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9 代理結婚
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1810年、3月。
ウィーンのアウグスティナー教会で、オーストリア皇女マリー・ルイーゼとフランス皇帝ナポレオンの、代理結婚式が行われた。代理結婚とは、新郎が参加せずに、花嫁の故国で行われる儀式である。
花婿の代理は、叔父のカール大公が勤めた。これは、ナポレオンからの依頼だった。
アスペルンで、ナポレオンの不敗神話に初めて汚点をつけた軍人。仇敵カールに、ナポレオンは、自分の代理を頼んだのだ。
鐘の音を合図に一斉に礼法が鳴り響く中、マリー・ルイーゼは、叔父にエスコートされ、祭壇に登った。
*
フランスからの特命大使ベルティエは、オーストリア若き皇妃、マリア・ルドヴィカの態度を測りかねていた。
ナポレオンとオーストリア皇女マリー・ルイーゼの代理結婚が、無事執り行われたばかりの祝宴である。
フランス使節団に対して皇女は、ナポレオン美術館について尋ねたり、ハープやカドリール(ダンス)を習いたいと申し出たり、新生活を楽しみにしている様子が窺えた。
更に彼女は、皇帝陛下の要望に添いたい、とまで言い切った。
素直な女性なのだと、フランス側の使者達は感激した。
皇女はいい。
だが、わからないのは、皇女の義母、マリア・ルドヴィカの態度だ。
今、皇妃は、代理結婚式の祝宴の席上で、フランス皇帝の個人的な生活習慣を、次から次へと話題にしている。そのさまは、まるで、ナポレオンのアラを探すが如くであった。
同じテーブルに、ベルティエもついていた。この結婚の特例大使を担うベルティエは、古くからのナポレオンの腹心で、彼の影ともいわれる存在である。
しゃべりまくる皇妃の傍らには、カール大公がいた。元軍人で、オーストリア軍司令官だったカール大公は、必死になって、軍事問題に話題をそらそうとしていた。
……カール大公は味方だ。
ベルティエは考えた。
……わが陛下は、彼を信頼している。
ヴァグラムの戦いで、彼は怪我を負ったという。だが、こうして食事会に出席しているのだから、その怪我は、軽いものだったのだろう。
敗戦後、即座に彼は軍を辞し、全ての役職からも退いた。
……プライドを傷つけられたか。しょせんは、大公。
やや侮蔑の色をもって、ベルティエは考えた。
ベルティエの心中など知らず、あいかわらずカールは、軍人時代の話ばかりしている。それも、息継ぐ暇なく、次から次へと。隣で皇妃が、所在なげにパンをつまんでいる。
……まるで、皇妃に喋らせまいとしてるようだ。
ベルティエは思った。
それにしても、皇妃の態度は不可解だった。
なぜそんなにも、皇帝の私生活を知りたいのか。
……ひょっとして。
ベルティエは考えた。
……皇妃は、義理の娘に、嫉妬しているのでは……。
マリア・ルドヴィカは、義理の娘マリー・ルイーゼより、4つ上だ。彼女の夫は、ナポレオンより1歳上。
どちらも、20歳近い年の差婚である。
……フランツ帝は、随分老けて見えるからなあ。
ベルティエは慨嘆した。皇帝フランツが老けて見えるのは、その大半は、ナポレオンのせいなのだが、彼はそこまで気が回らない。
だが、彼の主とて、若い頃のまま、というわけにはいかない。最近腹が出てきたと指摘され、ダンスのレッスンを始めたのだが、すぐに音を上げたという。
……だがまあ、フランツ帝よりマシだ。我らが皇帝は、戦争を勝利に導く傍ら、ポーランドの婦人を孕ませたのだから。
反面、皇妃とフランツ帝の間には、子どもはいない。
……気の毒に、皇妃は満たされておられないのだな。
ベルティエはひとり、頷いた。
……だから、義理の娘の素晴らしい結婚に、嫉妬しておられるのだ。
それが誤解だったとベルティエが悟ったのは、皇女のフランスへの出立の時だった。
皇妃が、号泣したのだ。
「永遠の時の流れから比べれば、人生は短いものよ。だからちょっと我慢していれば、すぐに終わるから」
涙を拭き、マリア・ルドヴィカは言った。
初夜のことを指したものであろうか。
言葉の真意はわからないながらも、マリー・ルイーゼも、泣きながら頷いていた。
その日は朝から雨が振り、風の強い日だった。
マリー・ルイーゼはカール大公に手を引かれ、馬車に乗った。
出発のラッパが響き渡る。
長い馬車の列を、多くの市民が見守っていた。
「Gott! erhalte Franz den Kaiser,
(神よ、皇帝フランツを守り給え、)」
市民の中から歌声が沸き起こった。重々しい調べである。制定されてから13年の、オーストリアの国歌だった。
「人食い鬼への人身御供だ」
「ミノタウロスの餌食になりに行くんだ」
人々はささやきあった。
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