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1章 ハーレム・ハーレム
11 イケメン大天使
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何もしないでテントに籠っているのは穀潰しみたいで、いやだ。
水回りの仕事でも手伝おうと、俺は、川へ向かった。
要塞の外の川では、当番兵が、野菜を洗っていた。泥付きの新鮮な野菜だ。
「よう、カエルの王子様か」
俺に気がつくと、当番兵は言った。
彼に俺の言葉はわからないが、俺は、彼の言うことを理解できる。彼も、そのことを知っているようだ。
野菜を洗いながら、当番兵は、浮かない顔だった。
「本国からの補給が滞り気味でな。今、軍は、食糧不足なんだ」
深いため息を吐いた。
「……俺達、皇帝から切り捨てられたわけじゃないよね?」
いかに冷酷なナタナエレ・フォンツェルといえど、危険な国境地帯に派遣した軍を、切り捨てたりしないよ。
きっと。
たぶん。
よくわからないけど。
そういえば、父さんが、この頃、ロンウィ将軍は、皇帝の覚えが悪いようだと言っていた。何かやらかしたのだとしたら、それは、確実に、ロンウィ・ヴォルムス将軍だ。
川べりで屈んでいた当番兵は、腰を伸ばした。
「でもまあ、君の国から、野菜や果物の献上品があるから、我々も飢えずにやっていける」
そりゃ、バーバリアンは、博愛の国だからね!
小さいけど、礼儀正しい、いい国なんだよ!
思わず俺は、ぴょんぴょんと、彼の周りを跳ねまわった。
手伝いたいという俺の意思は、どうにか伝わったようだ。彼は、バーバリアン特産の白大根を洗うよう、指示して、立ち去っていった。
バーバリアンの大根は、ラディッシュと違い、女性の足のように白いのが自慢である。ゴドウィ河の水で育った瑞々しさが売りだ。煮てよし、焼いてよし、もちろんサラダにしてもおいしい。また、どんな食材と一緒に調理しても、素晴らしく調和するという、優れた逸品だ。
当番兵が川に沈めた大根の上を、すーい、すーいと泳ぐ。肌がこすれて、泥がみるみる落ちていく。
特に、腹でこすると、泥が取れやすく、楽しい。時には背中でこするのも、変化があっていい。
夢中になって、大根を洗っていると、俺の上に、影が落ちた。
腰の曲がったおばあさんが、川の中を覗き込んでいる。何か言いたそうだ。
「あー、ちょっと。食堂はどこだね?」
俺が川から上がると、婆さんは尋ねた。
「食堂?」
思わずオウム返すと、婆さんは頷いた。
「ごはんを貰いにきたんだよ」
どうやら、この婆さんは、バーバリアン人のようだ。人型になる前の俺の言葉がわかる。
だが。
「なんで、ごはんを食べに来るんだよ? ここは、軍の要塞だぞ?」
食堂かなんかと勘違いしてるのか。
ボケているんじゃなかろうな?
「ここは、リュティス軍の要塞だろ? だったら、ごはんを食べさせてくれるはずだ」
婆さんの言うことは、支離滅裂だった。
なんで、リュティス軍が、敗戦国のバーバリアンの婆さんに食事をさせるんだ?
それも、普通の婆さんに。
ただでさえ、食糧不足なのに。
婆さんは、普段着のままで、小さな巾着以外、荷物も持っていなかった。
徘徊?
徘徊老人か?
「国が負けてわち、は、娘の家へ行く途中でな」
不審顔の俺に、婆さんは説明を始めた。
「そしたら、道に迷ってしまって。暗くなるし腹は減るしで、途方に暮れていたら、馬車がやってきてな。中の人が、親切に、道を教えてくれたんだ」
「良かったじゃん」
とりあえず、相槌を打った。満足そうに、婆さんは頷く。
「うんにゃ。そいでな。途中に、リュティス軍の基地があるから、食事をしていくといい、と、こういう豪儀なお申し出じゃ」
申し出?
そいつ、いったい、なんの権限で……。
「偉大なお方じゃ。あんたは、わちがボケていると思っているようじゃが」
「いやだって、お婆さん、なんで、手ぶらなんだよ?」
占領された母国を出て、他国に嫁いだ娘の元へ逃げていくというなら、普通は、大荷物のはずだ。それなのに、旅行鞄のひとつも、持っていない。
婆さんは、ぎろりと俺を見下ろした。
「それもじゃ。重い荷物を持って難儀しとったら、親切なそのお方が、後から届けて下さると、こう、おっしゃったのじゃ」
「婆ちゃん、それ、ダマされたんじゃ?」
こんな年寄りをだまして、身ぐるみ剥ぐなんて、……服はみすぼらしいから、荷物だけをだまし取ったのだろうが……、なんてむごいやつだと、俺は憤った。
「神の遣わされた大天使様に向かって、何を言う!」
大声で、婆さんが叫んだ。
「あの方こそ、神の御使い。正直で働き者のわちに遣わされた、この世の奇跡じゃ! 光放つイケメン様、それに比べ、バーバリアン公爵の息子の、なんとイケスカナイことか!」
げ。
この婆さん、俺の正体、見抜いていやがる。
いや、そこじゃなかった。
この婆さんは、詐欺師にいいように騙されている。
俺のことをイケスカナイと言うからには、放っておいてもよかったが、そこは、バーバリアンの領民だ。バーバリアン公の息子として、俺には、婆さんを救済する義務がある。
「お婆ちゃん。世の中には悪い人がたくさんいるんだよ。詐欺師に騙し取られた荷物は戻ってこないかもしれないけど、これも授業料だと思って、ね? 残された人生を、強く生きていこう」
「だまらっしゃい!」
再び、婆さんが叫ぶ。あろうことか、仁王立ちの片足を上げ、俺を踏みつけようとする。
「悪い人? 詐欺師? なんてことを! まばゆいイケメンに向かって!」
どすどすと、地面を踏みしだく。
「どうしたんだ?」
騒ぎを聞きつけて、当番兵が駆けてきた。俺に大根洗いを命じて、竈の番に回っていたのだ。
婆さんが、かっと目を見開いた。
「このカエルが、イケメン様の悪口を言ったのじゃ」
「はあ?」
もちろん、当番兵には、何のことかわからない。彼にはカエルの言葉は通じないから、俺から説明してやることもできない。
「わちは、ただ、ご飯をいただきにあがっただけなのじゃ。親切なイケメンさまの、お指図に従って」
なおも婆さんは、足を上げ、俺を踏みつけようとする。年寄りなのに、えらい迫力だ。踏みおろすたびに、足は、柔らかい泥深く、めり込む。
もちろん、こんな婆さんにやられるなんて、ありえない。足元をちょろちょろしてやれば、あっけなく転ぶことは間違いない。だが、年寄りを転がして何になろうか。
つか、転んだら、危ない、寝たきりになる危険性、大である。俺が、家族に恨まれる。
繰り返すが、彼女は、大事なバーバリアンの領民なのだ。
ほうほうのていで、俺は、当番兵の足元に逃げ込んだ。後ろに回り、彼の踵にしがみつく。
「待て! 逃げるとは卑怯だぞ!」
「お婆さん、ちょっと! 俺は関係ないだろ?」
焦った当番兵が、逃げようとする。置いていかれたらたまらないので、俺は、むきだしの彼のふくらはぎをよじ登った。
「うぎゃ。ぬるぬるべちゃべちゃ……」
当番兵が悲鳴を上げた。
その首根っこを、ばあさんが捕まえようとする。
「うぬ。カエルを匿うとは、おのれも同罪」
「ちょっと、」
「イケメン様を侮辱した罰じゃ。天誅!」
「いや、お婆さん待って? つか、イケメンって誰?」
「輝くイケメン!」
「だから、誰!」
「美少女のケンタウロスを従えた、大天使のことじゃ」
俺をふくらはぎに張り付けたまま逃げまどっていた当番兵の足が、ぴたりと止まった。
「それ、うちの大将のことだね?」
「イケメン大天使じゃ」
「大将があんたに、ここで飯を食ってけと?」
「徳高き聖人様じゃ!」
「間違いない。うちのロンウィ将軍だ」
当番兵は、婆さんを、要塞の中に入れた。
食堂に招き、乏しい軍の食事を分け与えた。
*
その後も、何人かの領民が、リュティス軍の要塞に逃げ込んできた。正規軍についていけず、落ちぶれた兵士たちは、山賊となって、集落を襲うことがある。
そうした、戦争の二次被害者たちが、「ケンタウロスを連れた聖人(イケメンと言ったのは、最初の婆さんだけだった)」に助けられ、命からがら、要塞に逃げ込んできたのだ。
要塞では、逃げてきた人々に、食事を与え、怪我の手当てをした。傷が癒え、心が落ち着くと、ロンウィ軍に入隊したいと申し出る者が大勢出た。要塞近くに、畑を開墾してもいいかと、言い出す者もいた。
来る者は拒まず。
留守を任されたレイ大尉は、ためらいなく許可した。
ただでさえ、軍は、人手不足なのだ。
それはそうと、ロンウィ将軍は、何やってんだ?
「休養の遠足」に出掛けたんじゃなかったのか? ケンタウロスの美少女を連れて。
それなのに、あちこちで、盗賊たちと戦っているなんて。
本当に、戦うことが好きなんだな……。
水回りの仕事でも手伝おうと、俺は、川へ向かった。
要塞の外の川では、当番兵が、野菜を洗っていた。泥付きの新鮮な野菜だ。
「よう、カエルの王子様か」
俺に気がつくと、当番兵は言った。
彼に俺の言葉はわからないが、俺は、彼の言うことを理解できる。彼も、そのことを知っているようだ。
野菜を洗いながら、当番兵は、浮かない顔だった。
「本国からの補給が滞り気味でな。今、軍は、食糧不足なんだ」
深いため息を吐いた。
「……俺達、皇帝から切り捨てられたわけじゃないよね?」
いかに冷酷なナタナエレ・フォンツェルといえど、危険な国境地帯に派遣した軍を、切り捨てたりしないよ。
きっと。
たぶん。
よくわからないけど。
そういえば、父さんが、この頃、ロンウィ将軍は、皇帝の覚えが悪いようだと言っていた。何かやらかしたのだとしたら、それは、確実に、ロンウィ・ヴォルムス将軍だ。
川べりで屈んでいた当番兵は、腰を伸ばした。
「でもまあ、君の国から、野菜や果物の献上品があるから、我々も飢えずにやっていける」
そりゃ、バーバリアンは、博愛の国だからね!
小さいけど、礼儀正しい、いい国なんだよ!
思わず俺は、ぴょんぴょんと、彼の周りを跳ねまわった。
手伝いたいという俺の意思は、どうにか伝わったようだ。彼は、バーバリアン特産の白大根を洗うよう、指示して、立ち去っていった。
バーバリアンの大根は、ラディッシュと違い、女性の足のように白いのが自慢である。ゴドウィ河の水で育った瑞々しさが売りだ。煮てよし、焼いてよし、もちろんサラダにしてもおいしい。また、どんな食材と一緒に調理しても、素晴らしく調和するという、優れた逸品だ。
当番兵が川に沈めた大根の上を、すーい、すーいと泳ぐ。肌がこすれて、泥がみるみる落ちていく。
特に、腹でこすると、泥が取れやすく、楽しい。時には背中でこするのも、変化があっていい。
夢中になって、大根を洗っていると、俺の上に、影が落ちた。
腰の曲がったおばあさんが、川の中を覗き込んでいる。何か言いたそうだ。
「あー、ちょっと。食堂はどこだね?」
俺が川から上がると、婆さんは尋ねた。
「食堂?」
思わずオウム返すと、婆さんは頷いた。
「ごはんを貰いにきたんだよ」
どうやら、この婆さんは、バーバリアン人のようだ。人型になる前の俺の言葉がわかる。
だが。
「なんで、ごはんを食べに来るんだよ? ここは、軍の要塞だぞ?」
食堂かなんかと勘違いしてるのか。
ボケているんじゃなかろうな?
「ここは、リュティス軍の要塞だろ? だったら、ごはんを食べさせてくれるはずだ」
婆さんの言うことは、支離滅裂だった。
なんで、リュティス軍が、敗戦国のバーバリアンの婆さんに食事をさせるんだ?
それも、普通の婆さんに。
ただでさえ、食糧不足なのに。
婆さんは、普段着のままで、小さな巾着以外、荷物も持っていなかった。
徘徊?
徘徊老人か?
「国が負けてわち、は、娘の家へ行く途中でな」
不審顔の俺に、婆さんは説明を始めた。
「そしたら、道に迷ってしまって。暗くなるし腹は減るしで、途方に暮れていたら、馬車がやってきてな。中の人が、親切に、道を教えてくれたんだ」
「良かったじゃん」
とりあえず、相槌を打った。満足そうに、婆さんは頷く。
「うんにゃ。そいでな。途中に、リュティス軍の基地があるから、食事をしていくといい、と、こういう豪儀なお申し出じゃ」
申し出?
そいつ、いったい、なんの権限で……。
「偉大なお方じゃ。あんたは、わちがボケていると思っているようじゃが」
「いやだって、お婆さん、なんで、手ぶらなんだよ?」
占領された母国を出て、他国に嫁いだ娘の元へ逃げていくというなら、普通は、大荷物のはずだ。それなのに、旅行鞄のひとつも、持っていない。
婆さんは、ぎろりと俺を見下ろした。
「それもじゃ。重い荷物を持って難儀しとったら、親切なそのお方が、後から届けて下さると、こう、おっしゃったのじゃ」
「婆ちゃん、それ、ダマされたんじゃ?」
こんな年寄りをだまして、身ぐるみ剥ぐなんて、……服はみすぼらしいから、荷物だけをだまし取ったのだろうが……、なんてむごいやつだと、俺は憤った。
「神の遣わされた大天使様に向かって、何を言う!」
大声で、婆さんが叫んだ。
「あの方こそ、神の御使い。正直で働き者のわちに遣わされた、この世の奇跡じゃ! 光放つイケメン様、それに比べ、バーバリアン公爵の息子の、なんとイケスカナイことか!」
げ。
この婆さん、俺の正体、見抜いていやがる。
いや、そこじゃなかった。
この婆さんは、詐欺師にいいように騙されている。
俺のことをイケスカナイと言うからには、放っておいてもよかったが、そこは、バーバリアンの領民だ。バーバリアン公の息子として、俺には、婆さんを救済する義務がある。
「お婆ちゃん。世の中には悪い人がたくさんいるんだよ。詐欺師に騙し取られた荷物は戻ってこないかもしれないけど、これも授業料だと思って、ね? 残された人生を、強く生きていこう」
「だまらっしゃい!」
再び、婆さんが叫ぶ。あろうことか、仁王立ちの片足を上げ、俺を踏みつけようとする。
「悪い人? 詐欺師? なんてことを! まばゆいイケメンに向かって!」
どすどすと、地面を踏みしだく。
「どうしたんだ?」
騒ぎを聞きつけて、当番兵が駆けてきた。俺に大根洗いを命じて、竈の番に回っていたのだ。
婆さんが、かっと目を見開いた。
「このカエルが、イケメン様の悪口を言ったのじゃ」
「はあ?」
もちろん、当番兵には、何のことかわからない。彼にはカエルの言葉は通じないから、俺から説明してやることもできない。
「わちは、ただ、ご飯をいただきにあがっただけなのじゃ。親切なイケメンさまの、お指図に従って」
なおも婆さんは、足を上げ、俺を踏みつけようとする。年寄りなのに、えらい迫力だ。踏みおろすたびに、足は、柔らかい泥深く、めり込む。
もちろん、こんな婆さんにやられるなんて、ありえない。足元をちょろちょろしてやれば、あっけなく転ぶことは間違いない。だが、年寄りを転がして何になろうか。
つか、転んだら、危ない、寝たきりになる危険性、大である。俺が、家族に恨まれる。
繰り返すが、彼女は、大事なバーバリアンの領民なのだ。
ほうほうのていで、俺は、当番兵の足元に逃げ込んだ。後ろに回り、彼の踵にしがみつく。
「待て! 逃げるとは卑怯だぞ!」
「お婆さん、ちょっと! 俺は関係ないだろ?」
焦った当番兵が、逃げようとする。置いていかれたらたまらないので、俺は、むきだしの彼のふくらはぎをよじ登った。
「うぎゃ。ぬるぬるべちゃべちゃ……」
当番兵が悲鳴を上げた。
その首根っこを、ばあさんが捕まえようとする。
「うぬ。カエルを匿うとは、おのれも同罪」
「ちょっと、」
「イケメン様を侮辱した罰じゃ。天誅!」
「いや、お婆さん待って? つか、イケメンって誰?」
「輝くイケメン!」
「だから、誰!」
「美少女のケンタウロスを従えた、大天使のことじゃ」
俺をふくらはぎに張り付けたまま逃げまどっていた当番兵の足が、ぴたりと止まった。
「それ、うちの大将のことだね?」
「イケメン大天使じゃ」
「大将があんたに、ここで飯を食ってけと?」
「徳高き聖人様じゃ!」
「間違いない。うちのロンウィ将軍だ」
当番兵は、婆さんを、要塞の中に入れた。
食堂に招き、乏しい軍の食事を分け与えた。
*
その後も、何人かの領民が、リュティス軍の要塞に逃げ込んできた。正規軍についていけず、落ちぶれた兵士たちは、山賊となって、集落を襲うことがある。
そうした、戦争の二次被害者たちが、「ケンタウロスを連れた聖人(イケメンと言ったのは、最初の婆さんだけだった)」に助けられ、命からがら、要塞に逃げ込んできたのだ。
要塞では、逃げてきた人々に、食事を与え、怪我の手当てをした。傷が癒え、心が落ち着くと、ロンウィ軍に入隊したいと申し出る者が大勢出た。要塞近くに、畑を開墾してもいいかと、言い出す者もいた。
来る者は拒まず。
留守を任されたレイ大尉は、ためらいなく許可した。
ただでさえ、軍は、人手不足なのだ。
それはそうと、ロンウィ将軍は、何やってんだ?
「休養の遠足」に出掛けたんじゃなかったのか? ケンタウロスの美少女を連れて。
それなのに、あちこちで、盗賊たちと戦っているなんて。
本当に、戦うことが好きなんだな……。
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