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Ⅱ 海から吹く風

ジウの嫉妬

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 しかし、悪運の強いオーディン・マークスはアップトック提督の偵察を潜り抜け、ユートパクスへの帰還を果たした。

 そして、クーデターを起こした。革命政府を倒し、自らが政治の実権を握った。
 ザイードには、まだ、ユートパクス軍が残っている。総司令官がいなくなり、彼らはどうするつもりなのか。


「その件なら、話はついてる。新司令官のワイズ将軍は、話の分かる男でな」

 にやにやとしまりのない顔で、ラルフが笑っている。この男は、俺と一緒の時は、いつもこんな顔だ。
 仮にも戦艦を統率しているのだから、もう少し、威厳を持って欲しい。

 彼は、我が物顔で俺の肩を抱き寄せようとした。

「ラルフ……」

肩の手を払いのけると、傷ついたような表情になった。

「だって二人は恋人同士なんだろう? 君はそれを認めたじゃないか、エドガルド」
「俺は未成年だ。つまり、ジウは」

 頬に音を立てて血が登っていくのが感じられる。小声で、殆ど囁くように俺はラルフに哀願した。
「18歳になるまで待って欲しい」

 ウテナでは、そしてユートパクスやラルフのアンゲルでも、成人は18歳からだ。

「そうでなくても華奢なこの体が、君を受け止められるくらいに成長するまで、待ってくれないか」

 ラルフの顔に、優しい表情が浮かんだ。この男はいつだって弱い者の側にいる。
 しかし一瞬のことだった。我に返った彼は、まるでこの世の終わりのような顔になった。

「18歳だって! 君は今、いったい何歳なんだ?」
 あまりの悲痛な様子に、思わず俺は噴き出した。
「17歳になった。18歳になんて、あっという間さ」
「あっという間? ええと、君の誕生日は若草の月の1日だから……」
「それはエドガルドの誕生日だ。ジウの誕生日は、霜置く月の10日」

「まだずっと先じゃないか!」
 ラルフが膝から崩れ落ちた。
「そんなに長い間、しかも君の身近で暮らしながら、俺は禁欲生活を送らなければならないのか……」

 その様は、思わず謝らなければ済まされないほど、みじめで痛々しかった。

「ごめん、ラルフ……。ジウは、とにかく虚弱なんだ。だから……」
「そうだろうよ」
「俺だって、そのう、……」

 思い切って俺は先を続けた。きちんとした教育を受けた元貴族としては、大変な努力が必要だった。
「……一刻も早く君とヤりたい。18歳になるのがまちきれないくらいだ」

 ラルフの顔が、ぱっと明るくなった。
「そういうことなら……。俺はてっきり……、」
言葉を濁す。

「てっきりなんだ?」
「いや、」

 日頃、単純明快を好むラルフが珍しく言い澱んでいる。

「なんだよ」
「そういう理由ならいいんだ。俺は、未成年に手を出すような鬼畜じゃない。もちろんジウ王子の体は、大切に扱わなくちゃならない」

 心掛けは立派だが、苦渋の表情がまだ残っている。俺は、さっき彼が言いかけたことが気になった。

「ラルフ、君、何か言おうとしてたろ?」
「なにも」

ケロッとした顔で惚けている。さらに問い詰めようとした時、彼は両手を打ち鳴らした。

「そうだ、エドガルド! いいや、ジウ。この船にシャルワーヌ将軍が来る」
「シャルワーヌが!?」

 不意打ちで聞いたその名に、俺の胸が激しく鼓動を打ち始めた。
 あの男のことは、上ザイードに置いてきたはずなのに……。

 口から飛び出しそうなほど高鳴る胸を、両手で押さえつけた。そんな俺の様子を、ラルフがじっと見つめている。ひどくくらい目だ。

「これは、ジウの体が勝手に反応しているだけだ」
「わかってる」

慌てて説明すると、訳知り顔に彼は頷いた。

「わかってるよ、エドガルド。ジウ王子は、シャルワーヌのことが好きだった。その残存思念がまだ、君の体に残っていて、彼の名に反応するんだよな」
「そうだ」
「それだけだよな」

しつこく念を押すので、むっとした。

「当たり前だろ? シャルワーヌは王を裏切った。俺の敵だ。それより、」
 震えずにその名を口にするのには努力が必要だった。
「彼が来るのか? この船に?」

「ああ」
ラルフが答える。ぶっきらぼうな声だった。

「何しに?」
「和平協定を結びに。新司令官の全権大使として」
「新司令官? 全権大使?」
「うん。オーディンの後任者で、現ユートパクス軍総司令官のワイズ将軍は、すぐにでもソンブル大陸から撤退したい意向だ」

 こっそりイスケンデル港から帰国したオーディンは、自分の後任にワイズ将軍を指名した。

「彼には会ったことがある。シュール港で、危うく捕まりそうになった。だが彼は、俺達を放免してくれた。エドガルド、君に貰った通行証に免じて*」

 その通行証を発行したのは、シャルワーヌ・ユベールだ。シャルワーヌ……その名を、しかし、ラルフはわざと省いた。

「好戦的なオーディン・マークスと違って、新司令官のワイズ将軍は、これ以上の戦いは無益だとわかっている。彼は、麾下の兵士達を無駄に死なせるようなことはしない。そうそう、ワイズ将軍は、オーディンから司令官を押し付けられて、怒り狂っていたよ」

 オーディンは、自分の後任に直接ワイズ将軍を指名するのではなく、手紙を書き残していったという。
 俺は下唇を噛んだ。

「卑怯なあいつらしい。ワイズ将軍と面と向かって言い出せなかったんだ。なにせ、軍をずたぼろにしたのはあいつ自身だからな。それなのに、自分だけこっそりと逃げ出して」

 俺の剣幕に、ラルフが鼻白んだ顔をしている。
「よっぽどオーディン・マークスが嫌いなんだな。まあ、俺も嫌いだが。あの男は、エドガルド、君を殺した」

 その件はもういい。いや、よくはないが、こうしてジウに転生を果たした今、それほど問題だとは思えない。それより俺には、怒りが治まらぬことがある。

「あいつ、俺のこと、こいがたきだとかぬかしやがって」

 ラルフがきょとんとした。

「こいがたき? だって? それはいったいどういう……」
「横恋慕だよ。オーディンはシャルワーヌのことを愛している」

 ユートパクスのフリゲート艦の中での、オーディン・マークスの不可解な言動の謎が、ようやく解けた気がした。
 彼は、シャルワーヌを愛しているのだ。だから、しきりと彼の無事を知りたがった……。

「ちょ、ちょっと待て。横恋慕ってなんだ? 君はシャルワーヌのことなんかなんとも思ってないと言ったばかりじゃないか。彼は自分の敵だと、はっきり言った」

 悲鳴のような声でラルフが問い質してくる。

「そうだよ?」
「だったらなぜ、オーディンの恋敵なんだ? 彼はシャルワーヌを愛していると、確かに君は……、」
「ジウ王子だよ!」
「ジウ王子?」
「オーディンの恋敵は、ウテナの王子、ジウだ」
「あ、」

ラルフは、虚を衝かれた顔になった。

「確かにジウ王子は、シャルワーヌを愛していたものな」
「そうだ。それにジウ王子は、オーディンのことをひどく嫌っていた……」


 シャルワーヌが、オーディンに会いに首都マワジへ行くと言った時……。ジウは、怒りにも似た感情を抱いた。
 あれは、嫉妬だったのだ。憤激に我を忘れたジウは慣れない乗馬を試みたが、馬が暴れ、すんでのところで大けがをするところだった。

 そしてまた、シャルワーヌがオーディンへの忠誠を口にするたびに感じた苛立ちと、オーディンへの強い憎しみ。
 俺はそれを、エドガルドとしてのオーディンへの憎悪だと思っていた。

 違う。
 いまようやくわかった。
 これは嫉妬だ。


「それは本当に、ウテナの王子の嫉妬なんだろうな」
 ラルフが念を押す。ひどく心配そうな顔をしている。

「当たり前だろ。いいか、ラルフ。ジウは、世間知らずな王子だったんだ。あんな男でも、自分を保護してくれるおとなだ。ジウが彼に恋をしても、少しも不思議じゃない」

「そしてオーディンも、シャルワーヌ将軍を愛していると?」

「すくなくともジウはそう信じていた。いや、今では俺もそう思うね。フリゲート艦でのオーディンの態度は異様だった。シャルワーヌの安否だけを、彼はしきりと知りたがっていた」

「君は何て男を恋敵に回してしまったんだ、エドガルド!」

「だから俺じゃないって! ジウだ!」


 しかしラルフは答えなかった。頭を抱え込んでしまっている。





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*Ⅰ章「砲兵隊長」、ご参照下さい
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/569562430/episode/5061950





間が空いてしまったにも関わらず、戻ってきて下さった皆様。本当にありがとうございます。大変な勇気を頂きました。

Ⅱ章「海から吹く風」では、Ⅰ章から貼ってきた伏線を回収していきます。そして、ジウ(エドガルド)、シャルワーヌ、オーディン・マークスの間のこんがらがった関係を解きほぐしていきたいと……(できるのか?)

どうか少しでもお楽しみ頂けますように!!!





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