。ウテナ王国の陰謀ではない。

 ムメール族は降伏させたが、砂漠には他にもたくさんの部族がいる。例外なく彼らは、少年が好きだ。美しい王子は、砂漠の民にさらわれたのかもしれないと、シャルワーヌは恐れた。


 懊悩するシャルワーヌを見かねたのだろう、ハーレムの女の子の一人が、彼は自分で出て行ったのだと教えてくれた。彼女は、ジウから貰ったという肩掛けを見せた。それは、シャルワーヌがジウに贈ったカシミヤだった。

 異論はなかった。ジウは自分から出て行ったのだ。

 しかし、あの気弱なウテナ王子ジウが、自分から出て行った? いいや。その積極性は、エドガルドのものだ。やっぱり彼は、ジウの中に蘇ったに違いない!

 アソムは、主人の変化に気づいていなかった。シャルワーヌの考え過ぎなのか。あるいは、エドガルドに転生して欲しいという、シャルワーヌの希望か。もしそうだとしたら自分は最低だとシャルワーヌは思った。それは、ジウの死を意味するからだ。エドガルドの転生を願うとは、即ち、ジウの死を選ぶことに他ならない。



 そうこうしているうちに、首都マワジから、知らせが来た。総司令官のオーディン・マークスが、僅かな側近だけを連れ、軍に内緒で帰国したというのだ。

 追いかけるように、新総司令官ワイズは、シャルワーヌを首都マワジへ召喚した。



 自分がいなくなった後の上ザイード統治を、シャルワーヌは、イサク・ベルに持ち掛けた。

「ああ? なんで俺が? あんたの代わりに?」
 自分の代わりに上ザイード総督になれと持ち掛けると、イサク・ベルは目を剥いた。
「俺はムメール族の長だぞ? ユートパクス人ではない。お前らが征服した民族だということを忘れるな」

強い抗議にも、シャルワーヌは動じなかった。

「そうだ。だが、ソンブル大陸の民族であることに変わりはない。ここ、ザイードからみたら、ユートパクスは異国だ。しかも、違う大陸にある。古くからソンブル大陸に根を下ろしてきたお前らの方が、新参者の俺達より、住民の気持ちがよくわかるだろう。違うか?」

「住民は俺を恐れているぞ」

「それはお前らが、略奪したり、容赦ない税を取り立てるからだろうが」
 ザイードは、タルキア帝国の領土だ。当然、タルキアに税を払わねばならない。
「俺らには、税を取り立てる権利がある。タルキア皇帝が認めてくれたからな」
 そしてまた、砂漠を移動して生活しているムメール族もまた、住民から税を取り立てる権利を、タルキア皇帝から慣習的に認められていた。

シャルワーヌはため息をついた。
「住民にしたら、タルキアとムメールへ税の二重払いをしなくちゃならない。しかもお前らは1年に何度も馬や食料を徴収するだろう? もはや略奪と同じだ」

「俺達だって食っていかなくちゃならないからな。お前らが攻めてきたら、戦わなくちゃならない」

にやりとイサクが笑う。

「1年に何度も税を取られたら、かなわないだろうが。金がないことは、ザイードの発展を妨げる」

「お前が言うと、真実に聞こえるな」
シャルワーヌのみすぼらしい服装を無遠慮に眺め回し、イサクは言った。

「真実だ。住民には金が必要だ。住民達たちが稼いだ金を自分たちの為に使って、何が悪い?」

「……俺にどうしろと?」

「略奪はするな。税は必要なだけ取り立てろ。ただし、住民の為に使え」


 イサク・ベルは、正確にシャルワーヌの意図を理解した。ザイードをタルキア帝国の手から解放し、よりよい国にしたいという思いは、この大陸に暮らすムメール族も同じだったのだ。


「住民の為に金を使うとは?」
「橋を造ったり道路を整備したり、他にも学校や病院、あと、法律の整備も必要だな」
「そんな難しいこと、俺にできるか!」
「安心しろ。俺の軍を置いていく。中には、行政法律に詳しい市民もいる」

 イサク・ベルは驚いたようだった。

「あんたらは、民間人を連れて遠征に来たのか?」
「そうだ。総司令官オーディン・マークス将軍の発案だ」

 その名を口にするとき、シャルワーヌの胸がちくりと痛んだ。彼がその才能を認め、心からの忠誠を誓った男は、シャルワーヌを置いて、国へ帰ってしまった……。

「ふん。あんたの統治がうまくいくわけだ。もともと有能な民間人を連れてきたんだからな」
「そうだ。俺は軍人だからな。軍のこと以外は、まるでわからんよ」

 統治を引き受け、住民の福祉にも、イサク・ベルは乗り気だった。
 これでやっと、肩の荷が下せる……シャルワーヌはほっとした。彼は軍人だ。統治は専門分野ではない。ただ、みじめな暮らしをしている住民を救いたい一心でここまでやってきた。

 マムルークの長との友情は、思いがけない副産物だった。


「ところで、いつになったら、俺の妾に会わせてくれるのだ?」

イサク・ベルと顔を合わせると、いつも彼はこれを聞く。
その度に、憤然とシャルワーヌは答える。

「彼はお前の妾などではない!」
「妾だ。未来のな」

高い声でイサクは笑った。

は、間違いなく俺を選ぶぞ。お前ではなく。それが怖くて、俺の前から隠しているのだろう?
「違う! 何度も言った。彼は、いなくなったのだ」
「そんなわけがない。かわいそうに、よほど自信がないのだな。お前には、を繋ぎとめておける魅力がないからな」

シャルワーヌは呆れた。

「逆に、お前のその自信はなんなんだ?」
「ああ? 俺はマムルークのベルだからな。惚れない男はいない」

 ……自分がオーディン・マークスを愛したように?

 シャルワーヌは首を横に振った。
 今は、考えてはいけない。考えてもどうにもならないことは、考えるべきではない。

「彼が、お前なんかになびくものか!」

 アンゲル海軍将校には簡単に靡いてしまったけれども。
 やはり彼は、エドガルドだったのか。
 自分は、前世の彼を手放すべきではなかったのだ。革命政府から処刑されても、彼と一緒にいるべきだった。


「……聞いているか?」
「は?」
「どこまでヤった?」
「………………」
「なんと! 未だに何もしていないのか。なるほどな」

ひとり、頷いている。

「キ、キスはした!」
 思わずシャルワーヌは叫び、すぐに後悔した。なんてことだ。これではイサク・ベルの口車に乗せられたも同じだ。

「キス?」
果たして、嘲るような笑いが浅黒い顔に浮かんだ。
「ユートパクス人は、その程度しかできないのか」

「お前のせいだ!」
もはや冷静さを完全に失い、シャルワーヌは喚いた。
「お前らが変な時に戻って来るから……俺は、戦場に出なければならなかったっ!」


 暫くの間、例の無遠慮な眼差しで、イサク・ベルはシャルワーヌを見つめ続けた。

「なるほど。俺の妾は、あんたに愛想を尽かして出奔したというわけか」
 ついに彼はこう、つぶやき、シャルワーヌを一層の絶望の淵へと叩き落とした。

「だが、安心しろ。は、そこまでお前を嫌っていない。少なくともお前は生きている」
「生きてて悪かったな」

 なんの慰めにもなっていないと、シャルワーヌは思った。








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