上 下
3 / 28

3 出会い

しおりを挟む
 初めて彼に会った時(それは、彼女がF・カールと結婚して、オーストリアに嫁いできたときのことだ)、彼は、13歳だった。ゾフィーより、6つ、年下だ。


 「……あの子は?」
バイエルンから嫁いできたゾフィー大公妃は、隣のF・カール大公の肘を掴んだ。

 ゾフィーに肘を掴まれ、F・カールは、危うく、グラスに入ったワインをこぼしそうになった。
 妻の目線の先では、金色の髪の少年が、バイエルンの貴族たちと歓談していた。

「ああ、あれ。ライヒシュタットだよ。フランツ……つまり、皇妃の言うところの、『フランツェン』だ」
「フランツェン?」
「うん。パルマにいる姉貴の、息子」
「マリー・ルイーゼ様の? あっ!?」
「そうだ。彼が、ナポレオンの息子だ」

 それは、バイエルンでも有名な話だった。
 人喰い鬼に嫁いだ皇女と、ウィーンのとばりに、厳重に隠されたその息子の物語は。

 ゾフィーは、喰い入るように、少年を眺めた。
 今宵の客人を相手に、少年は、如才なく会話を続けている。時折、客人達が、楽しげに笑う。
 何を話しているのか、ここまでは聞こえてこない。だが、少年が、客を楽しませているのは、明らかだった。
 時折、少年自身も微笑む。だがその笑みは、一時的で、儀礼的なものだった。
 彼が、少しも楽しんでいないことに、ゾフィーはすぐに気がついた。

 ……私と同じだわ。
 実のところ、F・カールはゾフィーの好みではなかった。
 彼女の夫は、あまりにも地味だった。口が重く、何を尋ねられても、はかばかしい返事を返さない。。
 実際、初めて顔を合わせた時は、軽く失望したものだ。

 一方、ゾフィーは、「バイエルンの薔薇」とも謳われた、評判の美姫である。彼女の肖像画は、異母兄ルートヴィヒ1世の造った「美人画廊」に飾られたほどだ。また、頭の回転も早く、決断力に優れていた。

 ゾフィーの実の両親でさえ、この結婚には気乗りが薄かった。

 実際にウィーンに来てからも、彼女は、あまり楽しめなかった。ウィーンの宮廷は、彼女には、堅苦し過ぎた。バイエルンの、自由な雰囲気が、懐かしかった。

 だがすぐに、彼女は、自分を諌めた。

 「桁外れの成功」
 F・カール大公との結婚を、異母姉……ゾフィーの前にオーストリア皇帝に嫁いだ、皇妃カロリーネ・アウグステ……は、こう評している。

 オーストリアは、長男の即位が原則だった。
 今上帝の長男フェルディナンドは、いつもにこにこ笑っていて、宮廷では愛され、大切にされている。しかし、彼は体が弱く、その政権が、長く続くとは思えなかった。また、結婚も難しいし、子どもをなすことも不可能だろうと、医師団は危惧していた。

 つまり、オーストリアの皇帝の位は、次男のF・カール大公……ゾフィーの夫……に転がり込む可能性があるのだ。そして、その次の皇帝は、確実に、F・カールの子……彼女の産む息子が、即位する。

 そう。
 ゾフィーは、この国オーストリアの皇帝を産む為に、はるばるバイエルンから、嫁いできたのだ。

 年老いた皇帝の妻となり、子をなすことが望めない異母姉あねカロリーネからみたら、異母妹いもうとゾフィーの結婚は、「桁外れの成功」以外の、なにものでもなかろう。


 「おおい、フランツ」
夫が、呑気な声を出した。
「おいで、フランツ。ゾフィーがお前と、話をしたいって」

 ……悪い人じゃないんだけど。
 ゾフィーはため息をついた。

 大公を表す赤いサッシュを、肩から斜めにかけた夫は、人が良さそうに笑っている。そのフェルトが、少し捩れていることに、ゾフィーは気がついた。だが彼女は、夫の肩に手をかけ、直してやろうとはしなかった。

 金髪の少年が、振り返った。
 F・カールの姿を認め、一瞬眉を顰めた。だが、すぐに、微笑み返した。

 一緒に居た人たちに何か囁くと、彼は、足早にこちらへ向かってきた。スマートな体が、猫のようにしなやかに近づいてくる。

 ……白い肌。赤みを帯びた、すべすべした頬。ふっくらとした唇。
 ……広い額に、黄金色の髪。どこまでも澄んだ、青い瞳。

 「フランツはね。僕にとって、弟みたいなもんさ」
得意げなF・カールの声で、ゾフィーは、我に帰った。
 美しい少年に見惚れていた自分に気がつき、はっとした。

 「弟じゃありませんよ、叔父さん」
少しかすれた声が返す。その時ゾフィーは気がつかなかったが、声変わりの途中だったのだ。

「叔父さん? 叔父さんはないだろ? 俺はいつもお前のことを、実の弟と思って、教え導き……、」
「母上は怒ってましたけどね。叔父さんが僕に、変なことばかり教えるって」
「変なこと? 失礼な。俺が今まで教えてきたのは、有意義な人生のありかたそのもので……、」
「ザクセン王妃(皇帝の姉。フランツの大伯母)からパルマの母に、手紙がいったそうですよ。僕を貴方に近づけないほうがいいって」

 ひどく生意気な態度だ。
 だが、ゾフィーに向けられた声は、丁寧で優しかった。
 彼は、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳で彼女を見つめた。

「顔合わせの時にお会いしましたね。ゾフィー大公妃。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「よろしくね、フランツェン」
ゾフィーが言うと、フランツは、複雑な顔をした。

「挨拶が遅れたのは、しょうがないよ。僕らの回りは、いつも人がいっぱいいたからね」
慈悲深く、F・カールが許しを与えた。







¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨

この前を、2話にまとめました。内容は同じです。
すぐに完結させるつもりでしたが、普通の短編小説くらいにすることにしました。
お付き合い頂けたら幸いです。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て

せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

仇討ちの娘

サクラ近衛将監
歴史・時代
 父の仇を追う姉弟と従者、しかしながらその行く手には暗雲が広がる。藩の闇が仇討ちを様々に妨害するが、仇討の成否や如何に?娘をヒロインとして思わぬ人物が手助けをしてくれることになる。  毎週木曜日22時の投稿を目指します。

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

勝利か死か Vaincre ou mourir

せりもも
歴史・時代
マレンゴでナポレオン軍を救い、戦死したドゥゼ。彼は、高潔に生き、革命軍として戦った。一方で彼の親族は、ほぼすべて王党派であり、彼の敵に回った。 ドゥゼの迷いと献身を、副官のジャン・ラップの目線で描く。「1798年エジプト・セディマンの戦い」、「エジプトへの出航準備」、さらに3年前の「1795年上アルザスでの戦闘」と、遡って語っていく。 NOVEL DAYS掲載の2000字小説を改稿した、短編小説です

信長最後の五日間

石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。 その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。 信長の最後の五日間が今始まる。

黄金の檻の高貴な囚人

せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

アルゴスの献身/友情の行方

せりもも
歴史・時代
ナポレオンの息子、ライヒシュタット公。ウィーンのハプスブルク宮廷に閉じ込められて生きた彼にも、友人達がいました。宰相メッテルニヒの監視下で、何をすることも許されず、何処へ行くことも叶わなかった、「鷲の子(レグロン)」。21歳で亡くなった彼が最期の日々を過ごしていた頃、友人たちは何をしていたかを史実に基づいて描きます。 友情と献身と、隠された恋心についての物語です。 「ライヒシュタット公とゾフィー大公妃」と同じ頃のお話、短編です。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/427492085

処理中です...