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Ⅰ 砂漠とオアシス

シャルワーヌ・ユベールの帰還

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 長い遠征から帰り、シャルワーヌ・ユベールは、傍らの留守官に剣を預けた。彼は、ユートパクス軍の将軍で、ザイード国の奥地、ここ上ザイード支配を任されている総督だ。

「いかがでしたか、オーディン・マークス総司令官殿の攻撃は」
剣を受け取り、留守官が尋ねた。

「残念ながら、俺が行ったときには、既に戦闘は終わっていた」

 ユートパクス軍の総司令官、オーディン・マークスの進撃は、いつも電光石火だった。相手の隙を衝き、素早い勝利を勝ち取る。
 今回の戦場、ダミヤンは、上ザイードから遠く離れた南東の外れだった。馬を飛ばしても、10日はかかる。

「あとから数えると、ここに召喚命令が届いた時点で、すでに戦闘は始まっていたのだ。召喚状がもう少し早く届いていれば!」

 シャルワーヌが嘆く。彼は、オーディン指揮下の戦闘に参加できなかったことが、よほど悔しかったようだ。

「ユベール将軍がここ上ザイードを出発されてすぐ、ダミヤン戦では、わが軍勝利だったと、北部戦線が伝えてきました。将軍が参戦されるまでもなかったのですよ」

「鮮やかな勝利だったと聞く」
シャルワーヌはため息を吐いた。
「オーディン・マークス総司令官自らが、指揮を取られたのだ。それしかなかろう。間近で彼の采配を見られなかったことが、返す返すも残念でならない」

「さすが、常勝将軍ですね!」
留守官の声が弾む。


 長く続いたウアロジア大陸での革命戦争を、ユートパクス勝利で締めくくったのは、オーディン・マークスだった。彼はまだ、負けたことがないと言われていた。それでつけられた二つ名が、常勝将軍だった。

 周辺の国々を平らげたオーディンは、対岸のザイード国へと遠征に出掛けた。彼の不敗神話は、海を渡ったここ、ソンブル大陸でも続いていた。

 ソンブル大陸で、オーディンの不敗神話の大きな柱となっているのが、シャルワーヌ・ユベール将軍だった。ザイードの奥地を蛮族の手から取り戻し、住民を解放したのは、彼だ。その功績を称え、オーディンは彼を、上ザイードの総督に任命した。

「我々は、負けるわけにはいかないのだ。人はみな、平等だ。誰かが誰かの支配下にあるなどということは、あってはならない。その為に、我々は戦っているのだ」

 他の将軍が言ったのなら、この言葉は嘘くさく聞こえただろう。だがシャルワーヌが言うと、それは真実に他ならなかった。

 彼は、絶対に賄賂を受け取らなかったし、不正をしなかった。部下にも許さなかった。それは時として、兵士たちの不満を買った。住民から奪わなければ、軍が生き残れない時だってあったのだ。

 それでも、彼は、略奪を許さなかった。全てを兵士達と分け合い、自分は一番最後に彼らの食べ残しを食べ、飢えを凌いだ。

 ついには住民たちの信頼を勝ち得ることができた。ここ上ザイードの総督に任命されてからも、彼の統治は穏やかに受け入れられている。


 シャルワーヌは、暑い気候にふさわしい、ゆったりとした服に着替え始めた。

「留守中、変わったことはなかったか?」

「特には。ムメール軍も、砂漠の果てでおとなしくしていました」

「あいつらにはもう、俺らと戦う気力はないよ」
含み笑いをシャルワーヌは漏らした。

 ムメール軍は、上ザイードに進軍したシャルワーヌの師団が戦った武装集団だ。武器を持って移動し、あちこちの住民達から、強制的に税を取り立てる。彼らは、宗主国(税を取り立てるなどの支配国)タルキア帝国から、一応の支配権を認められていた。

 つまり、ザイードはじめ、ソンブル大陸の住民は、蛮族ムメール軍とタルキア帝国、双方から税を二重取りされていたことになる。これが、この大陸が貧しく、文明化できなかった大きな理由だった。

「なんとか、ザイードの民を啓蒙しなければ。税は、住民の為に使われるものだというころを、教え込まねばならない」

「まずは、ひとまず、お休みになられることです」

 留守官は、シャルワーヌの身を心配していた。戦闘に参加することはなかったとはいえ、慣れない土地での長い移動は、上官の体力を確実に奪っていた。少し痩せたようだと、副官は案じた。なんにしろ、この上官は、自分の身に無頓着すぎる。任務とあらば、どんな無茶でも平気で実行する。自分の体が、機械か何かだと思っているようだ。

「俺は、何もしないでいるということが苦手なのを、君も知っているだろう?」

 もちろん、留守官は知っていた。シャルワーヌのあまりの精力的な活動に、幾人もの副官が悲鳴を上げていた。今回も、同行していた副官のサリは、長時間の砂漠の横断に疲れ果て、別室で伸びている筈だ。

「ただでさえ、総司令官オーディン・マークスの戦闘に参加できなかったのだ。俺は今、有意義な仕事をしたくてたまらない」

「そういえば、ジウ殿下が意識を取り戻されました」

 上官の意識を、なんとか戦闘と統治、厄介なこの二つの任務から遠ざけようと、留守官は口にした。
 案の定、シャルワーヌの顔に、安堵の色が浮かんだ。

「それは良かった。これで、ウテナ王に顔向けができるというものだ」
「はい。我々は、かの国から、強引に王子を略取してきましたから」

「略取はひどいな。国王自らが差し出されたのだ。我々への忠誠の証として」
「捕虜とも言いますね」

 留守官に指摘され、シャルワーヌは苦笑した。


 去年、オーディン・マークスに率いられ、ユートパクス軍は海を渡り、対岸のザイードに侵攻を開始した。
 目的は、ザイードをタルキア帝国の支配から解き放ち、豊かなその農産物を手に入れる為だ。また、ザイードは、メドレオン海貿易の要衝でもある。

 メドレオン海の貿易は、島国アンゲル国が牛耳っていた。ユートパクスの宿敵、アンゲルを叩くには、制海権を手に入れる必要があった。

 アンゲル艦隊の隙を突き、メドレオン海を航行中、ユートパクス軍は、小さな島国、ウテナ国に上陸、占領した。ザイードを占領した場合、ウテナは、ユートパクスとの中継地として、手頃な位置にあったのだ。

 のんびりとした島国は、ユートパクス軍の敵ではなかった。実際に上陸したのは、シャルワーヌの師団だけだった。にもかかわらず、ろくに砲撃する間もなく、ウテナは降伏した。ユートパクス軍と政府への絶対服従の証として、ウテナ王は長男ジウ王子を捕虜として差し出した。

 当初ユベール師団(シャルワーヌの師団)は、この捕虜を、司令部に引き渡そうとしたが、婉曲に拒否されてしまった。遠征地到着前に、余計なお荷物を引き受けたくないというのが、総司令官オーディン・マークスの本音だったようだ。仕方なく、ウテナ王子ジウは、ユベール師団で預ることになった。

 案の定、というか、しばらくして彼は、原因不明の高熱を出し、人事不省に陥ってしまった。総司令官オーディン・マークスの要請に応じ、シャルワーヌがダミヤンへ赴く直前のことだった。


 「あ、ユベール将軍、どちらへ?」
留守官が慌てた声で尋ねた。さっさと着替え終わったシャルワーヌが、部屋を出て行こうとしたのだ。

「どこって、ウテナの王子の尊顔を拝しに行くに決まってる」
めんどうな仕事はさっさと片づけたいとばかりに、シャルワーヌは答えた。

 彼は、ウテナの王子が苦手だった

 シャルワーヌは、8歳の時から、全寮制の士官学校に入っていた。学校を卒業したらすぐに入隊した。彼の身の回りは常に、頑強な男どもばかりだった。

 箱入りで育った上に、線が細く色白で美しい王子をどう扱ったらいいか、シャルワーヌには、まるでわからなかった。

「ともかく機嫌を取っておけば、間違いあるまい? なにしろ、ウテナ王からの大事な預り物だからな。万が一にも、ユートパクス軍の悪い評判を伝えられたら困る」

「それが……」
留守官が言い澱む。シャルワーヌは右眉を吊り上げた。
「何か不都合でも?」

「ジウ王子におかれましては、長い昏睡から覚めたばかりで、どうやら混乱しておられるようで。自分が誰かもわからず、侍従が困り果てています」

「だが、元気は元気なのだな?」
「ええ。食欲などは、以前よりあると、その侍従が申しておりました」

「食欲さえあるならば、問題はあるまい。どれ、様子を見て来よう」

 捕虜の憂鬱とか、目覚めたばかりで敵方の総督と面会する精神的な負担とか、そうした意見を留守官が述べる間もなく、シャルワーヌ・ユベールは、大股で部屋から歩み出て行った。






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