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1848年ウィーン革命
愛娘の結婚
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*
アウグスティーナ教会の鐘が、ウィーンの空に、高らかに響き渡る。それを待っていたかのように、いっせいに、礼砲が鳴り響いた。
今日は、カール大公の長女、マリア・テレジアの結婚式だった。
(マリア・テレジア)
新郎は、両シチリア王、フェルディナンド2世。スペイン系のブルボン家の血筋を汲む。
聖歌隊が「テ・デウム(聖歌)」を歌う中、新郎新婦は、祭壇から礼拝堂に続く、長い廊下を歩いていく。
27年前、この廊下を、今日の新婦の父、カール大公も、同じように、ゆっくりと進んで行った。
だが、彼が腕を貸していたのは、自分の妻となった女性ではなかった。
彼が腕を貸していたのは、ナポレオンの妻となった姪だった。彼は、ナポレオンとマリー・ルイーゼの代理結婚で、新郎代理を務めたのだ。
新郎のナポレオンに、特に頼まれてのことだった。
その勝利神話に、初めて汚点をつけられた敵将であったにも関わらず、ナポレオンは、なぜか、カールに、友情を感じていたようだった。
*
「父上! まだ、こんなところに! お召し替えをしなければなりません。早く早く!」
息子のアルブレヒトが迎えに来た。新婦マリアの、ひとつ、年下の弟である。
結婚式に続いて、祝宴が催されることになっていた。
急いで着替えて、ホーフブルク宮殿へ向かわねばならぬ。
……こんな時。
カール大公は思った。
……いつもなら、急かしに来るのは、マリアだった……。
娘を嫁に出したのだという実感が、ひしひしと胸に迫ってきた。寂しさがつい、口からこぼれる。
「マリアの役目は、お前に移ったというわけだな、アルブレヒト」
「父上。甘えてもらっては、困ります。私には私の、任務がございますゆえ。弟たちも同じです」
今年20歳になる青年は、尊大に答えた。
語調を和らげた。
「ですが、もう2~3年もすれば、カロリーネが、お役に立てるようになるでしょう」
下から2番めの娘、マリア・カロリーネは、今年でやっと12歳だ。先の長いことだと、カールは思った。
アルブレヒトは、カールに倣い、軍務に就いている。その軍歴のごく初期の時期に(わずか13歳だった)、大佐に任じられた。
あまりにも早すぎる昇進は、息子の為にならなかったのでは、と、カールは思った。今からでも遅くはない。少し、苦い思いをさせる必要があるかもしれない。
だって、彼は、あんなにも謙虚で素直だったのだから。
カールは目を閉じた。
まぶたの裏に、12歳から軍務を志し、長い間、軍曹だった青年の姿が浮かんだ。
皇帝の孫であったにもかかわらず、彼が、大佐に昇進したのは、21歳の時だった。
その死の、2ヶ月前のことである。
そういえばマリアは幼い頃、彼の馬車に、しきりと乗せてもらいたがっていた。
新年から、皇妃の聖名祝日(本人が命名されたのと同じ名の聖人の祝日)までの間の、休みの時期。マリアは、毎年のように、彼の馬車に乘りたがっていた。
彼は、幼い日のマリアの、憧れの人だったのだろうか……。
ナポレオンの代役を務めた、この教会のせいだろうか。
今日は、彼のことが思い出されてならない。
ナポレオンの息子。皇帝の孫でもあった、あの優美で、もの憂げな青年のことが。
自分たちは、彼の可能性を、押しつぶしてしまったのだろうか……。
*
礼拝堂を出ると、カールの少し先を、老夫婦がゆっくりと歩いていた。
二人とも、きらびやかな服装の参列者の中で、ひどく古ぼけた礼服を着用している。
妻は、ぴんと背筋を伸ばし、それでもまだ、若々しげな歩き方をしていた。
だが、夫のほうが、いけなかった。
後ろから見てもわかるほど、彼は、痩せこけていた。まるで、棒っきれのようだ。背を丸め、足を引きずるようにして、歩いている。
アルブレヒトも、先を行く夫婦に、気がついたようだ。
「アングレーム公ご夫妻※が見えているようですね。新郎は、ブルボン家ゆかりの方だから、イタリアから出ていらしたのでしょう」
(※マリー・テレーズとその夫、ルイ・アントワーヌのこと。フランス亡命に先立ち、「マルヌ伯爵夫妻」と名を変えていますが、ここでは、「アングレーム公爵」の名を用います)
「アングレーム公は、お体が悪いのか?」
思わず、カールは尋ねた。
アングレーム公は、カールより、4つ年下の筈だ。
しかしこれではまるで、彼のほうが、ずっと年上に見える。
アルブレヒトは首を傾げた。
「さあ、どうでしょう。特に聞いておりませんが」
カールは傍らの息子に、介添えをするよう、命じようと思った。
その時、彼は、気がついた。
夫の手が、妻の後ろに回り、その背を、愛おし気に撫でるのを。
息子と肩を並べ、無言でカールは、歩き続けた。
5年前、マリー・テレーズが、ウィーンに立ち寄ったのを、カールは知っていた。その後、3年間、プラハにいたのも。
プラハは、カールの暮らしているテシェンに近い。行こうと思えば、いつでも行けた。
しかし、カールは、一度も、彼女に会いにいかなかった。
彼女の夫、アングレーム公にも。
アウグスティーナ教会の鐘が、ウィーンの空に、高らかに響き渡る。それを待っていたかのように、いっせいに、礼砲が鳴り響いた。
今日は、カール大公の長女、マリア・テレジアの結婚式だった。
(マリア・テレジア)
新郎は、両シチリア王、フェルディナンド2世。スペイン系のブルボン家の血筋を汲む。
聖歌隊が「テ・デウム(聖歌)」を歌う中、新郎新婦は、祭壇から礼拝堂に続く、長い廊下を歩いていく。
27年前、この廊下を、今日の新婦の父、カール大公も、同じように、ゆっくりと進んで行った。
だが、彼が腕を貸していたのは、自分の妻となった女性ではなかった。
彼が腕を貸していたのは、ナポレオンの妻となった姪だった。彼は、ナポレオンとマリー・ルイーゼの代理結婚で、新郎代理を務めたのだ。
新郎のナポレオンに、特に頼まれてのことだった。
その勝利神話に、初めて汚点をつけられた敵将であったにも関わらず、ナポレオンは、なぜか、カールに、友情を感じていたようだった。
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「父上! まだ、こんなところに! お召し替えをしなければなりません。早く早く!」
息子のアルブレヒトが迎えに来た。新婦マリアの、ひとつ、年下の弟である。
結婚式に続いて、祝宴が催されることになっていた。
急いで着替えて、ホーフブルク宮殿へ向かわねばならぬ。
……こんな時。
カール大公は思った。
……いつもなら、急かしに来るのは、マリアだった……。
娘を嫁に出したのだという実感が、ひしひしと胸に迫ってきた。寂しさがつい、口からこぼれる。
「マリアの役目は、お前に移ったというわけだな、アルブレヒト」
「父上。甘えてもらっては、困ります。私には私の、任務がございますゆえ。弟たちも同じです」
今年20歳になる青年は、尊大に答えた。
語調を和らげた。
「ですが、もう2~3年もすれば、カロリーネが、お役に立てるようになるでしょう」
下から2番めの娘、マリア・カロリーネは、今年でやっと12歳だ。先の長いことだと、カールは思った。
アルブレヒトは、カールに倣い、軍務に就いている。その軍歴のごく初期の時期に(わずか13歳だった)、大佐に任じられた。
あまりにも早すぎる昇進は、息子の為にならなかったのでは、と、カールは思った。今からでも遅くはない。少し、苦い思いをさせる必要があるかもしれない。
だって、彼は、あんなにも謙虚で素直だったのだから。
カールは目を閉じた。
まぶたの裏に、12歳から軍務を志し、長い間、軍曹だった青年の姿が浮かんだ。
皇帝の孫であったにもかかわらず、彼が、大佐に昇進したのは、21歳の時だった。
その死の、2ヶ月前のことである。
そういえばマリアは幼い頃、彼の馬車に、しきりと乗せてもらいたがっていた。
新年から、皇妃の聖名祝日(本人が命名されたのと同じ名の聖人の祝日)までの間の、休みの時期。マリアは、毎年のように、彼の馬車に乘りたがっていた。
彼は、幼い日のマリアの、憧れの人だったのだろうか……。
ナポレオンの代役を務めた、この教会のせいだろうか。
今日は、彼のことが思い出されてならない。
ナポレオンの息子。皇帝の孫でもあった、あの優美で、もの憂げな青年のことが。
自分たちは、彼の可能性を、押しつぶしてしまったのだろうか……。
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礼拝堂を出ると、カールの少し先を、老夫婦がゆっくりと歩いていた。
二人とも、きらびやかな服装の参列者の中で、ひどく古ぼけた礼服を着用している。
妻は、ぴんと背筋を伸ばし、それでもまだ、若々しげな歩き方をしていた。
だが、夫のほうが、いけなかった。
後ろから見てもわかるほど、彼は、痩せこけていた。まるで、棒っきれのようだ。背を丸め、足を引きずるようにして、歩いている。
アルブレヒトも、先を行く夫婦に、気がついたようだ。
「アングレーム公ご夫妻※が見えているようですね。新郎は、ブルボン家ゆかりの方だから、イタリアから出ていらしたのでしょう」
(※マリー・テレーズとその夫、ルイ・アントワーヌのこと。フランス亡命に先立ち、「マルヌ伯爵夫妻」と名を変えていますが、ここでは、「アングレーム公爵」の名を用います)
「アングレーム公は、お体が悪いのか?」
思わず、カールは尋ねた。
アングレーム公は、カールより、4つ年下の筈だ。
しかしこれではまるで、彼のほうが、ずっと年上に見える。
アルブレヒトは首を傾げた。
「さあ、どうでしょう。特に聞いておりませんが」
カールは傍らの息子に、介添えをするよう、命じようと思った。
その時、彼は、気がついた。
夫の手が、妻の後ろに回り、その背を、愛おし気に撫でるのを。
息子と肩を並べ、無言でカールは、歩き続けた。
5年前、マリー・テレーズが、ウィーンに立ち寄ったのを、カールは知っていた。その後、3年間、プラハにいたのも。
プラハは、カールの暮らしているテシェンに近い。行こうと思えば、いつでも行けた。
しかし、カールは、一度も、彼女に会いにいかなかった。
彼女の夫、アングレーム公にも。
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