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Ⅱ 海から吹く風

お付き合いの手順

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 「ただいま、母さん!」

 元気よく飛び込んで来た息子に、リール夫人はたたき起こされた。

「ラルフじゃないの。幽霊かしら」
早朝だった。彼女はまだベッドにいて、寝ぼけていた。

「本人だよ! 幽霊なんかじゃない」

「だってあなたはユートパクス革命政府に捕まって、悪名高い監獄に収監中……ラルフ、あなたはとても勇敢でよく頑張ったのに、お国は助けてくれなくて」

「だから脱獄してきたんだよ!」
意気揚々とラルフは答えた。後ろを振り返った。

「母さん。紹介するよ。この人はエドガルド・フェリシン。僕を脱獄させてくれた人だ」

「まあ。息子がお世話になりました」
ベッドの中から、ラルフの母は、丁寧にお辞儀をする。

 リール夫人はまだ、完全に目が覚めていないようだ。異国に監禁される息子の身を案じて暮らしていた彼女は、夜眠っている間しか、忘却の縁に安らぐ暇がなかった。そのあまりに長い心労の時間を減らすべく、体が長い睡眠を必要としているのだ。

「そういうわけでね、母さん。これから先の人生を、僕は彼と共に生きることにしたから」


「何だって!」
叫び声を上げたのは、エドガルドだった。
「そんなこと、俺は一言も聞いてないぞ」

「だって、君は僕の船に乗ってくれるんだろ?」

 確かにそんな話はした。
 ラルフ・リールは海軍将校だ。どうせならアンゲル軍に入り、共に戦おうと、エドガルドは誘われていた。

「海の上では、一蓮托生だ」
「……」


「仲がいいのね」
リール夫人は大あくびをした。
「あなたたち、ご飯は食べたの?」

「まだだよ、母さん」
「なら、食堂へ行くといいわ。少ししたら、私も行くから」
「その前に、父さんにも挨拶してきます」



 まだ寝ぼけ気味のリール夫人を寝室に残し、二人は庭へ出た。
「今の時間、父さんは、温室で薔薇の手入れをしているんだ」

 「ラルフ! 夢じゃなかろうな。ラルフ! ラルフじゃないか!」
 丹精込めた薔薇の間から息子の姿を認めると、リール氏は飛び上がった。

 自分より背の高いラルフを抱きしめる。ラルフが抱き返すと、体を離し、しげしげと息子の顔を見つめた。それから、両手でばんばんと肩や背中を叩き始めた。

「ラルフだ。確かにラルフだ!」
てて。そうですよ、父さん」

 ひとしきり息子の全身を叩くと、リール氏は、後ろに佇んでいたエドガルドに気がついた。

「この人は?」
「僕を脱走させてくれた人です」

「なんだと? ラルフ、お前、ユートパクスの監獄から脱獄してきたのか」
「いつまで経ってもアンゲル政府が捕虜交換に応じてくれないものですから」


「初めまして、リール大尉。エドガルド・フェリシンです」
 ぶっきらぼうに差し出された手を、エドガルドは握った。

「ユートパクス人だな。すると君は、王党派か?」
「はい」

 エドガルドの手が振り放された。燃えるような眼差しをリール氏は息子に向けた。

「ラルフ。お前は、よその国の揉め事に首を突っ込みおって。シュール湾でユートパクスの船や倉庫を焼き打ちしたことといい、王党派の亡命を手伝っていたことといい……。牢に繋がれて少しは懲りたかと思っていたのに。なぜ、アンゲル政府がお前の捕虜交換に応じなかったか、考えてみろ」

「アップトック卿が反対されたからだと聞いています」

 アップドック卿というのは、ソリの合わないラルフの上官だ。

 ラルフが答えると、リール氏の顔が真っ赤になった。

「それならなぜ、お前の上官は、お前を助けようとしなかったのだ!? アップトック卿は、この国の英雄だ。俺はおまえが、彼の部下であることを誇りに思っている。いいか、ラルフ。お前は俺と同じ、アンゲル軍の兵士だ。兵士は、アンゲル国王陛下の為にだけ戦えば、それでよいのだ」

「でも、父さん。あのまま牢にいたら、僕は暗殺されていたよ。エドガルドは、命の恩人だ」

 静かにラルフが言った。
 赤くなったリール氏の顔から、すうーっと血の気が引いていく。無言で彼は後ろ向いて屈みこみ、薔薇の剪定を始めた。

「安心して、父さん。僕は海軍に戻る。僕の陛下への忠誠は、アップトック卿も、きっとわかってくれるさ」

「あの方は、お前に、性格的な難があるとおっしゃっているそうだ」

「そう? 僕に言わせれば、アップトック卿の方が大概、」

「口を慎め!」

 一喝され、ラルフは口を噤んだ。すぐに続けた。

「僕らの敵はユートパクス革命政府だ。そして、オーディン・マークスだ」

「オーディン・マークス? ウィスタリア帝国を打ち破った、常勝将軍と言われているあの男か?」

「シュール湾を焼き打ちにした時の、ユートパクス側の砲兵隊長だよ。彼は、人じゃない」

 死刑囚に希望を与えてから、再びの砲撃で、彼らを虐殺したオーディンを、ラルフは忘れることがなかった。

「彼は悪魔だ」

「私も、貴方のご子息と共に戦います」
力強い声がした。背後にひっそりと控えていたエドガルドだ。

 ラルフの目に光が宿った。エドガルドは、アンゲル軍へ勧誘するラルフの誘いに、いまひとつ、乗り気でなかった。東の国境で戦っているデギャン元帥に忠誠を誓っていたからだ。それが今、自分と共に戦うと言ってくれた。

「エドガルドは優れた将校だ。彼をアンゲル軍に紹介し、相応のランクを与えてもらうつもりです」

 リール氏は、エドガルドに向き直った。
「君は、アンゲル国王の為に戦うのか? ユートパクスの王党派の為ではなく?」

真っ直ぐな問いに、しかし、エドガルドは即答を避けた。
「ラルフは王党派の為に尽力してくれました。僕はラルフを信じ、共に戦いたいのです」

 「アンゲルは、王党派の味方だ。ユートパクスの西南部では、亡命貴族軍を援助してきた」
ラルフが割って入った。
「王党派との共闘は、アンゲル国王陛下の意志でもあるのです」

 深いため息を、リール氏はついた。俯き、薔薇の世話に専念する。
 その父の背に向かい、ラルフは宣言した。

「父さん。エドガルドは、頼りになる戦友であるだけではない。僕の人生のパートナーでもあるんだ」

 突然の爆弾発言にエドガルドは飛び上がった。
 驚いたのは彼だけではなかった。
 鋏を握ったリール氏の手元から、咲きかけの薔薇の蕾が、ぽろんと落ちた。

「さてと」

にっこりとラルフは笑った。ストレス……もし彼にそんなものがあるとしたら、だが……から解放された、晴れ晴れとした笑みだった。

「これで両親への顔合わせは済んだ。さ、行こう、エドガルド。君を推薦しに、軍司令部へ行かなくては」


「ラルフ!」
 憤りに掠れた声でリール氏が叫んだ時には、ラルフはエドガルドの肩を抱くようにして、温室の出口へ向かっていた。
「ラルフ!」

「だからもう見合いの話は持ってこないで下さいね。僕にはステキな伴侶がいますので!」

 何か言いたそうなエドガルドを急き立て、息子は、足早に立ち去っていった。



 ……。

「俺は外堀から埋めるタイプなんだ」

「なんだよ。ドヤ顔しやがって」

「得意にもなるさ。こうして両親に紹介し、僕達は、きちんとしたお付き合いを始めたわけだから」

「俺の認識とズレがあるな。俺は途方に暮れていたんだ。ランデン首都に着くと君はいきなり、大きな邸宅に入っていくし、しかも向かった先はご婦人の寝室で……」

「ご婦人? 俺の母さんだぞ?」

「ご婦人だ! その上、父君には誤解を招く紹介をするし」

「誤解なんかじゃないさ。だって君は、俺のパートナーだろ?」

「軍務のな」

「人生のだ!」

 ……。






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