黄金の檻の高貴な囚人

せりもも

文字の大きさ
上 下
31 / 42
2つの貴賤婚

パルマの醜聞

しおりを挟む
 1833年。
 兄のフランツ帝から、弟ヨーハン大公に、結婚公表の許可が下りた。

 郵便局長の娘、アンナとの正式な結婚から、4年。
 知り合ってからは、実に24年の歳月が流れていた。

 冷静に、ヨーハンは、兄の言葉を受け止めた。
 アンナの故郷シュタイアーマルクでは、二人の結婚は広く知られ、祝福されている。
 公表することが、それほど重要だとは、もはやヨーハンには思えなかった。


 王座の兄の額には、深い悲しみの皺が刻まれていた。
 兄は去年、孫を亡くしたのだ。第二の息子とも見做していた、最愛の孫を。



 「マリー・ルイーゼはどうしています?」
 ホーフブルク宮殿での謁見の後、ヨーハンは尋ねた。
 尋ねずにはいられなかった。


 4年前。兄の皇帝が、ヨーハンとアンナに正式な結婚を許可した年。
 パルマで、ナイペルク将軍が亡くなった。

 ナイペルクは、パルマの執政官だけではなかった。彼は、マリー・ルイーゼの夫でもあった。二人は、極秘の結婚をしていた。




 亡くなる直前、ナイペルク自身が、手紙を送ってきた。
 遺書だった。

 それによると、マリー・ルイーゼとの間には、子どもが二人いるという。自らの死に臨んで、ナイペルクは、この子どもたちの行く末を、案じたのだ。

 結婚は、マリー・ルイーゼの前夫、ナポレオンの死の、3ヶ月後のことだという。


 遺書を読んだ宰相メッテルニヒに問い詰められ、マリー・ルイーゼは、子どもたちの誕生は、ナポレオン前夫の生前のことだったと告白した。


 皇帝と皇妃(皇帝の4番めの妻。マリー・ルイーゼの継母)は、驚くほど寛大だった。特に皇帝は、かつて娘を、ナポレオンに嫁がせたことを痛ましく思っていた。


(皇妃オーガスタ)


 ……娘は、オーストリアの犠牲になったのだ。
 皇帝夫妻は、娘の告白を温かく受け止め、責めることはしなかった。

 ただ……。
 皇帝に連なる大公や公女は、所領を持たぬ者との結婚を禁じられている。たとえ相手が貴族であっても、だ。彼らには、恋愛の自由などない。

 ナイペルクは、皇族ではない。大公女であるマリー・ルイーゼとの結婚は、だから、貴賤婚だった。
 ヨーハンとアンナと同じく。

 ヨーハンがアンナとの結婚を許されたのは、まさしくこの、ナイペルクが亡くなった年だった。マリー・ルイーゼは、その前の年の夏、里帰りした際に、結婚の事実だけを、父の皇帝に告げている。
 つまり、皇帝は、娘の貴賤婚を知り、それが公になる直前に、ヨーハンの結婚を許したわけで……。


 深い深いため息を、皇帝はついた。
マリー・ルイーゼなら、息災だよ。この秋にも、娘のアルベルティーナが結婚すると言ってきた」


 アルベルティーナは、ナイペルクとの間にできた、上の子である。皇帝の孫に当たるが、貴賤婚でできた子ゆえ、皇族として認められていない。

 ヨーハンとマリアの間には子はいない。だがそれは、救いなのだろうか……。


 しわがれた声で、皇帝は続けた。
「相手は、パルマの参事官、サンヴィターレ伯爵だ」
「サンヴィターレ伯爵ですって!?」


 その噂は、世事に疎いヨーハンの耳にさえ、入ってきていた。
 サンヴィターレ伯爵は、マリー・ルイーゼの情夫だというのである。

 自分の情夫を、娘の夫にするとは!

 だがそれは、逆に、マリー・ルイーゼが潔白である証なのかもしれなかった。


 ナイペルクに死なれてから、マリー・ルイーゼの艶聞の噂には、耳を覆いたくなるものがあった。
 子どもの家庭教師をはじめ、とにかく、手当たり次第、男を、部屋に引き入れている、というのだ。

 嘘か誠かわからぬが……。
 ……彼女が、護衛管を自室に引きずり込むので、護衛をする者がいなくなってしまった。護衛官を二人にすると、二人とも姿を消した。それなら、と倍の4人にしたら、4人とも、いなくなってしまった……。
 ……という話まで伝わってきた。


 サンヴィターレ伯爵については、マリー・ルイーゼは、彼の子どもを堕胎しているという噂だった。
 しかもそれは、ちょうど1年前……彼女がウィーンに置き去りにした息子皇帝の孫が亡くなった時だというのだ。


 フランツ。
 ヨーハンがかわいがっていた、ナポレオンの息子。

 あの優美な青年は、1832年7月、結核で亡くなっていた。


 彼の死に際に、母は、なかなか会いにこなかった。
 それは、、妊娠、そして中絶していたからだと、口さがない連中は、噂していた。

 許しがたい悪口雑言だと、ヨーハンは憤った。
 フランツを惜しむ気持ちはわかる。その母の薄情を詰りたい気持ちにも、同感できる。

 だが、フランツは、母を愛していた。
 彼女を貶めてはならぬのだ。


(パルマ女公マリー・ルイーゼ)


 「マレシャルなら、解任した」
ヨーハンの心を読んだか、苦々しげに、皇帝が言った。


 マレシャルは、亡くなったナイペルクの後任である。パルマに送られ、執政官を務めていた。
 彼は、ひっきりなしに、公主であるマリー・ルイーゼの苦情や泣き言を、ウィーンに書き送ってきていた。
 パルマ大公女マリー・ルイーゼは、どうしようもない淫乱だ、と。

 だがそれは、単に、女主人とそりが合わないせいだと、皇帝は信じていた。
 そしてなぜか、オーストリアに帰国したマレシャルを、閣僚なみの人事に抜擢した。


「マレシャルの後任は、ボンベル伯爵を送った。良い人を選んでくれたと、マリー・ルイーゼから、感謝の手紙が届いたよ」
「そうですか……」


 ボンベルは、フランス貴族だ。代々ブルボン王家に仕えていたが、革命の折、一家で、オーストリアに亡命してきた。

 上品で教養の高いボンベル伯爵なら、マリー・ルイーゼの気にいるだろうと、ヨーハンは思った。


(ボンベル伯爵)







しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て

せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

バレー部入部物語〜それぞれの断髪

S.H.L
青春
バレーボール強豪校に入学した女の子たちの断髪物語

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

処理中です...