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ナポレオンの母
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その頃、プロケシュ=オースティンは、ローマへ向かっていた。
彼の二度目のイタリア赴任地は、ボローニャだった。
そこで彼は、教皇領の貴族と知り合った。
驚いたことに、彼の妻は、ナポレオンの姪(ナポレオンの弟リュシアンの娘)だった。
彼女の誘いで、プロケシュは、ナポレオンの母レティシアに会うことになったのだ。
……ナポレオンの母に会える。
プロケシュの胸は高鳴った。彼は、ナポレオンの伝記を書いたことがあった。
プロケシュは、ウィーンのライヒシュタット公が重病であることを知らなかった。
いや、新聞は報じていたのだが、信じなかった。
だって、ウィーンで別れてきたばかりの彼の友人は、とても元気だったからだ。
……「プロケシュ少佐。どうかお願いですから、僕の勇敢な戦士でいてください。いつだって。どこにいたって」
……彼はそう言って、プロケシュの体を、強く抱きしめた。
前回赴任の際の別れも、プリンスはひどく感傷的だった。
彼はプロケシュより16歳年下だ。
若さにありがちな無邪気さであり、衝動であると、プロケシュは思った。
彼は笑って、年下の友の体を引き離した。
それから、プロケシュは、一度も手紙を書いていない。プリンスからも届いていない。
家庭教師に禁じられているのだと、プロケシュは思った。彼とプリンスの友情を、宰相メッテルニヒは快く思っていないようだった。
……新聞は、宮廷に出入りする者に取材して書かれる。
……彼らは無責任だからな。
ライヒシュタット公が重病であるなどというのは、悪質なデマに過ぎないと、プロケシュは思った。
それより、ナポレオンの母に会った話を彼にすることが、今から待ちきれなかった。
……。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※ライヒシュタット公が亡くなったのは、1832年7月22日です。
この後、彼の最期の日々を見守った軍の付き人・モルの話を挟みます。
彼の死から半月ほど後の8月に、時間が飛びます。
彼の二度目のイタリア赴任地は、ボローニャだった。
そこで彼は、教皇領の貴族と知り合った。
驚いたことに、彼の妻は、ナポレオンの姪(ナポレオンの弟リュシアンの娘)だった。
彼女の誘いで、プロケシュは、ナポレオンの母レティシアに会うことになったのだ。
……ナポレオンの母に会える。
プロケシュの胸は高鳴った。彼は、ナポレオンの伝記を書いたことがあった。
プロケシュは、ウィーンのライヒシュタット公が重病であることを知らなかった。
いや、新聞は報じていたのだが、信じなかった。
だって、ウィーンで別れてきたばかりの彼の友人は、とても元気だったからだ。
……「プロケシュ少佐。どうかお願いですから、僕の勇敢な戦士でいてください。いつだって。どこにいたって」
……彼はそう言って、プロケシュの体を、強く抱きしめた。
前回赴任の際の別れも、プリンスはひどく感傷的だった。
彼はプロケシュより16歳年下だ。
若さにありがちな無邪気さであり、衝動であると、プロケシュは思った。
彼は笑って、年下の友の体を引き離した。
それから、プロケシュは、一度も手紙を書いていない。プリンスからも届いていない。
家庭教師に禁じられているのだと、プロケシュは思った。彼とプリンスの友情を、宰相メッテルニヒは快く思っていないようだった。
……新聞は、宮廷に出入りする者に取材して書かれる。
……彼らは無責任だからな。
ライヒシュタット公が重病であるなどというのは、悪質なデマに過ぎないと、プロケシュは思った。
それより、ナポレオンの母に会った話を彼にすることが、今から待ちきれなかった。
……。
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※ライヒシュタット公が亡くなったのは、1832年7月22日です。
この後、彼の最期の日々を見守った軍の付き人・モルの話を挟みます。
彼の死から半月ほど後の8月に、時間が飛びます。
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