8 / 42
もう一人の売られた花嫁
サイコロの目
しおりを挟む
まもなく、オーストリア皇室の皇女と、ポルトガルの王太子との間に、縁談が持ち上がった。
ポルトガルは、ナポレオンの大陸封鎖令に反対したため、フランス軍の侵攻を受けた。この為、1808年、王室は、植民地だったブラジルへ避難した。
これに伴い、ブラジルのリオデジャネイロは、ブラジル・ポルトガル連合王国の、首都となった。人口が増え、高い文化も持ち込まれた。
レオポルディーネは、姉妹の中で、一番聡明な娘だった。植物学や鉱物学など、さまざま学問に興味を持っていた。ポルトガル語を含む、数ヶ国語にも堪能だった。
その聡明さを見込んで、外相メッテルニヒは、皇女レオポルディーネに、白羽の矢を立てた。
しかし、ポルトガル王室の皇太子、若きドン・ペドロには、不道徳だという噂があった。
非常に激しやすい性質だとも。
そんなところへ娘を嫁にやるのは、父のフランツ帝は、嫌だった。
不幸な結果になるのは、長女のマリー・ルイーゼだけでたくさんだ。
「『戦いは他の者に任せよ。オーストリア。幸いなるかな、汝は結婚せよ』です」
メッテルニヒは、しぶる皇帝ををかき口説いた。
「今ならまだ、戦わずして、ポルトガルと手を結ぶことができます。その上、新大陸の珍しい資源も手に入る。血を流さずに世界に君臨する。それが、オーストリアのやり方ではないのですか?」
最後まで反対したが、父帝は、とうとう、メッテルニヒに押し切られた。
1817年5月、レオポルディーネは、遠くブラジルへ旅立った。顔も見たことのない、ポルトガル王室のドン・ペドロと結婚する為に。
とんでもない未開の地ではないということだが、それが救いといえようか。何しろ、海を渡っての輿入れである。
しかも、レオポルディーネは、夫となる人を、肖像画でしか見たことがない。
「
泣くことしかできません。メッテルニヒは、リボルノ(イタリアの港町)までエスコートしてくれましたが、それが嬉しかったと思う? 私達皇女は、サイコロのようね。投げられた目によって、幸福も不幸も決まるんだわ。
」
彼女はこう、姉のマリー・ルイーゼに書き送った。
メッテルニヒは、主である皇帝の二人の娘を売った。
マリー・ルイーゼを、ナポレオンに。
6歳年下の妹、レオポルディーネを、ポルトガル王室、遠く海の向こうの、ブラジルへ。
だが、案に相違して、ドン・ペドロは、心から花嫁に尽くす、優しい夫だった。それは、姉マリー・ルイーゼの嫁いだナポレオンと同じだった。人食い鬼と恐れられた義兄は、しかし、若い妻の言いなりだったという。
レオポルディーネの夫も、そうだった。夫は、彼女より1つ年上なだけで、姉夫妻のような年の開きはない。だが彼は、花嫁の白い肌に吸い寄せられ、深い教養に圧倒された。
初めのうちは。
その頃、王室のいなくなったポルトガルは、イギリスの保護国の扱いになっていた。そもそも、ポルトガルは、フランスと戦った戦勝国の筈だ。それなのに、ブラジルに逃げた国王はいつまで経っても帰ってこず、ナポレオン没落後も、イギリスの保護を受け続けているとは……。国に残った人々の、不満が募った。
1820年、ついに、ポルトガルで、武力による自由主義革命が起きた。彼らは、国王の帰国と、立憲制を求めた。
その翌年には、ここ、ブラジルでも、在留ポルトガル兵が決起した。レオポルディーネが嫁いで、4年が経っていた。
この時、決起軍との交渉に当たったのは、彼女の夫、皇太子ドン・ペドロだった。
自由主義革命を受け、イギリスはポルトガルから手を引いた。
1822年、ドン・ペドロの父、ジョアン6世はじめ王室は、ポルトガルへ戻った。ジョアン6世は憲法を受け入れ、三権分立を認めた。
ポルトガルは、絶対王政から、立憲君主国となった。
皇太子ペドロは、摂政として、妃レオポルディーネとともに、ブラジルに残った。
ところが、母国ポルトガルの革命政府は、ブラジルの地位向上を認めず、あまつさえ、摂政ドン・ペドロを、見下したような態度を取った。
革命政府は、ペドロの権利を剥奪し、ポルトガルへ帰るよう、要請してきた。
……これではブラジルは、また、搾取されるだけの植民地に戻ってしまう。
ブラジルの人々の間に、不安が沸き起こった。
彼らに、真っ先に賛同したのは、王太子妃、レオポルディーネだった。学識豊かな彼女は、時代を正確に読み、その上で、ブラジルの人々に、深い理解と愛情を示した。
レオポルディーネは、夫、ペドロを励まし、独立を促した。
「わが血、わが栄光、わが神を、私はブラジルの自由に与えることを誓う。独立か死か!」
同じ22年の10月、ペドロは、ブラジルのポルトガルから独立を宣言し、ブラジル皇帝ペドロ1世として、王位についた。
**
だが、この頃から、レオポルディーネの父、フランツ帝が抱いた危惧は、現実のものとなってくる。
そもそも、結婚前に、ペドロには、情婦がいた。結婚に際し、ペドロの父が、強引に別れさせたという過去があった。オーストリア皇帝の不快を恐れてのことである。
再びペドロは、愛人を作り、その存在をおおっぴらにするようになった。
ペドロは、愛人を宮廷に引き入れ、非道にも、妻付きの高級女官とした。妻には、十分な資金を与えず、宮殿から出さなかった。
ついには、情婦の産んだ子を、レオポルディーネの産んだ子と、同じゆりかごに入れ、同じ教育を受けさせるまでになっていく。
次第に、夫の、妻に対する態度は、苛酷になっていった。
激したあまり、手を挙げたことさえある。
それでも、レオポルディーネは、夫に仕えた。
子を産み続け、彼らの養育に心を砕いた。
たとえ、わが子と妾の子を、同じ館、同じ教育で育てるのであっても。
レオポルディーネは、決して、夫を裏切らなかった。
悪口さえ、口にしなかった。
子を産み育て、政務に励み、ハプスブルクの女としての務めを、懸命に果たし続けた。
ポルトガルは、ナポレオンの大陸封鎖令に反対したため、フランス軍の侵攻を受けた。この為、1808年、王室は、植民地だったブラジルへ避難した。
これに伴い、ブラジルのリオデジャネイロは、ブラジル・ポルトガル連合王国の、首都となった。人口が増え、高い文化も持ち込まれた。
レオポルディーネは、姉妹の中で、一番聡明な娘だった。植物学や鉱物学など、さまざま学問に興味を持っていた。ポルトガル語を含む、数ヶ国語にも堪能だった。
その聡明さを見込んで、外相メッテルニヒは、皇女レオポルディーネに、白羽の矢を立てた。
しかし、ポルトガル王室の皇太子、若きドン・ペドロには、不道徳だという噂があった。
非常に激しやすい性質だとも。
そんなところへ娘を嫁にやるのは、父のフランツ帝は、嫌だった。
不幸な結果になるのは、長女のマリー・ルイーゼだけでたくさんだ。
「『戦いは他の者に任せよ。オーストリア。幸いなるかな、汝は結婚せよ』です」
メッテルニヒは、しぶる皇帝ををかき口説いた。
「今ならまだ、戦わずして、ポルトガルと手を結ぶことができます。その上、新大陸の珍しい資源も手に入る。血を流さずに世界に君臨する。それが、オーストリアのやり方ではないのですか?」
最後まで反対したが、父帝は、とうとう、メッテルニヒに押し切られた。
1817年5月、レオポルディーネは、遠くブラジルへ旅立った。顔も見たことのない、ポルトガル王室のドン・ペドロと結婚する為に。
とんでもない未開の地ではないということだが、それが救いといえようか。何しろ、海を渡っての輿入れである。
しかも、レオポルディーネは、夫となる人を、肖像画でしか見たことがない。
「
泣くことしかできません。メッテルニヒは、リボルノ(イタリアの港町)までエスコートしてくれましたが、それが嬉しかったと思う? 私達皇女は、サイコロのようね。投げられた目によって、幸福も不幸も決まるんだわ。
」
彼女はこう、姉のマリー・ルイーゼに書き送った。
メッテルニヒは、主である皇帝の二人の娘を売った。
マリー・ルイーゼを、ナポレオンに。
6歳年下の妹、レオポルディーネを、ポルトガル王室、遠く海の向こうの、ブラジルへ。
だが、案に相違して、ドン・ペドロは、心から花嫁に尽くす、優しい夫だった。それは、姉マリー・ルイーゼの嫁いだナポレオンと同じだった。人食い鬼と恐れられた義兄は、しかし、若い妻の言いなりだったという。
レオポルディーネの夫も、そうだった。夫は、彼女より1つ年上なだけで、姉夫妻のような年の開きはない。だが彼は、花嫁の白い肌に吸い寄せられ、深い教養に圧倒された。
初めのうちは。
その頃、王室のいなくなったポルトガルは、イギリスの保護国の扱いになっていた。そもそも、ポルトガルは、フランスと戦った戦勝国の筈だ。それなのに、ブラジルに逃げた国王はいつまで経っても帰ってこず、ナポレオン没落後も、イギリスの保護を受け続けているとは……。国に残った人々の、不満が募った。
1820年、ついに、ポルトガルで、武力による自由主義革命が起きた。彼らは、国王の帰国と、立憲制を求めた。
その翌年には、ここ、ブラジルでも、在留ポルトガル兵が決起した。レオポルディーネが嫁いで、4年が経っていた。
この時、決起軍との交渉に当たったのは、彼女の夫、皇太子ドン・ペドロだった。
自由主義革命を受け、イギリスはポルトガルから手を引いた。
1822年、ドン・ペドロの父、ジョアン6世はじめ王室は、ポルトガルへ戻った。ジョアン6世は憲法を受け入れ、三権分立を認めた。
ポルトガルは、絶対王政から、立憲君主国となった。
皇太子ペドロは、摂政として、妃レオポルディーネとともに、ブラジルに残った。
ところが、母国ポルトガルの革命政府は、ブラジルの地位向上を認めず、あまつさえ、摂政ドン・ペドロを、見下したような態度を取った。
革命政府は、ペドロの権利を剥奪し、ポルトガルへ帰るよう、要請してきた。
……これではブラジルは、また、搾取されるだけの植民地に戻ってしまう。
ブラジルの人々の間に、不安が沸き起こった。
彼らに、真っ先に賛同したのは、王太子妃、レオポルディーネだった。学識豊かな彼女は、時代を正確に読み、その上で、ブラジルの人々に、深い理解と愛情を示した。
レオポルディーネは、夫、ペドロを励まし、独立を促した。
「わが血、わが栄光、わが神を、私はブラジルの自由に与えることを誓う。独立か死か!」
同じ22年の10月、ペドロは、ブラジルのポルトガルから独立を宣言し、ブラジル皇帝ペドロ1世として、王位についた。
**
だが、この頃から、レオポルディーネの父、フランツ帝が抱いた危惧は、現実のものとなってくる。
そもそも、結婚前に、ペドロには、情婦がいた。結婚に際し、ペドロの父が、強引に別れさせたという過去があった。オーストリア皇帝の不快を恐れてのことである。
再びペドロは、愛人を作り、その存在をおおっぴらにするようになった。
ペドロは、愛人を宮廷に引き入れ、非道にも、妻付きの高級女官とした。妻には、十分な資金を与えず、宮殿から出さなかった。
ついには、情婦の産んだ子を、レオポルディーネの産んだ子と、同じゆりかごに入れ、同じ教育を受けさせるまでになっていく。
次第に、夫の、妻に対する態度は、苛酷になっていった。
激したあまり、手を挙げたことさえある。
それでも、レオポルディーネは、夫に仕えた。
子を産み続け、彼らの養育に心を砕いた。
たとえ、わが子と妾の子を、同じ館、同じ教育で育てるのであっても。
レオポルディーネは、決して、夫を裏切らなかった。
悪口さえ、口にしなかった。
子を産み育て、政務に励み、ハプスブルクの女としての務めを、懸命に果たし続けた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
幕府海軍戦艦大和
みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。
ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。
「大和に迎撃させよ!」と命令した。
戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる