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Ⅰ 砂漠とオアシス

ヘビのような冷たい目

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 「痛いっ!」
腕を引かれる力の強さに耐えきれず、俺は思わず声を上げた。

「そうか。痛いか」
前を向いたまま、俺を引きずり出した男は言った。土着の言葉ではない。タルキア語だった。
「だが、あいつらは痛いどころではなかろうよ」

 その時、屈強な男たちの一団がやってきた。手に手に剣を持っている。稽古でもするのか。彼らとすれ違う時、僅かに汗のにおいがした。

 俺の腕を握る男の手に力が入った。

「くっ」
馬鹿にされるのが嫌で、痛みに堪える。

 目に涙が浮かんできた。気を紛らわせようと、遠くに視線を飛ばした。色とりどりのテントが張られていた。深緑と紺色のテントの間からそれは見えた。

「……大砲?」
 見えただけでも、四基、並んでいた。
「ブドウ弾砲だな」
男がつぶやく。そこだけアンゲル語だった。

 アンゲル語……。ラルフ・リールが使っていたのと同じ言語だ。懐かしい、海賊。破天荒な男。

 男は、アンゲル語の「大砲」が俺に通じたと思わなかったようだ。各国の王族が、教養として教え込まれるのはユートパクス語だ。ウテナの王子が、アンゲル語を習得する機会はない。ましてや砲弾の名称など、普通にしていたら知る筈もないのだから無理もない。

 何事もなかったかのように、男は、砂の上を歩き続けた。腕を掴む万力のような力も、相変わらずだ。

 各国の王族が、教養として教え込まれるのはユートパクス語だ。ウテナの王子が、アンゲル語を習得する機会はない。ましてや砲弾の名称など、普通にしていたら知る筈もない。
 

 一際立派なテントが見えた。折からの涼風に、入り口の布がはためいている。

 男は、垂れ幕の間から俺を中に押し込んだ。自分は入ろうとしない。テントの内側に向かい、胸に手を当て恭順の仕草をしてから、立ち去っていった。

 中は、がらんとしていた。豪奢な絨毯の上には、クッションにもたれた、白いカフタン(ガウン)を身にまとった若い男が一人、長いキセルをふかしているだけだ。

「ウテナ王子ジウ」
彼は言った。
「そうだ。あんたは?」
俺もタルキア帝国の言葉で返す。
 ふっと男は笑った。
「イサク・ベル」
「ベル……」

 ベルというのは、ムメール族の長を表す。

 軍事力を誇るムメール族は、タルキア帝国から、上ザイードの支配を認められている。砂漠を移動しながら、あちこちのオアシスの村から、税を取り立てている。
 従って、彼らの長であるベルは、地方長官のようなものだ。大抵は、一族の長老が務める。

 だが、このイサクという男は、随分若かった。ジウとしての俺よりは上だが、シャルワーヌや、ラルフ・リールよりも若く見える。


「座るがよい」

男は、紐を複雑に編んだ茣蓙ござのようなものを煙管きせるで指し示した。覚悟を決めて、俺は、それに腰を下ろした。男を見習い、胡坐あぐらを組む。

 ぷかりと、煙管から煙が上がった。
「お前か。ユートパクスの総督が執着しているのは」
「執着?」

ぞっとした。シャルワーヌが俺に執着している? あり得ない。あいつは俺を、馬鹿にしている。剣を振り回すことも馬を乗りこなすこともできない、ひ弱なジウ王子を。

「俺の兵士らが見た。彼がお前を同じ馬に乗せて砂漠を走っているのを」
「あれは!」

 臆病な俺の馬が暴れ、駆けつけてきた将軍の馬が、止まれなかったからだ。
 あの後、彼はひどく不機嫌だった。それから顔を合わせる機会もないうちに、首都へと出かけてしまった。

 今日、マワジから帰ってきた彼を久しぶりに見た。ひどく機嫌が良さげだったけど、それは、部下たちに囲まれていたからだ。
 彼は俺のことなど、すっかり忘れているだろう。

 ……オーディン・マークスに会って。

 密やかな思いが身の内を走った。俺は頭を打ち振って、不可解な心の乱れを打ち消した。


「男同士とて、恥ずることはない」
 俺の様子をじっとみつめていた男が言った。イサク・ベルと名乗った男の様子は、忌々しいくらい鷹揚だった。
「しかし、タルキアの男どもには言わぬことだ。やつらはお前を八つ裂きにする」
「っ!」

 タルキア帝国が、同性愛に厳しいことは、前世の知識で知っていた。同性愛だけではない。女性に対する蔑視も歴然としている。


 イサクが、顎をしゃくり上げた。おもむろに尋ねた。
「もちろん、向こうが上なのであろう?」

「違う!」

 シャルワーヌ将軍との関係を疑われたことは、衝撃だった。まずはそこを否定した。だって俺と彼との間には何もないから。第一、彼は俺の敵だ。

 浅黒い顔に、意外そうな色が浮かんだ。

「では、向こうが下か?」 世の中には意外なことがあるものだ」
「下?」
「うむ。そういうことなら、砂埋めの刑は、ユートパクスの将軍の方だな」

 砂埋めの刑とは、砂に埋めて、石や岩などをぶつけて殺す過酷な刑のことだ。男同士の恋愛では、受け身の方が罪が重い。弱いと見做されるからだ。

「違う!」
 腹を立て、一際強く否定した。
 上か下かはともかく、俺は、シャルワーヌとの間の関係を認めてはいない。

「違う?」
 不審そうにイサクは首を傾げる。

 どうしたらこいつに信じてもらえるのだろう。俺達の関係を。
 もはや真実を晒すしかない気がした。だが、俺の目的を話すのは、危険ではないか? 

 いや、そもそもムメール族は、ユートパクスの敵だ。もし万が一、イサク・ベルがユートパクス軍と接触する機会があったとしても、ムメールのベルである以上、軍は彼の言うことなど信じまい。

 ジウとして覚醒してからずっと胸に秘めていた思いを、堂々と俺は言い放った。

「俺と彼は敵同士だ。俺は、彼を殺そうと計画している」

初めて、イサクは驚いた顔になった。
「お前が?」
だが、何か思いついたらしく、一人、頷いた。
「なるほど。ウテナはユートパクスに占領されたのだったな」
「……そうだ」

 前世のことは話さなくてもいいだろう。話したところで信じてもらえるとは思えない。

「そうか。なよなよして見えるが、お前は意外と芯があるのだな」
イサクは感心したようだった。
「なよなよしているは余計だ」
すかさず言い返す。

「だが、お前に、それができるかな」
彼は破れた腕から覗く俺の腕を見ていた。ひどくきまりが悪い。それでも言わずにはいられなかった。

「馬鹿にするな。これでも鍛えている」
「鍛えてその程度か」

 それを言われると辛い。組んだ両脚も細く頼りない。筋肉が全くつかないのだ。持久力も乏しい。ジウ王子の体は、本当に鍛えがいのない体だった。


 イサクは、少しの間、俺を見つめていた。三白眼に近い、冷たい眼差しだ。さっき俺を襲ったやつらもそうだったが、砂漠という厳しい環境に生きる彼らには、一切の妥協というものがない。それが、目つきの冷たさに現れている。

 組んでいた足を解いて、彼は立ち上がった。ためらいもなくテントの外に出ていく。
 すぐに戻ってきた。

「逃げなかったのか」
「こんなに短い時間で逃げられるものか!」

「弱い奴だ」
言いながら、手にしていた箱を差し出す。
「これをやろう」

「なんだ、それは」

問うと、イサクは、ゆっくりと箱を開いた。中には、宝石で縁取られた、美しい小刀が納められていた。

「お前にユートパクスの将軍を刺し殺す力はない。この小刀の刃には、毒が塗ってある。牛一頭、楽々殺せる毒だ」

 思わず俺は後じさった。
 薄く、イサクは笑った。

「鞘を払う時、刃に触れないように気を付けるがいい。小さな傷であっても、すぐに全身に毒が回る。この毒には、解毒法はない。お前が、ユートパクスの将軍の寝屋ねやに誘われた時、」

「それはない!」
断固として否定した。

 傷つけるだけで相手を殺せる小刀は、確かに魅力的だった。だが、シャルワーヌとの間を誤解されたままというのは、腹に据えかねた。

 俺の抗議に少しも応えた様子もなく、イサクは繰り返した。

「いずれ誘われる」
「その時は、断る!」
「小刀は要らないのか?」

 前世で軍人だった俺は、シャルワーヌを斬り殺すことばかり考えていた。毒を用いるという手法は、思いつきもしなかった。だが、考えてみれば、それは良い思いつきだった。なにしろ、ジウ王子の体はか弱い。

 ただ、毒というのは入手が難しい。毒物を取り扱う知識もない。今、ムメール族の長が毒の塗られた小刀をくれるというなら、問題は一気に解決する。

「くれ」

 シャルワーヌを殺す為なら、何だって欲しい。
 ところが、俺が手を伸ばすと、イサクは、小刀を背後に隠した。

「但し、条件がある」
「条件?」
「俺の妾*になれ」
「メカケだとぉーーーーーっ!?」

激しい怒りが全身を駆け巡った。イサクは涼しい顔をしている。

「正妻はいるのでな。俺は、お前の忠誠の証が欲しい」

 忠誠の証なら、盃を回すでも、血判状でも、他に何とでもやりようはある。
 イサク・ベルは首を横に振った。

「ムメール族は、血の繋がりしか信じない。お前との間に、血の繋がりはない。だったら、お前を所有するしかない」
「所有?」

 むっとした。俺は、誰かの持ち物になる気はない。

「体を繋げるのだ。一度体を繋げたら、俺への忠節を永遠に忘れられないようにしてやる」

 ヘビのような感情のない目が、俺をじっと見据えている。
 ぞっとした。








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*妾という言葉は差別語という見方もありますが、これは小説であり、また、そもそも不条理を表している文脈なので、ご寛恕を願います






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