黄金の檻の高貴な囚人

せりもも

文字の大きさ
上 下
23 / 42
『ドン・カルロス』異聞

しおりを挟む

 「あの、殿下」
おずおずと、スパイが声をかけた。
「ええとですね。エーボリ公女はどうなりました? お話の、けっこう前の方から、出てきてるはずですけど」

「エーボリ? 誰だっけ?」
プリンスは、夢から覚めた人のような表情を浮かべた。自分が語る物語の世界に、没頭していたのだ。

 スパイは呆れたように頭を振った。
「カルロスを慕っていた女性ですよ! 彼女は、カルロスに恋していたのに、彼の本命が王妃だと知って、王妃を裏切る決意をしたんです!」

「ああ、めんどくさい!」
プリンスは叫んだ。
「女って、本当にめんどくさいな!」
「……」

スパイは絶句した。それに気づかず、プリンスが続ける。
「男同士でいる方が、よっぽど気楽だ」

「……そりゃ、あなたは、男性の中で育ちましたからね」
肩を竦め、スパイは言った。
「なぜかあなたの身の回りには、女官は殆どいない。おかげで、私の生活に、潤いがなくていけません」
「お前の生活なんて、知ったことか!」

「女性は大切です。女性がいるから、物語が動くんです。エーボリ公女は、カルロスと王妃の恋を、王に密告しようという、まさに、キーパーソンなわけですから。……あ。そもそも、カルロスの、不倫の恋はどうなったんです? 義理のお母さんになってしまった、王妃との!」

「不倫!?」
プリンスは、目を剥いた。
「エリザベト王妃は、気高く純潔な女性なんだ! 王を裏切って不倫なんか、するわけないだろ」

「……殿下。あなた、いろいろ騙されてますね」
スパイは心配そうだった。プリンスは、きょとんとして問い返す。
「騙されてる? 誰に?」

「そもそも、気高く純潔な女性なんて、この世に存在しません。それは、幻想です! あと、すぐに失神する女にも、ご用心なさいませ」
「言ってる意味が……」

「私が知っている中で、もっとも気高く純潔なお人は、殿下、あなたです」
真面目な顔をして、スパイは言った。

 プリンスは、顔を赤らめた。
「お前の言うことは正しい。……あっ! エーボリ公女の話だぞ? 彼女は、危険だった。カルロス王子の裏切りを、いつ王に密告するか、わかったものじゃない。それで、ボーサ侯は、緊急の処置をとらなければならなかった……」
 ……。









 ……王妃に会わねば。
 カルロスは思った。

 彼は、友は信じていたが、父は信じてはいなかった。王妃とは、何も、疚しいことはない。それでも、もし万が一、彼女に迷惑がかかるようなことがあってはいけないと思った。

 だが、彼は、孤立無援だった。
 王妃との仲を取り持ってくれていたロドリーゴは、今や、王の下僕しもべだった。彼を頼るわけにはいかない。

 ……早く。
 ……一刻も早く、王妃に、警告を発せなければ。




 「エーボリ公女」
 招待もなく、何の約束もなく、いきなり、カルロスは、エーボリ公女の部屋を訪れた。
「君に、お願いがあるんだ」

 瞬時に、公女は、カルロスの「お願い」を見抜いた。彼の、王妃への恋心を知っていたからだ。

「いやです。王妃への橋渡しなんかしませからね」
にべもなく彼女は答えた。
「なんで私が!」
「そんな事言わないで。僕にはもう、頼れる人がいないんだ。世界中でたった一人、君を除いて」

 うるうると潤んだ瞳で、王子は、公女を見つめる。他の女性だったら、効果は絶大だったろう。だが、時期が悪かった。そして、相手が悪かった。

「そんな目をしたって、無駄ですよ。あなたは私をフったばかりじゃん」
公女は、ふい、と横を向いた。

「ああ、エーボリ。お願いだから、僕を恋していた時の気持ちを、思い出してくれないか? 僕は、どうしても、王妃様に会わなくちゃならないんだ。もし君が、あの時の気持ちを、ほんのちょっとでも蘇らせてくれたなら……」

「ムリです」
「いやいや。他の女ならダメだろうけど、君は、その辺の女とは違うだろ? だから。ねえったら。ほら、こうして跪いてお願いするよ。ひと目でいい。どうか、王妃に会う手引きを……」



 「ああ、遅かったか!」

 そこへ、どかどかと踏み込んできた男があった。
 この国の宰相となったボーサ侯、ロドリーゴだった。近衛兵を2人、連れている。

 エーボリ公女は、憤慨した。鼻息荒く叫んだ。
「まあ! 今日は、なんて日でしょう! 婦人の部屋へ、男が二回も、勝手に入ってくるなんて!」

「うるさい、黙れ!」
ロドリーゴは、辺りを見回した。
「他に人はいないな。ぎり、間に合ったってとこか。おい、衛兵。宰相特権をもって命じる。王子を逮捕しろ」

「は?」
 衛兵たちは、自分の聞いたことが信じられなかったようだ。直立したまま動こうとしない。

「グズグズするな。王子を、牢獄に隔離するんだ!」

 ……こんな風に、王妃への恋心を言いふらすとは。
 ロドリーゴは憂慮した。
 ……もしこれが、王の耳に入ったら!
 息子だとて、容赦はしなかろう。間違いなく、カルロスは、抹殺される。


 「ロドリーゴ……、」
か弱い声で、そのカルロスが呼びかけた。

「しっ、黙って! 人がいます。これ以上、一言だって、余計なことをしゃべってはなりませぬ。……衛兵! 早くしろ! ……王子。腰の剣をお預かりしますぞ。……とっとと動け! 衛兵!」

 てきぱきと、ロドリーゴは、兵たちに命じた。
 呆然としたまま、カルロスは、部屋から連れ出された。


 ロドリーゴは、短刀を引き抜いた。
「さてと。お待ちなさい、エーボリ公女」
 逃げ出しかけた公女の肩を、ぐいと掴んで引き止める。

「いや! 何をするの! 放して!」
「放すものか。王子はお前に、何を話した? お前は何を聞いたんだ?」
「な、なにも……」

「嘘をつけ。お前はそれを、誰に話す? ……だが、たった今、王子の話を聞いたばかりだ。誰ともおしゃべりする時間は、なかった」
「そっ、そうよっ! 私は、おしゃべり女じゃないわ! 秘密くらい、守れるわよ!」

「……毒はまだ、唇の上に浮かび上がっていない。だから、入れ物を壊せばいいんだ」
「なっ、何を言ってるの!?」

 身の危険を感じ、公女は激しく、身を捩った。
 ボーサ侯は、薄く笑った。

「逃げようとしても無駄だ。お前はもう、生きた人と話すことはないのだから」
「ひえーーーっ! やっぱり私を殺す気ね! 放して! 放してったら!」

 肩を掴んだ手をひっかき、その顔にツバを吐きかけ、エーボリ公女はひどく暴れた。
 ロドリーゴの顔が歪んだ。うつむいて、つぶやく。

「……それは、あまりに卑怯だ。か弱い女性を手にかけるなんて、俺にはできない」
 その彼の手に、公女が噛み付いた。

 ロドリーゴの腕から、力が抜けた。

「よい。行け」
彼は言った。

 悲鳴を上げ、女は、あっという間に逃げ去っていった。


 一人残り、ロドリーゴは、天を仰いだ。
「カルロス殿下は、きっとお救い申し上げる! 大丈夫。専制君主たる王をたばかるなど、簡単だ。王の手から友を救い出す為に、俺は……」

その目に冥い陰が落ちた。
「友を救う為なら、なんでもする」
小さな、だが、強い声で、彼はつぶやいた。
 ……。








 「ちょっと、それ、公女があんまりかわいそうなんじゃ……」
 スパイが叫んだ。
 熱に浮かされた人のように、プリンスが唇に指を当てる。
「しっ、黙って! これからが、いいとこなんだ……」
 ……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て

せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

バレー部入部物語〜それぞれの断髪

S.H.L
青春
バレーボール強豪校に入学した女の子たちの断髪物語

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

処理中です...