ライヒシュタット公の手紙

せりもも

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マリア

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 お茶の時間が近づいた。ファニーが湯を沸かしていると、玄関のノッカーが密やかにノックされた。

「まあ……」
 可愛らしい少女が立っていた。もじもじしている。
 質素な身なりをしているが、町の娘ではないことを、ファニーは一目で見抜いた。服の生地が高級すぎるし、髪の色艶はよく、複雑な形に結い上げている。人の手を借りなければこの形は難しい。そして、このおどおどした様子は、女優や歌手ではない。

「あの……フランツ、いえ、ライヒシュタット公がこちらにお手紙を書かれたとか?」
 おずおずと少女は尋ねた。
「貴女は?」
 ファニーは尋ねた。上品な物腰だが、自分から名乗らないのは、いささか不躾だ。どうかすると、傲慢とも受け取られかねない。
「あ、わたし……わたし、マリアです」
 この国に掃いて捨てるほどいる名前の持ち主だ。
「では、マリアさん。あなたとライヒシュタット公のご関係は?」
「関係!」
 少女は真っ赤になった。まるで自分の名誉を挽回しようとするかのように、彼女は言った。
「遠い親戚です」
 友達、と答えるだけの世知がなかったのだろう。だが、おかげで、この少女の正体がわかった。

 ライヒシュタット公の親戚は、母方だけだ。父方の親戚、つまりナポレオンの親族は、彼に接触することを許されていない。それどころか、オーストリア国内に足を踏み入れることさえできない。
 母方の親族と言ったら、皇族しかいない。
 ハプスブルク家のメンバーでこの年頃の少女と言ったら……。

 しかし、ファニーは、少女の正体を暴くことをしなかった。彼女の推測が正しいのなら(正しいのに決まっているが)、この子は母親を亡くしたばかりだ。失意の父親を支え、幼い弟妹の面倒を見ている長女に、恥ずかしい思いをさせたくない。

「では、マリアさん。プリンスの手紙がここにあるとして、貴女はそれをどうしたいの?」
「み、見せて頂きたいと……」
 きっと少女は瞳を上げた。思いがけず、負けん気の強そうなきつい眼差しでファニーを見据える。
「フランツは私と約束したのです。新年の休暇になったら、彼の馬車に乗せてくれると」
 だから自分には彼の手紙を見る権利がある、と言わんの剣幕だ。恐らくこの少女の中では、馬車に乗せてもらう約束をしたことで、彼の心を射止めたかのような幻想が渦巻いているのだろう。
「フランツが貴女へ出した手紙を、見せて下さい」
まるで婚約者の権利を振りかざすかのように、少女は要求した。

「私への手紙?」
 ファニーは眉を顰めた。
 少し考え、家の中へ引き返した。
 さきほど、モルとハルトマンという二人の軍人に見られたのだ。もう一人に見られても、プリンスは気にすまい。

「追伸のところだけでよかったら」
 再び玄関先に出てきた彼女はそう言って、筒状になった手紙の端の部分だけを拡げて見せた。

「……」
みるみる少女の顔から緊張が解けた。
 その柔らかな変化は、程度の差こそあれ、さきほどのモル大尉と全く同じ性質のものだった。
「ごめんなさい、ファニー・エルスラーさん。わたしはてっきり……」
「てっきり、何かしら?」
「だって貴女はとてもお美しいから」
にっこりと、少女は微笑んだ。まるで季節外れの夏の花のような笑顔だった。

「中へお入りになる? お茶でもいかがかしら」
 ファニーは、もう少しこの子と話したい気持ちになった。親族の中で、プリンスがどのような立ち位置にいるか知りたかったし。

 その時、道路の向かいに止められていた、黒塗りの馬車の窓が下げられた。中から、ピーッという鋭い口笛が聞こえた。
「まあ、アルブレヒトったら」
マリアは眉を顰めた。
「弟を馬車に待たせているんです。去年大佐に昇進してからというもの、あの子、ものすごく傲慢になって。手柄もないのに若いうちから昇進するのは良くないって、お父様も仰ってたわ」
 この少女の弟ということは、まだローティーンの少年だろう。それなのにもう、大佐殿なのか。
 今更なことだが、ファニーは驚いた。将校としての高い身分と少年の幼さの、あまりのアンバランスに。

「ごめんなさい、ファニーさん。私、行かなくちゃ」
 大慌てでマリアが駆け出していく。弟の催促がなくても、彼女はお茶など飲んでいかなかったろう。だってすでに、目的は達成したのだから。
 御者の助けを借りて馬車に乗り込む彼女は満足げだった。






マリア・テレジア





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※彼女は、カール大公の長女です

 父のカール大公については
 「カール大公の恋」
https://estar.jp/novels/25059020

マリア自身については、
短編集「黄金の檻の高貴な囚人」中の「叶えられなかった約束」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/121264273/episode/1820662

の短編もあります






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