17 / 23
天啓
しおりを挟む「宰相。あなたの雌鶏が、お目通りを願っています」
秘書官声を掛けられ、メッテルニヒは、はっと我に返った。
朝から執務室に籠り、考え事をしていたのだ。
「私の、なんだって?」
「奥様がいらっしゃってま、」
秘書官が言い終えないうちに、小柄な彼を突き飛ばすようにして、メラニー……彼より31歳年下の、3番目の妻……が、執務室に入ってきた。
「あなた! お願いがあるの!」
「なんだい」
面倒くさいと思いながらも、メッテルニヒは尋ねた。
この若妻の意に逆らったらひどい目に遭うということを、学習済みだからだ。
「わたくし、モントベール伯爵に頼まれましたの。彼、手元不如意なんですって。それで、私、考えましたの。あなたなら、彼に、何かしてあげられるのではないか、って」
「モントベール?」
「フランスからいらした貴族ですわ」
「ああ……シャルル10世の大臣だった……」
「ええ。お気の毒に、2年前の7月革命で、国を追われてしまって。今あの方、フランスへ入ったら、死刑なんですってよ! 全くあの国の人民は、なってませんわ。わがままし放題です。そんな国は、滅びるにきまってます! そもそも、王や王妃の首を切るなんて……」
際限もなくしゃべり続ける妻を、メッテルニヒは遮った。
「それで、モントベール伯爵は、私に、どうしてほしいんだい?」
「仕事が欲しいらしいですわ。なんでもいいから、収入が必要だと」
「仕事ねえ。じゃ、どこかの家庭教師でも……」
革命当時、フランスからの亡命貴族は、ボヘミアやプラハで、家庭教師などをして、口を糊していた。フランス語は、公の文書を書くのに用いられるから、今でも、需要はそれなりにある。
だが、メラニーは首を横に振った。
「伯爵は、人に教えるのは苦手だとおっしゃいました。彼、ものを書くのがお得意らしいの。そちらの方面で、何かないかしら」
「ものを……書く……」
その時、天啓のように、その考えが降って湧いた。
彼……。
フランス人の手で、フランスで出版されたら、彼も喜ぶのではないか? 父の国、フランスで。彼の生涯が。
「よし。モントベールには、ライヒシュタット公の伝記を書かせよう」
「それは、いいお考えだわ!」
メラニーは、飛び上がって喜んだ。
「ついでに、あなたの弁護もしておもらいなさいよ。あなたが彼を毒殺した、なんて、ひどいことを言う人もいるのよ!」
「まさか」
メッテルニヒは驚いた。
だって、宮廷医師団に命じて、解剖までさせたではないか。医師たちは、胃や腸がきれいだったの対し、肺は、絶望的な状態だったことを確認した。
白いペスト……彼、オーストリアのプリンスは、結核で死んだのだ。
「ひどい話よね。あなたは、外国の暗殺者たちから、プリンスを保護してきたのに! おかげで、私たちの新婚時代は、台無しだったわ。あなたはとっても忙しくて、旅行さえ……」
「シャルル10世の大臣か。うん、ナポレオンの敵だった者が彼を褒め称えたら、それは真実だと、フランス人も信じるだろう」
妻の愚痴が本格化する前に、メッテルニヒは口を挟んだ。
「彼に有利なことを、たくさん、書いてもらおう。なんといっても、彼は、皇帝の孫なんだから。発達障害とか、誤った教育によって、能力が刈り込まれてしまったとかいう、不謹慎な流言飛語を、このまま許しておくわけにはいかない」
その流言庇護を一切否定しなかったのがオーストリア宰相メッテルニヒであり、在フランス・オーストリア大使……メッテルニヒの部下……だったのだが。
「モントベールには、ライヒシュタット公の身の回りの人物を取材させよう。彼の、良い思い出を話してくれる人に。誰がいいかな」
自分が人選をしたのでは、後から何か言われるかもしれない。プリンスの身近にいたハルトマン将軍にでも選ばせようと、メッテルニヒは思った。
執務室から妻を追い出し、さっそくメッテルニヒはペンを握った。まずは、ハルトマン自身の、プリンスへの評価を探ろうと思ったのだ。彼は、いくつかの質問事項を、(正式文書用の)フランス語で書き連ねた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
勝利か死か Vaincre ou mourir
せりもも
歴史・時代
マレンゴでナポレオン軍を救い、戦死したドゥゼ。彼は、高潔に生き、革命軍として戦った。一方で彼の親族は、ほぼすべて王党派であり、彼の敵に回った。
ドゥゼの迷いと献身を、副官のジャン・ラップの目線で描く。「1798年エジプト・セディマンの戦い」、「エジプトへの出航準備」、さらに3年前の「1795年上アルザスでの戦闘」と、遡って語っていく。
NOVEL DAYS掲載の2000字小説を改稿した、短編小説です
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
ソールレイヴ・サガ
kanegon
歴史・時代
西暦1000年くらいのノルウェーにて。
キリスト教の抑圧に抵抗する、古の教えの巫女と賢者がいた。
これは、北欧神話の基本資料である『巫女の予言』が、いかにして成立したか、を描いた物語です。
マグネットマクロリンクとカクヨムと重複投稿です。
4万字程度で完結の短編です。
ライヒシュタット公とゾフィー大公妃――マクシミリアンは誰の子?
せりもも
歴史・時代
オーストリアの大公妃ゾフィーと、ナポレオンの息子・ライヒシュタット公。ともに、ハプスブルク宮廷で浮いた存在であった二人は、お互いにとって、なくてはならない存在になっていった。彼の死まで続く、年上の女性ゾフィーへの慕情を、細やかに語ります。
*NOVEL DAYSに同タイトルの2000字小説(チャットノベル)があります
*同じ時期のお話に「アルゴスの献身/友情の行方」がございます。ライヒシュタット公の死を悼む友人たちと従者の物語です。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/268109487/427492085
刑場の娘
紫乃森統子
歴史・時代
刑場の手伝いを生業とする非人の娘、秋津。その刑場に、郡代見習いの検視役としてやってきた元宮恭太郎。秋津に叱咤されたことが切っ掛けで、恭太郎はいつしか秋津に想いを寄せるようになっていくが――。
仏の顔
akira
歴史・時代
江戸時代
宿場町の廓で売れっ子芸者だったある女のお話
唄よし三味よし踊りよし、オマケに器量もよしと人気は当然だったが、ある旦那に身受けされ店を出る
幸せに暮らしていたが数年ももたず親ほど年の離れた亭主は他界、忽然と姿を消していたその女はある日ふらっと帰ってくる……
石川五右衛門3世、但し直系ではない
せりもも
歴史・時代
俺の名前は、五右衛門3世。かの有名な大泥棒・石川五右衛門の、弟の子孫だ。3世を襲名するからには、当然、義賊である。
謎解き連作短篇集。
[表紙絵] 歌川国貞 「石川五右衛門 市川海老蔵」 (1851)
https://publicdomainq.net/utagawa-kunisada-0023110/
紅花の煙
戸沢一平
歴史・時代
江戸期、紅花の商いで大儲けした、実在の紅花商人の豪快な逸話を元にした物語である。
出羽尾花沢で「島田屋」の看板を掲げて紅花商をしている鈴木七右衛門は、地元で紅花を仕入れて江戸や京で売り利益を得ていた。七右衛門には心を寄せる女がいた。吉原の遊女で、高尾太夫を襲名したたかである。
花を仕入れて江戸に来た七右衛門は、競を行ったが問屋は一人も来なかった。
七右衛門が吉原で遊ぶことを快く思わない問屋達が嫌がらせをして、示し合わせて行かなかったのだ。
事情を知った七右衛門は怒り、持って来た紅花を品川の海岸で燃やすと宣言する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる