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Ⅱ 海から吹く風

蘇った記憶

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*ジウ(エドガルド)視点に戻ります。
 途中までは、彼が倒れる直前の回想です


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 ……「いかがです、将軍。上ザイードは裕福だと聞いていますが、このような極上のワインはないでしょう? これは、ユートパクスから運んできたワインです。総司令官が特別に下賜されたのです」

 ジウは目を瞠った。
 真っ赤なワインをグラスに注ぐ手。その長い指と指の間から、白い粉末がはらはらとグラスに落ちていく。
 ジウにしか、見えなかった。
 テーブルには、もう一人、いた。上ザイード総督のシャルワーヌ・ユベールだ。グラスに白い粉末が落とされる様子は、シャルワーヌからは死角になっていた。

 ……このペリエルクという人は、軍人ではない。オーディン・マークスの信頼の厚い民間人だ。ことを荒立ててはいけない。シャルワーヌ総督は総司令官に絶対服従を誓っている……。

 「そのワインは僕が頂きましょう」
ジウは言った。
「プリンス、貴方が?」
ペリエルクは眉を寄せた。
「ええ。いけませんか?」
「しかし……」

「いいではないか」
シャルワーヌが口を出す。
「ジウ王子は大切な預かり人だ。彼には随分不自由な思いをさせている。ワインの一杯や二杯、喜んで差し上げよう。それでなくても、彼が自分から何かを欲しがるのは珍しいのだ」

「だがこれは、総司令官オーディン・マークス殿がわざわざ貴方の為に賜った貴重なワインですぞ?」
「そういう贅沢品は、たいてい、軍の病院へ回すことにしている。ただでさえワインは、病人や怪我人には励みになる。ましてや総司令官からの贈り物とあらば、なおさらだ」
「貴方への贈り物です、」

「総司令官とユートパクス軍の繁栄を祈って」
 二人の言い争いに終止符を打つべく、ジウはグラスを高々と持ち上げた。喉をくいと傾け、一息に飲み干す。

 彼が突然の病に倒れたのは、数日後のことだった。




 突然蘇ったジウの記憶。
 それの意味するところは紛れもなかった。
 マワジから突然やって来たペリエルクは、上ザイードの総督シャルワーヌに、毒を飲ませようとした……。


 「シャルワーヌ将軍! それを飲んではダメだ!」

 ペリエルクがシャルワーヌの前に紅茶茶碗を置く。その仕草にぞっとした俺は、咄嗟に重い緞帳を持ち上げ、続きの間から飛び出していった。







 「ジウ王子!」
 緞帳を割って現れた俺に気がつき、シャルワーヌは、ぽかんとした。
 その手から、俺は紅茶茶碗を叩き落とした。

「ああ、それ……。高かったんだぞ」
粉々になった茶器を見て、ラルフが嘆く。

 はっと、我に返った。

 ……ここはリオン号の中。
 ……今回は、ペリエルクは毒を入れてなんかいない。

 それどころか、今、シャルワーヌにもしものことがあれば、彼は敵の中でたった一人になってしまう。
 あれは、過去の幻影。ジウ王子が見た情景だ。


「ペリエルク。上ザイードで貴方はワインに毒を入れた。オーディン・マークスが贈ったという血のように赤いワインに。そしてそれをシャルワーヌ将軍に勧めた。だが、ワインを飲んだのは僕だ。その後、僕は意識を失った」

「君が意識を失ったことは知っている。だがあれは毒ではなかった。少なくともあの時点では」

「どういうことだ?」
 鋭い質疑が入る。シャルワーヌだ。だが、ペリエルクは首を横に振るばかりだ。
「知らない。この子の体質が虚弱だからだろう」

 わけがわからない。

「ペリエルクの記憶を思い出したのか?」
ラルフの問い掛けに、俺は大きく頷いた。

 シャルワーヌの目がラルフに向けられた。その表情が険悪に歪む。凄い勢いで俺に向き直り、彼は堰を切ったように喚き始めた。

「ジウ王子、なぜここに? 君は突然、上ザイードからいなくなって……イサク・ベルとの戦いで俺は勝利したというのに! 君に報告しようと急いで帰って来たのに。なのに君はいなかった。いったいどうして……さては!」

 濃い色の髪に覆われた頭を振り立てる。燃えるような怒りを滾らせて、アンゲル海軍将校を睨みつけた。
「貴殿がさらったのだな?」

「ち、ちがうよ……」
 慌てて否定したが、シャルワーヌの耳には全く届いていないようだ。

リール代将コモドール・リール! 貴様という男は! 俺からどこまで奪えば気が済むのだ!」

「いや、私は何も奪ってはいませんが」
落ち着き払ってラルフが答える。どちらかというと、彼は面白がっているように見えた。口の端に余裕の笑みを浮かべている。
「私は、あなたのハーレムの女性達にも手をつけませんでしたからね」

「え、そうなの?」
ラルフのことだから、そこは仕方がないと思っていたのだが。

 負けじとシャルワーヌが叫ぶ。
「俺だって彼女らには手を出していない!」

「うそ……」
 こんな時だが、唖然とするしかない。言うに事欠いて、この男……。

「嘘なものか。あのな。ソンブル大陸では、ハーレムは身寄りのない女性たちの避難所なんだ。男はいい。軍に入れば砂漠の敵から保護され、相応の生活ができる。だが、女性はそうはいかない。だから俺はハーレムを作った」

 ラルフが鼻を鳴らした。
「でも彼女たちの前で裸になるんでしょ? ハーレムの召使から聞きましたよ」
「入浴を手伝ってもらっていただけだ!」
「……」

 あまりのことに俺は絶句した。
 俺の今までの怒りや苛立ちはどうなるんだ? この男、散々俺を苦しめて……。

 ん? 何だ、この感情は。ジウのものではないようだが。
 ああ、そうだった。女性を貶める革命軍の将軍に対する怒りだ。

「とにかく私は、をさらってなんかいませんから」
 相変わらず冷静に、しかし僅かに笑いを含ませ、ラルフが言い渡している。
「ではなぜ、彼がここにいるのだ!?」
シャルワーヌは譲らない。

「自分で来たんだ。ルビン河を下って」
 ラルフが答える前に俺は伝えた。だって、本当のことだ。

「ジウ! この期に及んで、君は、この男を庇おうと……」

 呼び捨てにされた。
 シャルワーヌの目に険悪な光が宿っている。思わず身の危険を感じた。俺だけじゃない。ラルフも危ないかもしれない。


 「なんだなんだ。仲間割れか?」
 揶揄するような声が割って入った。タルキアの大使だ。
 紅茶茶碗を手に持ったまま、にやにや笑っている。

「内輪の話だ。済まないが、席を外してくれないか」
 吐き捨てるようにシャルワーヌが告げると、タルキアの二人は顔を見合わせた。

「麗人には相応の敬意を払うべきでは?」
 ラルフが俺を指し示す。

 麗人はさておき、形の上では、俺はウテナの王子だ。しぶしぶと、二人は部屋を出ていった。 






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