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Ⅰ 砂漠とオアシス

キャラバン隊の到着

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 オットル族の族長は、本当に年老いていた。顔は皺で覆われ、日に焼けた肌は、なめした皮のようだ。それでも、彼は矍鑠かくしゃくとしており、片膝立てて座り、張りのある声でしゃべっていた。
 ザイード語だったので、俺には、何を言っているのかわからなかったけれども。

 彼の言葉は、同席した通訳が訳した。どうやら、聖地への巡礼の帰りに立ち寄ったらしい。外には、大規模なキャラバン隊が待機していた。


 「****」
 何か言って、族長は、布でくるんだ包みをそっとシャルワーヌの方に押し出した。
 無言で、シャルワーヌが押し戻す。
 それをものともせず、族長が再び押し付けてくる。が、今回もシャルワーヌはそれを族長の手元に戻した。

 結局、族長は包みを自分の供回ともまわりの者に託した。何事もなかったかのように、シャルワーヌに向き直り、何か言った。通訳によると、首都との往来について相談したいことがあるという。間もなく3人は、別室へ移動していった。


 「品位ある侵略者。公正な配分者」
 静かになった部屋の隅から、タルキア語が聞こえた。今まで気がつかなかったが、そこには黒い肌の少年がいた。

「君は?」
俺は尋ねた。
「エスム。族長の息子だ」
あの年寄りの息子かと、驚いた。孫か、ひ孫くらいに見える。
「18歳だ」
 俺の様子を見て、エスムが白い歯を見せた。
 再びびっくりした。この民族は、本当に若く……というより、幼く見える。年端のいかない少年のように見える彼は、俺より2つも年上だ。

「ウテナのジウ」
 俺は自分の名を告げた。エスムは片眉を吊り上げた。
「総督の愛妾か?」
「違う!」

 イサク・ベルといい、どうしてどいつもこいつも……。
 エスムが意外そうな顔をする。

「なぜ怒るのだ。彼は、偉大な支配者だ。君は、彼の手がつかないことを嘆くべきだ」
「……」
呆れてものが言えない。

 戯言に応じる必要はないと判断し、俺は話を戻した。
「君は言ったな。『品位ある侵略者。公正な配分者』と」
 同じ言葉を、前にも聞いたことがある。確か、ベリル将軍が話していた。
「それはどういう意味だ?」

「言葉通りだ。彼を讃えている」
「だが、シャルワーヌ将軍は、君らの征服者だろう? 彼は君の部落を制圧し、税を吸い上げている」

黒い大きな瞳が、俺に向けられた。
「その税の使い道を、君は知っているか?」

「ユートパクス軍の維持費になるんだろう? 彼らの食料とか、軍備費とかに消えるんだ」
 大抵の軍は、占領地からの税で維持される。

「違う」
きっぱりとエスムは否定した。
「去年、俺たちが支払った税は、俺たちの村の道路を整備するのに使われた。今年は、船を買うそうだ。ルビン河を航行して、大量の荷物を運べるように」

 思いがけないことだった。


 同じユートパクス軍の、オーディン・マークスの所業を、俺は思った。ザイードの首都に駐屯していた彼は、付近のオアシスの村々から吸い上げた税で、豪奢な生活を送っていた。やがて軍備を整え、東のタルキア帝国への遠征を実行した。

 その間、シャルワーヌの軍は、ザイードの奥地で、ムメール族を相手に戦っていたことになる。

 前世の俺は、アンゲル軍と共にタルキア軍に加勢し、オーディン・マークス軍と対峙していた。だから上ザイードでシャルワーヌ軍がどう戦い、その後、どういう統治をしてきたか、まるで知らない。そのことに、今更ながらに気がついた。


「シャルワーヌ将軍は、君らから吸い上げた税を、君らの為に使っているというのか?」
 信じられない思いで、俺は繰り返した。エスムは大きく頷いた。
「税とは、本来そうあるべきだと、彼は言った。支払った民の為にこそ使われるべきだと。村の長老たちは驚いていた」

 それはそうだろう。千年以上もの間、彼らは搾取され続けてきたのだから。しかもタルキア帝国とムメール族から、税を二重取りされていたのだ。

「シャルワーヌ将軍は、公正な支配者だ。俺達は、シャルワーヌ将軍の支配を歓迎している。それに、ユートパクス軍が監視しているから、ムメール族が俺たちの村を襲ってくることもなくなった。今では村から村へ、安心して移動できる」

 隣村へ行く。そんな簡単なことさえ、かつてはムメール族の襲来に怯えずにはできなかったのだと、エスムは語った。
 前世で得た情報とのあまりの違いに、俺は戸惑いを隠せない。

「同じユートパクス軍の、オーディン・マークス軍は、そうではなかったぞ。彼らは略奪し放題だった」

「オーディン・マークスは、悪魔だ」
きっぱりとエスムは言い切った。
「聖地ではみんなそう言っていた。彼は神の存在を信じない。そして、たくさんのタルキア兵を殺した。降伏したタルキア軍の兵士を、まるごと処刑したのだ。その上、味方の兵士達をも大量に殺戮した」
「なんだって?」

 俺は驚いた。
 ユートパクス兵の大半は、徴兵された市民兵だ。プロの傭兵ですらない。彼らは普通の人々だ。それを……殺した?

「流行り病に罹った者を、戦場に置き去りにした。あるいは船に乗せて沖へ流し、あるいは毒を渡した。それを使って自ら死ねと。軍に疫病を流行させない為に。オーディン・マークス自身が生き延びるために」
「……」

 言葉も出なかった。


 前世の俺が立てこもったエイクレ要塞を、ユートパクス軍は包囲していた。爆撃を続けていた兵士達が、そんな過酷な状況にあったとは。
 彼らの戦闘の裏側で、恐ろしい流行り病に罹った兵士らは見捨てられ、戦友の手で殺されていた。軍を維持し、戦いを継続させるために。


 「同じユートパクス軍の侵略を受けながら、上ザイードが平和なのは、総督がシャルワーヌ・ユベールだからだ。上ザイードは、シャルワーヌ将軍に護られている。蛮族ムメールの軍隊から。そして、総司令官オーディン・マークスの支配から」


 意外な気持ちで、俺はエスムの言葉を聞いた。
 上ザイードの平和を、あのシャルワーヌが守っている? ムメールから、そして、総司令官オーディン・マークス自身から。

 ……でも彼は、オーディンを愛している。


「どうした?」
 エスムが怪訝そうに俺を見ていた。いつの間にか俺は、胸を抑え、床にくずおれていた。

「な、なんでもない」
慌てて顔を上げる。自分でもわけがわからなかった。

「さっき、お前も見たろう? シャルワーヌ将軍は、賄賂を受け取らない」
「賄賂?」
「父が差し出した。だが、彼は拒否した」
「ああ!」

 不可解な布の包みが、シャルワーヌと族長の間で行き来していたことを、俺は思い出した。最終的に族長はシャルワーヌに受け取らせることを諦めていたが、あれは、賄賂だったのか。

「港町で父は、女奴隷を買った。若く、見た目も大層美しい。父は彼女を、シャルワーヌ将軍に献呈したいと言っていたが……」

エスムはじろりと俺を見おろした。
「彼には少年の方が良さそうだ」

よくわからないけれど、ひどく不快に感じた。それで俺は言い返してやった。

「シャルワーヌ将軍は賄賂を受け取らないのではなかったか」
「知らなかったか。彼はハーレムを囲っているぞ。自分で奴隷も買っている」
「は?」

 驚いた。シャルワーヌ将軍が、ハーレム?
 再び、胸が苦しくなった。シャルワーヌと一緒の時に感じるような、どこか甘さのある感情とは違い、刃物できりきりと切り裂かれるような痛みだ。

「だからてっきりお前は、彼のハーレムの一員だと思ったのだ」

 胸の動悸が治まらない。目が眩み、しゃがんだまま、前へつんのめりそうだ。だが、エスムの前で倒れたくない。

 幸いなことに、そこへ、通訳が顔を出した。暑くならないうちにキャラバン隊は出発するという。
 彼はまた、シャルワーヌが館に滞在するよう勧めたが、ともが多すぎて入りきれないと族長が断ったのだ、と伝えた。






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