黄金の檻の高貴な囚人

せりもも

文字の大きさ
上 下
36 / 42
画家からの手紙

しおりを挟む
正直に申し上げますと、私にはとても、全部を通して読むことはできませんでした。プリンスが気の毒でならなかった。亡くなった時、彼は、まだ、たったの21歳だったのですよ? 全ては、これからだというのに……。多くを持って生まれてきたのに、何ひとつ、思うがままにならなかった、その人生。始まる前に終ってしまった、悲痛……。

あなたの文字で書かれた文章は、それはそれは辛く、読むに堪えないものでした。美しい彼が病み衰えていく悲惨、血を吐き、悶え苦しむ凄絶。
乾いた筆致で簡潔に綴られたそれは、冷徹でした。
私は、恐ろしさに震え上がりました。


手記は、途中から始まっていました。1832年、6月。プリンスの死の1ヶ月前、すでにシェーンブルンで、最期の日々を送っていた頃からです。一番上のページは、明らかに、前のページからの続きで、この前にも手記があったことは、まちがいありません。

紙の束は、メープル素材の小函に納められていました。読むのを諦め、元に戻そうとした時、私は、その函が、いやに重いことに気がついたのです。よくよく見ると、底板の部分が、ひどく厚くなっていました。

すぐに、仕掛け箱だとわかりました。この手の函は、知り合いの工芸家の工房で見たことがあります。
ダメですよ、モル男爵。大事なものを、こんな函に隠しては……。

果たして、函の底には、手記の大部が……プリンスの軍務が始まった日からの……、ひっそりと隠されていました。

公的な報告を要求された時の、覚え書きだったのでしょう。いわば、軍務における、プリンスの観察記録。
しかし、行間に滲んでいたのは、紛れもない、あなたの恋心でした。プリンスの一挙一投足を漏らさず追い、彼が目を向けるものを眺め、たまさか、その目が自分に向けられると歓喜して喜ぶ……。


私は、読まなければよかった。あなたの、秘められた心を。

……モル男爵は、本物の愛情をもって、プリンスに尽くした。
ライヒシュタット公の親友、プロケシュ少佐は、こう言ったそうです。本物の愛情、と。
さすがに、親友は違いますね。見るべきところを、ちゃんと見ている。


途中まで読んだ時、外に足音が聞こえました。私は慌てて、手記を閉じました。メープルの小函を隠し終えた時、あなたが、図書室に入ってきました。あなたは微笑んで歩み寄り、私にキスをして……。
その時は、何も気がついていないように見えたのに。


次の日、抑えがたい衝動に駆られ、再び、その函を手にした時、箱にあったのは、薄い、看護記録だけでした。函の底に隠された、大部の手記は、消えていました。
そして、暖炉には、大量の灰が残っていました……。



モル男爵。さっきの質問です。
宰相メッテルニヒは、なぜ、あなたを、ナポレオンの息子の付き人にしたのでしょう。
女性を愛せないあなたを。
男性に、どうしようもなく惹かれてしまう、あなたを。

もし、宰相が、プリンスの死を予見していたのだとしたら?
死ぬまでの間に、彼が、子孫を……人知れず隠し子を……残すことだけが、宰相の心配事だったはずです。ナポレオンの息子が、その血を繋ぐことだけが。

あなたは、彼に、何をしたのですか? どうやって、彼の恋を、壊したのしょう。それも、何度も、何度も。

モル男爵。あなたは、恐ろしい方だ。
優しい顔をして近づき、たやすく虜にしてしまう。私がそうであったように。
気がついた時には、もう、遅い。自分が餌食になったとも知らず、獲物は、陶然と……。

……。
つまらぬことを書きました。全ては、私の妄想です。優美なプリンスへの、嫉妬のなせる業です。

現実には、彼は、あなたのものにはなりませんでした。第一、そんな時間はなかった。任官の時には、既に病は、相当、あつくなっていた筈です。彼は、あなたの誠意に感謝こそすれ、その献身にこめられた愛を理解せぬまま、あっという間に、死のかいなに抱きとられていきました。

だから、未だに、あなたの胸に、美しい影を宿し続けているのです。









なんだか、寒くなってきました。昼間は、ひどく暑かったのに。それに、肌がひりひりします。空気が、ひどく乾燥しているからです。明らかに、ウィーンとは違う気候です。

もうすぐ、エルサレム到着です。今回の行幸の、下絵の構図は考えてあります。記録画家として、完璧な仕事をしてご覧にいれましょう。この旅を企画したあなたに、敬意を表して。
私はこれを、記録画家としての、最後の旅にするつもりです。


今回の仕事が終わったら、ずっと、あなたと一緒にいます。たとえそれが、世間ののりを超えた関係であっても。

私は、あの、美しいプリンスとは違う。彼は生涯、ウィーンの宮廷を出ることを許されませんでした。けれども私は、ウィーンを追われてもいいのです。私には、全てを捨て去ることができます。守るべき名誉も、周囲の期待もありません。


モル男爵。ヴィラ・ラガリーナで、共に暮らしましょう。
明るいイタリアの太陽の下で、私は、もっともっと透明な絵を描きます。澄んだ空気の絵を。あの、麗しいプリンスの、瞳の色のような青空を。


ああ、早く帰りたい。
ヴィラ・ラガリーナ、あなたと二人、安らぎの家へ。


(エドゥアルド・グルク:ヴィラ・ラガリーナの邸宅付近)







・~・~・~・~・~・~・~

1841年3月31日、エルサレムにて、フェルディナント皇帝の記録画家、エドゥアルド・グルク没。ペストだった。享年39歳。


(エドゥアルド・グルク:自画像)



それから170年以上も経って、グルクの絵が、イタリアのヴィラ・ラガリーナで発見された。ヴィラ・ラガリーナは、フェルディナント帝の式部官、モル男爵が取得した邸宅である。モルは、画家より4歳上、仕事を通じ、旧知の間柄だった。


二人は、次第に親しさの度を増していった。宮廷の儀礼的な付き合いを超えて、親密なものとなっていったらしい。特に、エルサレムへの最後の旅の前、画家が、ヴィラ・ラガリーナで6週間を過ごしたことは、これを裏付ける。


絵は、完璧な保存状態にあった。しかし、ウィーン宮廷に納められたはずの絵が、なぜ、イタリアにあったかは、謎とされている。


なお、モルは、生涯、独身だった。







fin







・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


モルの手記がフランスで出版されたのは、1947年です。この手記は、ずっと、モルの家の図書館に保管されていました。そして、前半部分(合計1年3ヶ月のうちの、1年分です)が欠損していました。モル自身の手で、破棄されたようです。



イタリア語のwikiで、モルの画像を見つけました。中年になってからのものです。恐らく本邦初公開。ご覧になりたい方は、下(左)へスクロールして下さい。
































しおりを挟む

処理中です...