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Ⅰ 砂漠とオアシス

内気な王子の遺したもの

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 ジウ王子はシャルワーヌに恋をしていた……。
 これはもう、間違いのない事実に思われた。

 シャルワーヌと一緒にいるときの、体の異変……かっと上がる体温、痛いほどの胸のときめき、頬の紅潮……。
 確かに、恐怖というには違和感があった。何より、体の底に感じる、あの甘さ。酸味にも近い、遠慮がちな甘さは、言われてみれば、確かに恋だ。

 ひたむきな恋だったのだろう。しかし、報われた形跡はない。体もそうだが、彼の恋には、喜びがなかった。ただひたすら、相手を想うだけの恋。

 無私な思い。幼い、想像だけの愛撫。
 深窓で育った王子であるからこその、夢見がちな美しさだった。

 可愛そうなジウ王子。内気な恋は報われぬまま、彼は魂を失った。残された体には、強い恋心だけが残った。
 魂を失った体は、にもかかわらず、シャルワーヌを慕い続けた。

 だから、俺は失敗したのだ。

 無防備に眠っている将軍を、毒を塗った短剣で傷つけることができなかった。
 剣を持って舞いながら、その剣で、心臓を貫くことができなかった。
 この体に残存したジウ王子の恋心に妨げられて。殺意を漲らせる俺への、必死の抵抗だったのだろう。それだけ、ジウの想いは強かった。俺の剣を鈍らせるほどに。

 だが、相手はあの、シャルワーヌだ。
 おとなしいプリンスの目に、どんなに頼もしく、大人に見えたとしても、所詮、シャルワーヌは裏切り者、革命政府の貴族将校だ。

 この体の元の主が、どんなに恋い焦がれていようとも、俺は、彼を憎んでいる。

 それなのにラルフは、おかしなことを言った。
 ……「シャルワーヌを殺そうなどとは、エドガルドは夢にも思っていなかったはずだぞ」

 そんなことはない。俺は彼を殺したい。オーディン・マークスを殺す第一歩として。
 それにラルフの言い方は、まるでエドガルドだった俺が、シャルワーヌを知っていたみたいじゃないか。

 俺には、エドガルドだった頃の、シャルワーヌの記憶がない。
 国境越えの際、革命軍国境警備のシャルワーヌ隊に見つかった辺りまでは覚えている。状況からみて、間違いなく彼らに捕縛されたはずだ。しばらく、監禁されていたことと思う。だって俺は、一緒に国境を越えた同志たちに、最後まで、合流できなかった。

 次の記憶は、蜂起の鎮圧されたシュエル地方に飛ぶ。革命軍の蜂起鎮圧隊に捕えられた同志たちを救おうと、命がけで走り回っていた頃だ。
 その過程で、俺はラルフと出会った。ようやく助け出した王党派の死刑囚達を、彼に託したことは、よく覚えている。

 これは、稀な成功例だった。つまり、同志の救出に成功することは、滅多になかった。
 シュエル地方では、敗れた王党派に対し、過酷な刑罰が処された。必死で活動したにもかかわらず、救えたのは、ほんのわずかだった。その時の無力感と、あまりに悲惨な同志たちの処刑に、記憶に混乱が生じているのだと思う。


 そういえばエドガルドだった頃、ラルフと、シャルワーヌについて語り合った記憶がない。語り合ったことがないのは、ラルフとだけではない。俺はシャルワーヌのことなど、思い出しもしなかった。

 それなのになぜラルフは、シャルワーヌを知っているのか。海で戦っていたラルフが、敵の、国境警備の山岳部隊など、知る筈もないのだ。

 いずれにしろ、彼らに捕まったせいで、俺の活動は、著しく制約された。あのまま、同志達と国境を超えていたならば、もう少しマシな活動ができたはずだ。ひょっとして、蜂起軍勝利の目もあったかもしれない。
 あるいは俺も、彼らと一緒に死んでいたかもしれないが。

 国境警備隊が、なぜ俺を逃がしたかは、わからない。いや、ひょっとしたら、俺は、脱走に成功したのかもしれない。

 きっとそうだ。

 いずれにしろ、国境の山岳地帯で足止めされたことが問題だった。仲間とはぐれた俺は、思うように戦うことができず、それゆえ、司令官であるシャルワーヌに対する大きな憎しみが生まれた。

 これは、ジウに転移してからのことだ。エドガルドだったころは、そこまで突き詰めて考える余裕がなかった。

 エドガルドの時からずっと抱いているのは、ユートパクス革命軍、総司令官であるオーディン・マークスへの憎しみだ。士官学校の同窓生でもある彼は、敵のタルキア兵の中に俺を認めた。オーディンは砦を爆撃し、エドガルドだった俺を殺した。

 シャルワーヌは、そのオーディンの有能な部下だ。遠征軍の第二司令官ともいわれている。彼自身も、オーディン・マークスに心酔している。
 シャルワーヌへの殺意と憎しみは増すばかりだ。





 あれから一度も会うこともなく、ラルフとアンゲル兵の一行は旅立っていった。
 途中、砂漠の水場を案内するとかで、現地の有力者が同行した。水場の所有者に話をつける為だという。

 ユートパクス兵の付き添いを、ラルフは馬鹿丁寧に断っていた。
 シャルワーヌがラルフを嫌うように、ラルフもシャルワーヌを嫌っているようだ。それでも、彼のことを高潔で有能と言い切ったラルフに、俺は矛盾を感じた。


 月が二回、満ちるまで待つ、と、ラルフは言った。上ザイードからマワジまで、2週間はかかる。そこからうまくラルフの手下に会えたとして、マワジからイスケンデルの港までだって、何日かはかかるだろう。

 あまり猶予はない。








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