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Ⅰ 砂漠とオアシス

捕えられた亡命貴族

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ここから数話、シャルワーヌ目線になります

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 4年前……。


 恐怖政治下の強い徴兵制と中央集権のおかげで、ユートパクス軍は周辺諸国を平らげて行った。
 小さな国や領邦は、次々とユートパクスに講和を申し入れてきた。残った敵は、西の大国ウィスタリア帝国と、海の向こうのアンゲル王国、そして、亡命貴族軍のみとなった。

 特に亡命貴族軍は、悲壮な決意を以って攻撃してきた。同じユートパクスから亡命した彼らは、国内の財産を没収され、ろくな武器さえ手に入れられず、困窮していた。しかし国王に忠誠を誓い、祖国を奪還しようというその執念は、燃え盛る一方だった。

 一方、ユートパクス国内では、革命政府による恐怖政治が行われていた。毎日何千もの人々が処刑されていき、そのあまりの残虐さゆえ、人心が離れて行った。ついにクーデターが起き、急進派の領袖、ロスピが処刑された。

 新しい政府が樹てられた。が、未だ弱々しく、政権を把握しきれていない。ユートパクスは、政情不安定だった。
 この機に乗じて、敵が攻めてくる可能性が高まっていた。強敵ウィスタリア帝国軍と、彼らの協力を仰いだ亡命貴族軍、そして、海の向こうからアンゲル海軍が。

 シャルワーヌの師団は、ユートパクス東側の国境で、警備に当たっていた。ここは、太古に隆起した険しい山岳地帯だ。が、革命戦争の最初から山に潜んで戦い続けたシャルワーヌ軍にとっては、庭のようなものだった。




 山道を駆け巡る一日が終わり、兵士たちの夕食が始まった。火が熾され、飯盒で炊いたスープが供されていた。
 士官も兵卒も、束の間の休息を楽しんでいた。

 不意に大きな怒声が聞こえた。
 どやどやと、男たちの一群が、隊長のシャルワーヌの元へやってきた。

「亡命貴族を捕えました」

 男たちの中央に、縄で縛られた男がいた。巻き上げた縄を背後で捕まれ、腰から吊るされるような状態で、ひきずられてきた。
 ウィスタリア人ではない。明らかに、ユートパクス人だ。何より彼は、腹に藍色の布を巻いていた。藍色は、ユートパクス王家の旗の色だ。

 ……王党派のユートパクス貴族。

 シャルワーヌは、右手を上げ、人払いを命じた。副官はじめ、周囲の兵士たちは、さっと、その場を立ち去った。亡命貴族の男と、彼を拘束している兵士だけが残った。

「殺せ! さっさと殺せ!」

 亡命貴族が顔を上げた。泥と垢にまみれている。やつれた顔の中で、銃弾にも似たはがね色の瞳だけが燃え盛り、シャルワーヌを睨み据えていた。

 自分と同じか、少し年上だと、シャルワーヌは思った。わけもわからず革命に巻き込まれ、気がついたら敵味方に分かれてしまった同胞だ。

「ブルコンデ16世、万歳! ユートパクス王に栄えあれ!」

 ことさら大きな声で男は喚き立てた。敵の司令官の前に引っ張られ、自分の命運が尽きたと悟ったのだ。最後の力を振り絞って、自分の主張を繰り返している。

 王党派の主張を。

 後ろで緩く束ねたアッシュブロンドの髪が乱れ、一房の髪が額に零れ落ちた。
 痛ましい、とシャルワーヌは思った。

「黙れ!」
 拘束している兵士が、縄をきつく吊り上げる。胸と腹を締め付けられ、彼はえづいた。それでもなお、声を絞って叫び続ける。

「国王陛下、万歳! ブルコンデ17世の御代の来たらんことを!」

「……言いたいことは、それだけか?」
 男が息を切らせるまで待って、シャルワーヌは尋ねた。

「なんだと?」
掠れた声が問い返す。

「だから、言いたいことはそれだけかと、聞いたんだ」
「お前にくれてやる言葉なぞない! 革命政府の犬め!」

 元気のいい男だと、シャルワーヌは思った。だが、相当無理をしている。このままでは体を壊すだろう。

「このっ!」
 上官に向けて罵声を放った男に、彼を拘束している兵士が激怒した。足で、背中をどやしつけようとする。

「止めろ」
短く、シャルワーヌは諫めた。静かに男に話しかける。
「知っているか。去年の夏、ロスピが処刑された。恐怖政治を牛耳っていた党の党首だ。彼の死をもって、ユートパクスの恐怖政治は終わりを告げた」

「なんだって!?」
プラチナ色の瞳に、驚愕の色が浮かんだ。

少しの優越感を覚え、シャルワーヌは続けた。
「やはり知らなかったか。君らは、山に潜んでゲリラ戦を仕掛けてばかりいるから。だからこんなに大きな出来事さえ、耳に入ってこない」

「余計なお世話だ!」
「戦争で一番大切なのは、情報だ。それさえわかろうとしない君たちに、勝ち目はない」

 正論だ。
 年齢は若いが、シャルワーヌと同じように熟練の戦士なのだろう。相手は反論しなかった。

 目線をそらし、シャルワーヌは背後の兵士に告げた。
「この男は俺が預かろう。行って良し」

「しかし……処刑しなくていいんですか?」
 王党派は見つけ次第処刑せよと、新政府から指令が出ている。

「ここからは俺にませろ。君も、向こうで、食事と酒に与るといい」
「酒があるんですか?」
 兵士の目が輝いた。
 シャルワーヌはウィンクした。
「わずかだがな」
飛び立つように、兵士は仲間たちの元へ去っていった。


 後に残った男に向かって、シャルワーヌは身を屈めた。柑橘類の匂いがした。レモンほどには酸っぱくない。ほのかに甘く、さわやかな酸味が感じられる。
 これは、彼の匂いだ。
 恐怖は混じっていなかった。自分の生死を握る敵の将校の前で、彼は、驚くほど平静だった。

 シャルワーヌは小声で囁き掛けた。
「古い議会は解散し、新しい政府が発足したばかりだ。新しい議会は、毎年、その1/3が改選される。公正な選挙で、だ。俺の言っている意味、わかるか?」

「選挙……。改選……」

 男はつぶやいた。頭が悪いわけではない。むしろ察しがよさそうだ。
 シャルワーヌは頷いた。更なる謎をかける。

「そうだ。1回では無理だろう。だが、チャンスは毎年ある」

 彼の言わんとしていることを、男は察したようだ。熱に浮かされたように口走る。
「少しずつ、少しずつ、増やしていけば……王党派の議員を……」
はっと顔を上げた。
「なぜ俺に、情報を漏らす?」

「なぜ? そうだな」
シャルワーヌは微笑んだ。

 懐から、大ぶりのナイフを取り出す。
 はっと男が息を呑んだ。

 背後に回り、取り出したナイフで、シャルワーヌは彼を拘束している縄を断ち切った。
「まずは君の名前を聞こうか」

 男が身じろぎし、ぱらぱらと短く切られた縄が下へ落ちた。
 彼の白い肌には、赤い縄目の後がくっきりとついていた。両手首の痛々しいその痕をさすりながら、男はそっぽを向いた。

 月明りに、尖った顎から首筋へのラインがはっきりと浮き立った。シャルワーヌは息を呑み、慌てて平静を装った。

「これは失礼した。人の名を問う時には、自分から名乗らなければな。俺の名はシャルワーヌ・ユベール。ここの師団長だ」

「知ってる。兵士が呼んでいるのを、丘の上で聞いた」
 男は、尊大に構えている。痩せた顔に、冷たい目の光ばかりが冴えている。ぞくりとするような色気があった。
「お前が礼を尽くすのなら、応えてやろう。俺は、エドガルド・フェリシン。デギャン元帥の旗の元、戦っている」

「フェリシン……地方貴族か?」
「代々、ロワネに領土を持つ」

「エドガルド。君に、教えて欲しいことがある。ユートパクスの政情の情報とバーターで」
「これは、取引なのか?」
「そう思ってくれて構わない」
「言え」

 単刀直入な急かし方に、シャルワーヌは思わず口元を綻ばせた。
 この男は、自分の身がどうなるかなどと、これっぽっちも案じていない。ただひたすら誇り高く、傲岸だった。

「デギャン元帥の軍にいたのだな。君は、知っているか。騎士シュヴァリエ・ユベールと、その弟のことを」
「シュヴァリエ・ユベール?」
「俺の兄だ」

「お前、貴族だったのか!」
男……エドガルドは驚いたようだった。
「貴族なのに、革命軍にいるのか!?」

 憤怒と蔑みの混じった声だった。
 シャルワーヌにはなじみの声色だ。
 母と叔母達も、同じ口調で、彼を責め立てた……。

 だが、男の驚きは、一瞬だった。次にその唇から出てきた声は、驚くほど穏やかだった。
「同じデギャン軍でも、師団によって細かく分かれているんだ。その二人のことは知らない。すまない」

 素直な謝罪だった。今までとはまるで違う態度に、思わずシャルワーヌは相手の顔を見守ってしまった。鋼球のようだった瞳が、幾分柔らかみを帯び、彼を見返している。

「俺は……」
だから彼も素直になった。そうさせるだけの包容力が、今のエドガルドにはあった。

「俺は、君らを尊敬している。国王の為に全てを捨てた、君達亡命貴族を。俺は……」

 亡命はしない、革命軍兵士として国に残る、と言った時の親族の反応が、シャルワーヌの胸に蘇る。


 ……「臆病者め。ユベール家では、戦える者は、みな、王に従い、国の外へ出た。それなのになぜお前は、兄弟や叔父、従兄弟達のように、王に忠誠を誓わないのだ?」
 ……「今からでも遅くない。親族の後を追い、国王の為に戦うのだ。伝統あるユベール家に恥をかかせるな」
 ……「革命軍だと? 気は確かか。お前は、臆病なだけじゃない。恥知らずの裏切り者だ!」


 それ以来彼は、一度も故郷に帰っていない。休暇も取らず、ひたすら、戦闘に明け暮れている。

 シャルワーヌはいつだって、軍の先頭で戦ってきた。兵士たちは彼を尊敬し、ついてきてくれる。だが彼は、故郷から弾かれたままだった。革命軍の将校となったシャルワーヌは、母や親族たちの怒りを買い、孤独に戦ってきた。

 「君はなぜ、国に残ったのだ?」
静かな声が尋ねた。

 シャルワーヌは用心した。当然のことだ。王に従って亡命しなかったことで、彼は、さんざん傷つけられてきた。母を始め、同じ血の通った親族達によって。

「自由平等の革命の精神に共感したからだ」
「他には?」

 有無を言わせぬ口調だった。革命理念への共感というわかり易い大義の下に、抜き差しならない事情があることを見抜かれている。
 シャルワーヌは溜息をついた。

「兵士達は俺を信じてくれる。俺の命令なら、ためらわずに死地に赴く。彼らを裏切ることはできない」

 これも真実だった。
 兵士も仲間の将校達も、勇敢で、決して不正をしないシャルワーヌを信頼していた。指揮官自らが軍の先頭で敵に突っ込んでいくのに、後に続かない兵士などいない。

 しかしエドガルドは首を横に振った。
「嘘だな」
「嘘じゃない!」
「じゃ、こう言おう。まだ他に理由がある」

 冷たく鋭いと思っていた瞳が、思いもかけない優しい光を放って、シャルワーヌを見つめている。

 シャルワーヌは疲れていた。自分ではそのことに気づいていなかったけれど。
 地方貴族はしょっちゅう集まり、狩りをし、踊り、楽しい時間を過ごす。彼は、その団欒の中で育った。従兄弟や若い叔父達は、遊び友達でもあった。

 革命軍に残ることで、彼は寛げる場所を失った。母や伯母から臆病者とそしられた彼は、反対の立場の革命軍将校として、ただひたすら、勇敢であらねばならなかった。
 疲れが溜まって当然だ。

 とうとうシャルワーヌは重い口を開いた。
「俺の姉さんが、王の血を引いているのだ。前の王、ブルコンデ15世の。姉さんは、16世の義理の姉になる」


 父の元へ嫁いできた時、その女性は妊娠していた。ブルコンデ15世の寵姫だった女性は。
 
 婚姻後に生まれた女の子は、王の子だった。彼女は、父の子として育てられた。間もなく王の寵姫だった女性は亡くなり、父はシャルワーヌ兄弟の母と結婚した。そして下の弟が生まれてすぐ、その父も亡くなった。


「兄も弟も国外へ出てしまったら……いったい誰が、姉さんを守るんだ? 王族だというだけで、捕えられて、処刑されるというのに!」

 実際に姉は、逮捕拘束されたことがあった。湿気のひどい暗く不潔な監獄で、彼女は死にかけたという。しかし、なんとか生きながらえ、恐怖政治の終焉と共に釈放された。

 収監中、彼女が処刑されなかったのは、シャルワーヌが監視していたからだ。共和国の将軍として彼は、徐々に実力をつけ、戦果を挙げてきた。いかに横暴な恐怖政治下の革命政府といえど、その彼の家族を処刑することには、二の足を踏まざるを得なかった。

 言い換えれば彼は、姉の為にも、強くあらねばならなかったのだ。
 革命軍の将校として。


 「君は正しいことをした」
 福音のような声が聞こえた。革命は、神を否定したのだけれど。

 シャルワーヌが、一番欲しい言葉だった。この数年間、ずっと待ち望んでいた言葉だ。
 薄汚れたアッシュブロンドの髪に包まれた顔が、柔らかく微笑んでいた。






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